風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

やっぱり紅玉!

2006-11-24 23:45:18 | 料理
スーパーでさっぱり紅玉が見かけなくなったなぁと嘆いていたところ、サンふじとかサンつがるの隣に申し訳なさそうにかわいらしい真っ赤な紅玉が並んでいた。

ああ、うれしいぃ~!
紅玉だよ、やっぱり紅玉じゃなくっちゃね!
なんでかってね、やっぱりアップルパイには紅玉が一番いいのだ。酸味の強い紅玉だから美味しいアップルパイができるのさ!

早速作ってみました。
写真がそれでございます。(クリックすると大きくなります。)
りんごと葉っぱが飾ってあるのわかるかな?
りんご、お砂糖も目分量でしたがそれでも美味しいアップルフィリングができました。

焼き菓子の好きな次男は気になるらしく作っている時からちらちらと見て、「教会にもっていくの?」なんて聞いている。
ふふふふふ。食べたいのね。
「うちで食べるんだよ」というと平静を装いながらちょっとうれしそう。

食後に皆でいただきました。
次男はおかわりしてましたよ。
やっぱり紅玉は一味違うでしょ!

家族の「美味しいね」の一言はやっぱりうれしいね。

エイジアン・パラダイス

2006-11-24 01:08:48 | 映画・演劇
久しぶりに面白い演劇をみた。

劇団「銅鑼)(どうら)の公演「エイジアン・パラダイス」。

演劇なんて久しぶり。以前、女優をしている従姉妹が小劇団にいた頃はその影響で「夢の遊眠舎」(野田秀樹主催)や「スーパーエキセントリックシアター)(三宅 裕司主催)の公演などをしょっちゅう見に行ってたりしてたものだ。

今回の公演は教会の姉妹から教えていただいた。それもすぐ近くの文化会館とのこと。珍しくダンナが見たいといってるし、次男にも勉強になるから一緒に連れて行ったのだった。(次男の入っている美術部は演劇部もかねているのだ。)こういうのがいちばんすきそうな長男は疲れたから家で寝てるといってついてこなかった。

劇の内容。

下宿屋「エイジアン・パラダイス」の女主人・春子は「来るものは拒まず」をモットーとしている。下宿人には在日韓国人でゲイバーのママをしている英男、フィリピンパブホステスのアナベル、中国人と日本人のハーフの美華、東大留学生でタイ人のスジンダ。他に春子の従姉妹の息子に慎一郎、アナベルの友達でフィリピン人のエバン、隣のマンションの頼子が登場する。

ある日、皆でスジンダの歓迎会を準備しているところへ慎一郎がやってくる。彼はルポライターだが怪しい外国人たちが住んでいると聞きつけてきたのだった。そこへ美華の恋人が彼女を迎えに来る。ゲイバーのママ英雄はとってもおしゃべり。彼女がハーフである事を話してしまう。それがもとで別れてしまい美華は閉じこもってしまう。そんな中隣のマンションの代表として頼子が苦情を言いにやってくる。

下宿人たちのことをわかってもらいたい春子は自分が中国残留婦人として生きてきた話を始める。話が進むにつれて、明るい英雄の抱える社会でのいきにくさ、タイでの少女売春の現実を少しでも変えていきたいと考え留学した本当は貴族のスジンダ。美華に恋するエバン。ハーフということで自分のアイデンティティーに悩む美華。フィリピンに残してきた幼い娘と兄弟を養うのが目的で不法滞在しているアナベル。アナベルに恋しているのにふざけた態度しかとれないので信用されない慎一郎。マンションの頼子はエイジアンパラダイスの良き理解者になり英雄と良い友達なって一緒にバーゲンに行く仲に。

終盤、慎一郎が書いた記事が元でアナベルが強制送還される。自分の記事のせいと彼女を守りきれなかった事で苦しむ慎一郎。そして彼は彼女を追ってフィリピンへ。スジンダは父の会社を継ぐためにタイへ戻る。エバンと美華は結婚し・・・・

何年かたち、またエイジアンパラダイスに懐かしい顔がそろう。スジンダが出張で来日し、アナベルと慎一郎は来ないが2人はフィリピンで幸せに暮らしている。そしてアナベルの娘のマリアが新しい住人としてくることになり大歓迎されるところで幕は閉じる。

もう話が進むにつれてどんどん引き込まれていった。寝てしまうのではないかと思っていた次男も楽しんでいたようだ。下宿の女主人、春子の温かい人柄も素敵だったし、英雄の女らしいしぐさやしゃべり方もちょっとした笑いのエッセンスとなり、頼子がだんだんとエイジアンパラダイスに親しんでいく様子もほほえましい。

劇の中で扱っているものは「中国残留孤児」「中国残留夫人」「不法滞在」「売春」「性同一性障害への無理解」日本人の外国人労働者に対する偏見、それぞれが「重いテーマ」なのだけどわかりやすく日本が関わるアジアの問題として勉強になった。

私もアメリカに5年住んでいた頃、日本人である事で差別的なことが少なからずあることを見聞きしてきたし、そのころ言葉や文化の壁もないとは言い切れなかった。また、帰国したらしたで、特に長男がアイデンティティーに苦しんでいるようなところもあり共感する部分があった。

会場ではアジアのお菓子や工芸品などが中国ウイグル族や、アフガニスタンのチャリティー目的のためにうられていた。公演後に俳優さんたちのトークライブが会ったのだが、待っている長男のためにそこでうられていたアジアのお菓子とマンゴージュースをお土産に買って帰った。

久しぶりの会場だったので途中パニック発作の事が頭をかすめたが最後まで楽しんでみる事ができた。

いい話だったな。心があったかくなるような話。
エイジアンパラダイスに住む住人達はみんな思いやりがあって、お互いの環境や違いを理解しあい尊重し助け合っている。時にケンカもするけれど。
そんな世界っていいな。

心の中のデス・ノート

2006-11-22 00:40:35 | キリスト教(証)
今映画の「デス・ノートthe Last name」が人気だ。
私も息子と一緒に先日テレビで前編の「デス・ノート」を見た。
見た後でなぜこんなに人気になっているのかわかるような気がした。

映画では主人公が社会が法で裁けない悪者を死神が落としたデス・ノートに名前を書くことによって葬り去る。初めは正義感でやっていたことがだんだんと自分の私利私欲のためになっていく。

「こんなやついなくなればいいのに」「赦せない、なんとかしてやりたい」
誰の心の中にもそんな気持ちがあるからね。誰の心にも「デス・ノート」を持ちたいという欲望があるんじゃないだろうか。デス・ノート人気はそこらへんからきているのかな。

私の心の中にもこの世から消しさってやりたいという強い憎しみをもった人がいた。7、8歳の頃のある出来事がもとである人にひどい憎しみを30年以上も持ち続けて生きてきた。その人が私にしたことをここで明らかにする勇気は今はない。もしも、デス・ノートが私の手にあったならば真っ先にその人の名を書いただろう。それほどにその人の死を願っていたのだ。

だから、憎しみを持って生きてきたことに対して正当性は感じても罪悪感などまるで感じていなかったのだ。

その出来事を思い起こすたびひどい鬱状態におちいり、自分の中でどろどろとしたものがこみあげてくる。苦しみとか悲しみとか憎しみがうずまき、どこかで助けを求めていた。でも誰にも話す事もできず、それは当時8歳の私の心の中に巣食い30年以上も私を苦しめる事になった。

それから何年かして風の便りでその人が亡くなったことを知った。もうこの世にいないということを知って「あんなやつ死んで当然だ」と思った。しかし、その人がこの世からいなくなったことで心の中がすっきりする事はまったくなかった。

憎しみとは恐ろしいもので憎む相手がいなくなっても消え去る事はないのだ。心の中にずっと巣食っている。

そして30年経った時、私は結婚していて、2人の子供の母親となっていて、キリストを救い主として告白していた。そして信仰を持ってからおかしなことに気がついた。30年以上も憎んでいる人のことを思い出すと、憎んでいるということがとても心苦しくてしかたがない。

キリストは私達の罪を赦すために十字架にかかられた。それを信じることで私は罪を赦してもらっているのにその私は赦せずにまだ憎んでいる人がいる。

どうしたらいいだろうか。このままではいられない。赦されたのだから赦すべきだろう。でも赦す事ができない。どうにも苦しくて仕方がないので部屋に独りでいるとき泣きながらこう祈ったのだった。

「主よ、私には憎んでいる人がいます。それが罪であるとわかっています。でもどうしても赦せません。苦しくて苦しくてしかたないのです。でもあなたは私の罪を全て赦してくださった。だから言葉だけでも言います。本当はそんな気持ちないけれど言います。その人を赦します。」

言い終えたとたん、フッと、心が軽くなった気がした。
そしてしばらくたってみて気がついた。あの出来事を思い出すたびにどろどろとした嫌なあの感覚が今はまったくよみがえってこないのだ。嫌な出来事があったことは事実としておぼえている。でも憎しみがまったくなくなってしまった。消えてしまったのだ。

信じられなかった。何十年も自分を苦しめてきたその嫌な思いがいくら思い出そうとしてみてもわいてこない。今度は別の涙がこみ上げてきて後から後からあふれてくる。その気持ちをなんと表現したらいいかわからない。うれしいような、すがすがしいような、感謝にあふれたそんな気持ち。
ただ主に感謝するのみだったのだ。
私の心の中に起こった奇跡だった。

この状態をよくあらわしている聖書の御言葉がある。

「もし、私たちが、自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(新約聖書ヨハネの手紙第一1章9節)

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に終われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷ゆえに、あなた方は、癒されたのです。(新約聖書ペテロの手紙第一2章24節)

こうして私は救っていただいた。神様からの一方的な愛で。友人のブログでこの「救い」という言葉について次のように書かれていた。

「旧約聖書の中で現されるこの「救い」というヘブル語は「赦し」という意味と「
担う」という意味があるそうだ。救われるということは変わったということだけじゃなくて、赦し、与え、そして、担ってくれるという意味がある。なぜならそれが、神様の姿だから。」

「赦せない」という思いは誰の心にも「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な欲の表れではないだろうか。赦せないという気持ちは仲たがいを起こし、殺人をおこし、国と国であったなら戦争をひき起こすのではないだろうか。

人の心に必要なのは「デス・ノート」ではなく「赦す気持ち」だと思う。自分の思い通りに人を死に追いやっても心の中は暗闇のままだ。憎しみに支配されてずっと闇の中をさまようばかりなのだと思う。

それだけ「赦す」ということは「赦して下さい」というよりも難しいのではないだろうか。

私はただ主に感謝するのみだ。自分ではどうにもできない事をただ主の恵みによって闇から救われたのだから。

私の心の中からデス・ノートは消滅してしまったのだから。。。

調子いい!

2006-11-20 23:39:07 | Weblog
左手の腫れも引きました。
痛みもありません。
そろそろ楽器の練習をしてもいいということになりましたよ。
やったー!

でもテーピングは練習の時もしなければならないそうです。
練習しながら痛みが出ないかどうか見ていくのだそうです。

早速練習です。練習不足はすぐに音に出ますな。。。
リングキーがしっかり押さえられないので音がクリアじゃない。指先に必要以上に力が入ってしまう。。。。う~ん。あせる。あせってもしょうがないけど。。。調子に乗ると1時間2時間吹いてしまいそうだから今日は30分くらいでやめておいた。また手が痛くなったらかなわないからなぁ。

でも、うん、調子いいです。
皆さん励まし、お祈りありがとうございました。

左手のありがたみ

2006-11-15 23:07:33 | Weblog
左手の親指、あきらかに腫れているのがわかる。
痛いので曲げられない。

という事でやっぱりお医者に行きました。


レントゲンで骨に異常がないことがわかってほっとする。
お医者の話では「何らかの負担が親指にかかってたんだろうねぇ」という事だった。が、そこが思い浮かばない。

物理療法のリハビリ室では「原因がわからないからどこがわるいとはっきりいえないんですよ~。」私もわからないからしょうがない。

低周波、温水療法?(手だけのジャグジーのお風呂みたいで、これはちょっと気持ちいい。しかもゲルマニウム入りなんだって。)の後テーピング&湿布されて包帯でぐるぐる巻きになった。包帯されるとなんだか大怪我しているみたいで気が引ける。なんだか変な感じだ。

帰るときは雷雨、どしゃ降りでひどい状態の時だった。傘をさすときもなんだかこの手だとぎこちない。

買い物袋をもつときも、食器洗う時も、洗濯物干す時も割と左手の親指って使うのね。利き手は右手だからそんなに不自由しないと思ってたけど、これが結構左手が利かなくなるだけでちょっとした不自由。


動かすと痛いときに限って無性にフルート吹きたくなる。
こんなになってはじめて知る左手のありがたみ。。。。。
神様はそれを教えてくれたのだろうか。。。。



あれ?おかしいぞ。

2006-11-15 13:52:54 | Weblog
昨日から、左手のおやゆびがおかしい。

親指の付け根が痛いな~と思って、寝る前にインドメタシン配合のなんたらかんたらローションをぬって寝たのだけど、今日になったら親指が腫れていた。

そのうち治るかな~なんて思っていたのだけど(できるだけ医者には行きたくない・・・・)、やっぱり痛いわ。

でも、何で痛くなったんだか全然覚えがない。どこかにぶつけたでもないし原因不明。。。傷からばい菌が入ったとかじゃないと思う。親指を酷使していたわけでもないし・・・。

ああ、でも家の事をしていたらやっぱりいたいのね。布団の上げ下ろし、食器を洗う時、なんだかんだいってつかってたのかな~。

フルートの練習もしなくちゃならないのに。。。来月には発表会がある。生徒さんの練習の時だけでも伴奏をしてあげたいからピアノの練習もしようと思っていたところだったのに。。。そういうときに限ってどうしてこうなるんだか・・・。

痛いなぁ~。どうしよ。。。。





みんなでランチ!

2006-11-13 23:33:58 | Weblog
今日は20年ぶりに懐かしいOL時代の友達に会った。彼女は国際結婚し、アメリカにわたってからずぅ~とあっていなかったのだ。彼女もすっかりお母さんになっていて、女の子を2人つれてきていた。2人ともお人形さんみたいにとってもかわいい!日本語も流暢に話していてびっくり。普段の生活で彼女はだんな様とは英語、そして2人の娘さんとは日本語で話しているという。よほどのことをしないとバイリンガルにはなれないと思う。彼女のがんばりが目に見えるよう。

そして久しぶりの帰国にOL時代の親しい人が集まりちょっとした同窓会ランチになった。今日は次男も開校記念日でお休み。私だけ美味しいものを食べに行って次男を置いていくのは気が引けるので今日は次男も一緒に連れて行った。

場所は池袋のメトロポリタンプラザ8Fにある「花回廊」というお店。
創作鮨のお店で女性にうけそうなすごくきれいな花で飾られたお店、花の細工鮨コース、食前酒も紅茶のカクテルとか・・・美味しかった!(また店内の花のオブジェは、華道家の假屋崎省吾氏がプロデュースしているそうだ。 )

OLの頃の話で盛り上がる。
私が勤めていたのは某カメラ会社。
みんなそれぞれ同期入社の人の話や、仕事でのこと、旅行でのこと、飲み会での事、あだ名の事(私のあだ名はイルカだった)とか・・・・。笑いが耐えなくて楽しい時間はあっという間だった。あ~、久しぶりにおなか抱えて笑った。

みんなそれぞれ仕事を変えたり、家庭を持ったりしているけど、みんなかわらない。みんなとあったらもうOL時代に戻っちゃうんだもの。お昼食べたらそれぞれの部に帰っていくみたいな・・・。あの頃何気なく生きていたようだけど、すごくいい時間だったんだよね。また時々はこういう時間もちたいねということで今日の同窓会ランチはおわりになった。

私は楽しい時間を過ごし、次男は上品なお料理に舌鼓。あ~、楽しかった。




やさしいアルバ

2006-11-09 22:01:37 | 我が愛猫たち
明け方、怖い夢を見て自分の悲鳴で目が覚めた。
何かで知り合って親しくなった人が目の前で殺されそうになる夢。何でこんな夢見たんだか。

ふと、部屋の隅っこで寝ていたアルバと目が合う。アルバも私の悲鳴で起きちゃったんだね。時計に目をやるとまだ一眠りできる時間。気を取り直して寝なおす。

するとアルバがとことこと私のそばまでやってきてちょこんと座った。
そして、ごろごろといいながらぬれた冷たい鼻を寝ている私の鼻にちょんとつけるとまた私のすぐそばに丸くなって寝た。

なんだろう。今の。
「だいじょうぶだよ。」の意味なのかな。
「そばにいてあげるよ。」なのかな。

いつもアルバは何を考えているんだろうと思っていたけど、なんとなく心が通じ合ったみたいでうれしかったな。思い過ごしかもしれないけど・・・。

アルバのごろごろをきいていたら安心して眠る事ができた。
(写真はちょっと前に撮った写真、今はもうちょっと大きくなったよ。クリックするとおおきくなるよ。)

今日は眠かった。。。

2006-11-08 22:47:14 | Weblog
というのも昨日の晩いろいろとあったからなのだ。

11時半頃、お風呂に入っていたのだけど、通気口から外の放送が聞こえてくる。それも結構大きい音。聞いてみると地域の迷子放送のあの感じ。こんな時間に迷子かな?認知症のお年寄りでいなくなったひとでもいるのか・・・。

すると次男が「お母さん火事だって言ってるよぉ!どうしよう!!」。「ええ?!」よ~く聞いてみると、「キンコン、キンコン、火災が発生しました。避難してください。キンコン・・・火災が発生し・・・ください。」ゲー!こんな時に火事なんて勘弁してよね。

でも、うちのマンションの火災ならあのジリリリリリッとという火災警報が鳴るはず。怖がる次男にそう話してすぐにお風呂から上がった。

放送はどうも小学校から聞こえてくるようだ。長男と次男が通っていたその小学校は空き地を隔ててすぐ隣にある。夜中の12時近くなっても放送はやまず、うるさくって気になって寝られない。誰か夜中に進入して警報を鳴らしたのか・・・・それとも・・・・?どっちにしろ迷惑な話だ。マンションの住人達も気になるのか様子を伺う人が何人かいた。12時少し過ぎた頃放送が止まった。。

火事がなかったから本当に良かったんだけど、あの放送、火災の避難勧告にしてはなんとものんびりした放送だったな。「火災が発生しました。・・・(間)・・・非難してください。」じゃあなんだか現実味がないというか・・・。「火事だぁ~!みんな逃げろ~!」ぐらいのほうがいいんじゃないのか・・・・。

それから目がさえちゃってね。いつも夜中の運動会のアルバと遊ぼうかとおもったけどめずらしくねていたのでネットオークションの画像を見まくっていたのだった。気がついたら2時。だから朝も目がさめないったら・・・昼間も眠たいし・・・。という一日だったのだ。。。。

風邪ひいたけど・・・・。

2006-11-04 23:57:19 | Weblog
風邪をひいた。
昨日から不調だ。昨日は長男の高校の文化祭。親の会もコーヒーハウスを開く事になり、私も手伝いしていた。手伝っているうちに鼻がぐしゅぐしゅになっていき、のどは痛い、リンパ腺のあたりも痛い。もう気分は最悪に。そして今日は咳がひどい。2日間お手伝いにいこうと思ったけどさすがにだるくて今日はお休みさせていただいた。

うちでは次男が風邪をひくとたいてい次は私がひく。そして長男にまわる。大体家のものが1人ひくと回りまわっていくものね。でもだんなはひかない。。。

これが実に厄介だ。
丈夫である事はとってもありがたいのだけど、自分がひかないので風邪でくるしいのがわからない。咳なんかしようものなら「うるさい」だもんね。だからいつも「なんで大丈夫って言ってくれないの!きいぃぃ~!」なんてことになる。

ところが今日のだんなはちがう。

薬のせいなのかやたらと眠ってしまう私に
「眠ってたの?あ、いいよ、いいよ、ねていなさい。」
医者から帰ってきたら部屋がきれいに掃除されていた。

お昼ごはんの後も夕飯の後の洗い物も全部やってもらっちゃた!

ありゃりゃりゃりゃ、どしたの?だんな。

そりゃあ、ひどく寝込んでいる時はそういうときもあるけどさっ。風邪くらいだといつも不機嫌になるのに。今日のだんなはやけに機嫌がいい。もともとまめなひとなんだけどね・・・。
変なの~。

でも、ちょっとうれしかったり・・(すごくうれしかったりする・・)。
ありがとね。。。。えへへ。