風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

洗礼(バプテスマ)を受けるまで

2006-04-30 20:37:03 | キリスト教(証)
もう受洗(洗礼を受けること)して5年になる。

もう一日たってしまったが29日は私とだんなの洗礼記念日だった。そのときの牧師先生には「ご夫婦そろって救われるのは珍しいケースですね。」といわれた。5年前のその日、私たちはアメリカの現地教会の会堂を借りて浸礼という全身を水に浸す洗礼を受けた。本当にそこにいたるまで導きがあったとしか言いようがない。

これは洗礼の証(神様が自分に何をしてくださったのか、どんな風に変えられたのか)である。

当時はだんなのニューヨーク赴任に伴い、家族はなれないアメリカでの生活だった。この赴任をさかいに何か大きな力が働いているように感じた。そう思うのはこのころの私には長男の発達障碍をめぐって数々の出会いがあったからだ。

当時は現在のように発達障碍が話題になるような事はなく、発達障碍から来るいろいろな行動も本人のわがまま、しつけのなっていない子、親が神経質になりすぎて、または愛情をかけないから問題をおこすとして見られるのが常だった。ということでアメリカの現地小学校でも、日本語補習校でも指示に従えない、集団行動ができない、生徒とのトラブルという問題行動がみられたのだった。

なぜトラブルばかり起こるのか悩んでいた渡米直前、アメリカ人英語講師との出会いがあった。この人には発達障碍がある兄弟がいたので長男の行動を見てすぐにわかったようだ。彼は私に長男には発達障害があるかもしれないこと、そして、アメリカにはそれに応じた教育システムがあるので心配しないようにといってくれた。「星の降る日に生まれた子」の最後に書いた言葉「彼はstrangeではなくspecialなんだよ。」といってくれたその人である。

こうして渡米し、長男の障碍が立証されると今度はこれからどうなっていくのか不安でしかたがない。そんな時に次男のナーサリースクールの校長先生との出会いがあった。彼女には発達障碍の孫がいて、私の事情を知るとこれから投薬治療を行う可能性があること、発達障碍の本を貸してくれたり、親にも精神的な助けとなるようカウンセリングの必要があるなどいろいろと親身になってくれた。

がしかし、英語だけのやり取りは非常に疲れる。自分の気持ちをうまく言い表せないジレンマ、周りの日本人コミュニティに長男のような子供を持った方がいないので、家にこもる毎日。そんな中、日本語補修校をつづけることは難しいと担任に指摘される、補習校の山のような宿題にかかりきりになると次男をかまってやれない。だんなに頼りたいが帰りが遅い。帰ってきたところでつかれきっている。おとなしい次男は文句も言えず、彼もまた英語づけの異文化と戦っていたのだろう。かわいそうに、当時4歳の次男である。いつしかチック症状が出始めていた。家族の時間をもっと大切にしなければと、結局長男の日本語補習校はやめることになってしまった。

その補習校の最後の日、私は補習校の安全当番で学校にいた。ほかのお母さんたちと一緒に話をする中、長男の障碍の話をすると「あら、うちの息子も同じよ。」という方がいた。明るく気さくな彼女はどこかひきつけられるところがあった。その方は牧師先生の奥様だったのだ。事情を知った彼女は家まで来てくれて長男のために祈ってくださった。そのころの私は何かこの祈るということに対して違和感があり、「祈ってもらっても・・・。」なんて思っちゃったりしたものだ。
彼女は教会案内を置いて帰っていった。「教会なんて絶対行くもんか。」でもなぜか、この教会案内は捨てられなかったのだった。

息子に障碍があることはわかった。でもどうしたらいい?と考えていたときタウンの英語教室でブラジル人の女性と知り合った。彼女には両足に障碍がある息子さんがいて、ある日、英語の発表の時間その息子さんについてこういったのだ。「I'm proud of my son. I'll give him all my life.」その言葉に私は非常にショックを覚えた。自分の障碍とは別のものだけれども彼女は問題に真っ直ぐにむきあっている。一人の母親としての生き方を見せられたような気がした。

このころになるとこういう出会いが偶然とは思えなくなってきていた。これらの人たちは私が探し当てて会ったのではなく、自分が苦しみの中にいて助けてほしいと願うとき、助けてくれる人が、何かを知らせてくれる人がまるで必要に応じて現れる、そんな感じがしたのだ。それもその人たちには偶然にも発達障碍や何らかの障碍がある家族がいるのである。出会いが与えられているように感じ、何かを教えられているように感じたのだった。

長いので次回に続く。

「ぼくはうみがみたくなりました」の映画化を応援しよう!

2006-04-28 18:24:14 | 
「ぼくはうみがみたくなりました」(山下久仁明著、ぶどう社発行)という本がある。

この本は自閉症の青年が主人公の小説だ。この本の著者山下さんは実際に自閉症のお子さんの親御さんでもある。町田おやじの会のメンバーとともに障碍児の放課後活動の場「フリースペースつくしんぼ」を立ち上げた、その代表である。また、日本シナリオ作家協会会員でもある。

話の内容はこうだ。
看護学校の学生あすみはある日知り合った青年を「海を見に行きませんか」と誘った。しかし、同乗した彼は名前も言わない、一言もしゃべらない。こんなことなら1人でくればよかったと思っているところへ老夫婦と知り合いになり、4人の旅が始まった。その中で青年が自閉症であり、その自閉症というものがすこしずつわかってくるのであった。

読んでみたい人はこちらで立ち読みできます。

さて、本の感想など。
一挙に読んでしまった。それだけ引き込まれる作品だ。誤解されがちな自閉症を自閉症の当人がどんな状態にあるのか、また親、兄弟、教育者、第3者の視点でわかりやすくまた、細やかに描かれている。また小説としても展開の面白さがある。時に泣かされ、笑わせられ、この後どうなるのだろうとどきどきさせられる。最後は感動ともにさわやかな風まで吹いてくるような上質な小説である。自閉症を知らない人が読んでも楽しめる内容だ。

この本を読んだ人たちが映画化を望むのもうなずける。山下さん自身も映画化ができたらという思いがあったようだが、このほど、ついに映画の自主制作の方向で動いている。しかし、この話が動き始めるまでにあまりにも悲しい出来事があった。(ご自身のblog「自閉症の小説!?」にこの経緯がしるされている。)

そして自主制作のため資金を集めることからはじめている。もし、興味のある方、カンパをしてもいいという方はこちらをご覧ください。

「ぼくはうみがみたくなりました」製作準備実行委員会&応援サイト

誤解されがちな自閉症の世界をもっと世の中に知ってほしい。差別や偏見は無知から来るものだと私は思う。どうかこの小説が映画化されてもっとお互いを理解し尊重するような社会づくりに用いられていくようにと祈るばかりだ。

久しぶりのでるでるちゃん

2006-04-27 00:16:12 | 我が愛猫たち
内視鏡検査の帰り道、久しぶりに近所の飼い猫「でるでる」を見た。

場所はでるでるのテリトリーの空き地。どうやら今度はつぐみを狙っているらしかった。

でるでるが抜き足、差し足、忍び足でつぐみに近づく。
つぐみは足早にテテテテテと逃げる。この繰り返し。そのうちでるでるは飽きたらしくその場ちょこんとお行儀よく座ってこちらをじっと見ているので、「でるでる、おいで」と呼んでみた。

そうしたらやっぱりくるんだな。かわい~い。ごろごろ言いながら足元に擦り寄ってきた。足元で何回もころんころんとひっくり返り私の手にじゃれついていた。そしてお約束の猫パンチ!そんなことをして、しばらくでるでるとあそんでいた。私が「ばいばい、でるでる」とさよならしてもしっぽをぱたんぱたんとしながら悠々自適なでるでる。

飼い主に大切にされているのだろう。毛並みがきれいだ。顔立ちもとても美人である。これだけ人懐こいところを見るとこの猫は人間へ信頼しているんだろうな。
とにかくでるでるはかわいい。あ~うちの子にしたい!でるでるは私にとって癒し猫なのだ。

内視鏡検査

2006-04-27 00:10:47 | Weblog
胃の調子が悪かったのでやってきましたよ、内視鏡検査を。

普通、内視鏡というと口からなのだが、かかりつけのお医者によると、最近は鼻から入れるほうが楽なのだそうだ。楽ならそのほうがよろしということで鼻からになったのである。

内視鏡の管は口に入れるタイプよりもっと細い5mmの管だった。若干細いけど・・・それを鼻から・・・やっぱ太いよ、先生。

それで、まずは麻酔から。
麻酔は何段階かに分けていた。
まずどろっとしたシロップ風の麻酔剤を飲む。
今度は鼻に麻酔液をたらす。
その次は鼻に麻酔液をスプレーするのだ。

この後が悪かった。のどから鼻の感覚がなくなってくるとともになんだか苦しい。気のせい?そのうち動悸が激しくなり・・・血の気がだんだん下がっていくような、気が遠くなるような感じがする。これってパニック障害の発作と同じ症状。もう苦しくて仰向けになってられなくなってきた。

すぐさま看護婦さんにその旨を伝える。はぁはぁやっと息をしている私のそばでお医者と看護婦がどの段階でこうなったかを話していた。どうやら3番目の麻酔が良くなかった?らしい。しかも2回するところこのような状態になったので最後の1回はしないことになった。看護婦さんに背中をさすったりしてもらっているうちに息苦しさはなくなっていった。

いざ、検査室へ。鼻から管が入れられる。痛いよ・・・。しかものどのところを通過するときもちょっと痛かった。以前、口から入れたときの検査ほどは苦しくなかったが、やっぱり吐き気があり、しかも吐こうとするとものすごいゲップがでてしまう!涙はぼろぼろでてくるし、やだぁ~~~。きっとすごい顔だったと思う(爆)。こんな状態だったが自分の胃の中はばっちりみた。

おおおおぉ、これが私の胃なのか・・・。ピンク色できれい。お医者はいろいろな角度で胃の中を見せてくれる。すご~い!胃の中。

結果は心配なし。胃の中が少し荒れている状態だけだった。
よかった・・・・。父が胃がんで亡くなったために少し心配だったのだ。

その後、胃の調子も元に戻ってきた。
皆さん、ご心配かけましたがもう大丈夫です!

でも、内視鏡検査はもうこりごり・・・。

誕生日

2006-04-23 23:10:32 | Weblog
朝、教会に行くと週報をいれるボックス(信徒は各ボックスがある)の中にバースディカードが入っていた。
そうです、今日は私の誕生日。ああ、また、1つ年を・・・

カードを見ると牧師先生ご夫妻からであった。花柄のとてもきれいなカードはきっと奥様のお見立てだろう。うれしかった。

また教会には同じ誕生日のS兄弟(クリスチャンの男の信徒)がいる。S兄弟には「お互いがんばって生きていきましょう!」と力強いエールを送られた。

教会から帰ってきたら今度は留守電に母からのメッセージがあった。

「お誕生日おめでとう。ちょうどパスピエちゃんが生まれたころだなあなんて思い出してたんだよ。言葉だけだけど。じゃあね」

昨日のこともあったのでちょっとうるうるしてしまった。

それにしても、お母さん・・・まだ「ちゃん」づけなんですね・・・。
ちょっと恥ずかしかったり・・・。

今日のだんなはまた、いつぞやの掃除奉行に早代わり。「今日はママの誕生日だからお前たちが掃除、片づけをしろ」とてきぱきと指示。そしてだんなは夕食の買出しへ。今日の夕食は私が作らなくてすんだ。
おほほほ~、今日の私は女王様ですわよ。楽させてもらっちゃった~。

神様、母を家族を友人を兄弟姉妹ありがとう!をという一日だった。

父の七回忌

2006-04-23 01:17:57 | Weblog
22日はは父の七回忌の法要があった。私たち家族にとってこのような法要はクリスチャンとしてどのようであるべきかと問われる場となる。

なぜなら、拝む、線香をあげる、焼香をする=礼拝することなので私たちの礼拝の対象がイエス・キリストとはっきりしている以上このような行為はできないからである。(と私たちは思っている。)こういった行為がしきたりを重んじないとお叱りを受けることになる。だからといって故人をさげすんでいるわけではけしてないのだ。焼香する皆さんと同じように故人を大切に思っているわけだがここら辺の理解をどう求めたらよいかといつも考えてしまう。

しかし、同じクリスチャンでも一緒にお経を唱えたり、焼香をするが心で主に祈るという人もいると聞いたことがある。でも私達の礼拝の対象がイエス・キリストであり、信仰生活を続けていく中で主がどのような事を私達にしてくださったか、どんなに私達が変えられていったかを考える以上は、私にはとてもできないと思ってしまうのだ。

だから今日も焼香は遠慮し、父のことをあれこれ思いをはせながら、主に向かって祈っていた。もちろんだんなも子供達もそのようにしていた。

そして、お経が終わり法話になった。
「南無阿弥陀仏」は呪文のようなものではなく「阿弥陀如来を礼拝します」という意味であり、故人は極楽浄土にいるので故人のためでなく自分のために、仏となって現世に生きる私達を導いてくださるおじいちゃんありがとうという気持ちをこめて唱える、そんな話をしていたと思う。

そのうち焼香の話になった。なんかこのあたりからこれは私達に向けていってる?と感じられる住職の話し方。焼香は自分が汚れているから仏様の前に立つ礼儀作法としてやっているということを話し、「さっき、お兄ちゃん焼香しなかったでしょ。ちゃんと見てたんだからね。」と長男にふってきた。(ここのお寺さんでは阿弥陀如来の前に座らないで横で座ってお経を唱えていた。だから当然焼香している人の姿は見えるのだ。)

住職としてみれば自分を導いてくれる仏さんに対して焼香もしないのをけしからんと思ったかもしれない、長男はぶっきらぼうに見えてしまうところもあり、はたから見たら反抗期の高校生で「焼香なんかやってられるか」というようなふてぶてしい態度ととられたのかもしれない。

あ~!ご住職!完全に誤解してる!?
そこで私が、「あの~、私達は神に仕えているので焼香はできないんです・・。」
気が動転していた。なおも焼香は礼儀云々と続けるご住職の話をさえぎるのは気が引けたが、「焼香をするということは私達の考えでは礼拝することと同じなんです。ですから・・・申し訳ありません。」

声はふるえるし、しどろもどろ、心臓はどきどきになりながらこれだけをやっと言えた。本当はイエス・キリストを礼拝しているとはっきり言いたかったし、故人のことはとても大切に思っていると付け加えたかったがそれ以上言ったら泣きそうだったのでできなかった。私の頭の中は聖書の御言葉の「私と私の家族は神に仕える」がぐるぐるまわっていた。

そこでご住職は「ああ、そうか、でも、そうだな・・」と納得し、「ごめんね、お兄ちゃん」と。でもご住職は何かまだいいたそうだった。すごく気まずい雰囲気だった。ご住職の言いたいこともわかる。でも私が言ったことでキリスト教を誤解したら嫌だなぁ。

終わってなんだかどっと疲れた。胃も縮む思い。何よりもショックだったのはご住職と私のやり取りの最中、隣にいた母の涙を見てしまったことだ。あとで「お母さん嫌な思いさせてごめんね。」というと、「そんなことないよ。お前は偉いね。はっきり自分の意見を言えたんだから。」その後は長男のことを気の毒がっていた。叔母は気の毒に思ったのか何も言わない。何だかこっちが泣きたくなってきた。

その後の会食は心ここにあらず。やけに明るく母と叔母が談笑するのを何気に笑いながら聞いていたが内心早く帰りたかった。
あ~へこんだな。今日は。。。



調子わるい。。。

2006-04-20 16:46:39 | Weblog
体調わるい。。。パソコンの調子もわるい。。。

このところ、ずっと忙しかったせいかな・・・。
挿絵ライター技能認定試験中だった。試験はクライアントから注文を受けたつもりになって1週間以内に課題5作品仕上げるというもの。仕上げることはできたが自分の満足のいく作品ではない。多分落ちるな・・・。ということでもうずっと寝不足状態。もう作品直す体力ないですわ・・・。

胃が痛い。胃液が逆流してる感じがする。あんまり痛いので午後医者に行こうと思ったのに今日は午後休診だった・・・本当に間が悪いんだから・・・。

パソコンは一度壊れてるからなぁ。カチャカチャ、キュー・・とか変な音してるし、多分もうすぐ壊れるでしょう・・・。今度書き込めるのいつになることか・・・。

続イースターと虹の夢

2006-04-13 15:06:57 | キリスト教(証)
続きだよ。

ただ、ただ、長男の精神状態が心配だった。普段から不安の強い子なのに先の見えないことに苛立ちと不安、そしてドクターからは別の薬の効果を見るため、退院が延びることを知らされた。当初3日といった学区の精神科医への恨めしい気持ちと何とかここから早く連れ出そうと考え、牧師婦人の通訳のもと「3日と聞かされていたこと、もうここから出られないのではないかとても不安がっていること、そして何より彼にとってここはバイリンガルの環境でこれ以上は無理だ」ということを話してもらった。しかし、薬を安全に使うためにどうしても様子を見なければということで状況は変わらず。

学校に知らせに行くとスペシャルエデュケーションの先生が「彼はどう?」と聞いてきた。私はできる限りの英語を並べ立て思わず攻めるような口調で彼女に言ってしまったのだった。「まるで実験用のマウスよ!!かわいそう過ぎる!」と。「何ですって!?」「実験用のマウスだといったのよ!」「ああ、お願いだからそんなことは言わないで・・・彼にとっていい結果が出るはずだから・・・。」後は2人とも嗚咽するばかりだった。こんな失礼な私に彼女はつらい時があったらいつでも電話をかけてきてと電話番号をわたしてくれた。

ちょうどそんな事があった時、私は夢を見た。黒い雲の中にぽっかりと浮かぶ虹の夢を。なぜだかこの夢が特別なことのように思えてしかたがなかった。聖書には創世記9章にノアの家族を祝福し「けして滅ぼさない」という契約としてこの虹を立てる話が書かれている。

「私は雲の中に、私の虹を立てる。それは私と地との間の契約のしるしとなる。私が地の上に雲を起こす時、虹が雲の中に現れる。私は、私とあなた方との間、およびすべて肉なる生き物との間の、私の契約を思い出すから、大水はすべての肉なるものを滅ぼす大洪水とはけしてならない。虹が雲の中にあるとき、私はそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(旧約聖書創世記9章13~16節)

他に虹はエゼキエル書1章28節では神様の栄光を描写として、また、ヨハネの黙示録などでは、天の栄光としての描写がされている。

また、雲は神様の存在を明かしたり(出エジプト記)、隠したりするもの(マルコの福音書9章、使徒言行録)として聖書で語られている。

私はこの夢を神様からの励ましとして捉えた。そして「早く帰りたい、もしかしたらもうここから出られないかもしれない」と不安がる長男に「こんな虹の夢をみたよ。聖書では神様はノアにもうけして滅ぼさないと契約の虹を立てられたんだよ。きっと、もうこんなことは決してない、絶対あなたを見捨てないって神様は励ましてくれているんだよ。」

あまり私的な解釈をしてはいけないがとにかく希望を持たせたかった。でも事実そう思えたのだった。

病院滞在中は子供聖書物語を読んだり、もともとおしゃべりな子なのでスタッフと話したりしたようだ。日本食が恋しいだろうとおにぎり、から揚げ、味噌汁を持参して家族で食べたりした。そうしているうちに「あの子はもう一ヶ月もここにいるんだって」と他の子供を気遣う気持ちも出てきていた。教会では祈り会で姉妹達が長男のために熱心に祈ってくれた。

そしてイースターの日になった。礼拝後、家族で長男にに会い行く。その日は中庭に出ることができたので外のテーブルつきのベンチに座った。そうしているうちに長男がさめざめと泣き出した。話を聞くと今日のイースター礼拝に出られなかったのが悲しい、教会学校のエッグハント、礼拝での私のフルートの賛美を楽しみにしていたのだという。なんとなくそんなことをいうかもしれないと思ってフルートを持ってきていたので、長男だけのコンサートをした。曲はビバルディ作曲の「忠実な羊飼い」。

検査入院して10日目、やっと退院の許可がおりた。たった10日間と思えるだろうが、とても長く感じた。この事があってから長男にとって虹は特別なものとなった。どなたかが苦しみを通してでしか神様にちかづくことができないと言っていた。最初は「神様何とかしてください」と自分の利益になることしか考えないような祈りだったが、このことを通して主が私達とともにおられることを知り、祈りつつ、「すべてを神様にゆだねる」と言うことを学んだように思える。というより自然と「私はこう望んでいますが、あなたの御心のままにしてください。すべておゆだねいたします。」そのように祈りが変わっていった。

苦しい時、主は助けてくれる人を起こされ、隠れていることを明らかにする人を起こされ、支えてくれる人を起こされ、祈り捧げる人を送られた。すべては恵み。そしてかみ合わなかった家族がこの事を通してひとつになっていった。そしてもっと大きな祝福が待っていた。長男と次男はこの後、洗礼の学びを受け、帰国直前に受洗することができたのだった。(ハレルヤ!

今度のイースターサンデーには、このことをもう一度覚え感謝の賛美と祈りを捧げよう。主イエス・キリストの復活により、それを信じるものには死の先の新たな生に迎えられる希望の道が与えられている。そしてそれはすべての人に開かれている道なのである。

イースター(復活節)と虹の夢

2006-04-13 13:03:46 | キリスト教(証)
次の日曜日はイースターサンデーだ。イースターとは新約聖書、特にその中の福音書に記されているイエス・キリストが十字架上で亡くなった後、三日目に復活したという出来事を記念して行われる礼拝で、また、それを行う日曜日のことを言う。キリスト教の重要な行事である。

イースターの日付は太陰暦に基づいて決められていたため「春分の後の最初の満月の次に来る日曜日」ということになっている。だから毎年イースターの日付は変わってくる。

アメリカなどでは彩色された卵を探すエッグハントのゲームや小さなかごに卵形のチョコなどを入れてプレゼントしたりする。なぜ、卵なのか?硬いからを破って新しい命が生まれてくることから=復活の連想からきているそうだ。またイースターバニーが子供達に卵をプレゼントしてくれるという伝承から、次男がお世話になったキンダーガーテンでは子供達がいない間にウサギの足跡をつけておき、クラスに帰ってきたところで「イースターバニーがプレゼントを持ってきてくれたよ」と用意した卵形チョコを配ったりするほほえましい風景もあった。

ところで私には忘れられないイースターの思い出がある。これはまだ私達家族が滞米中で、もうすぐ帰国になるとしったばかり4年前の今頃の事だ。このころの長男はとても不安定でクラスでたびたび怒りを爆発、またそうしたことを後で悔やんでの自傷行為があった。投薬治療がうまくいってないのかそれとも他の要因があるのか知るために学区の心理学者、精神科医から児童精神科の専門の病院で「3日間キャンプに出るようなつもりで」と検査入院をすすめられたのである。

検査入院といってもその病院は丘の上にきれいなタウンハウスがあるといった所で病院のイメージは全くなかった。ここで同じようなスペシャルニーズを持つ子供達が共同生活をしながらある子供は検査入院、またある子供は問題行動を直すためにいるのである。その病院の精神科の先生の所見では長男にアスペルガー症候群が主訴にあるのではないかといっていた。この時まで長男はADHD(注意欠陥多動性障害)が主訴といわれていたのだった。長男は不安がる様子もなくナースやスタッフの人と話していたのでとりあえずほっとした。

しかし、新しい投薬治療でのだるさや検査のために採血するのがだ嫌だったこと、しかも退院の日はその結果が出ないとわからないというので不安は一挙に高まり、近くにあるものを蹴っ飛ばし帰りたいと泣き叫ぶ長男。私は「キャンプに行くようなもの」と軽々しく口にしたことを悔やみ罪悪感でいっぱいになった。長男の手を握り、説得しながら私も泣いていた。

当初3日の予定はどんどん過ぎていった。長男はその間不安が高まってどうしようもなくなるとスタッフに頼んで電話をかけてもらっていた。病院から親が毎日面会に行くことは望ましくないといわれていたので1日置きに行っていたのだ。だから面会にいけないときは長男は泣きながら電話をかけてくるのである。その気持ちを考えるといたたまれない気持ちになる。この間に教会の牧師夫妻はかわるがわる通訳として、また私達家族の精神的な支えとなっていただいた。この牧師夫妻にも同じような発達障害を持つお子さんがいたのだった。

長いので次回に続く・・・・




池袋演芸場ー続き

2006-04-06 13:42:58 | 落語
落語の続き。

夜の部に予定されていた白鳥さんが昼の部に。なんてラッキー!
噺は白鳥さんの貧乏生活時代から作ったもの。蕎麦を食べたい男がインド人の蕎麦屋に出会い、高いものを注文させられ、高いお代を払わせられる噺。

実はこの時少し息苦しかったのだ。こんなところでパニック発作はいやだ。。。少し恐怖感。。。鞄に発作時の薬があるのを確認その時のことを考えながら噺をきいていた。

でも、いつの間にか白鳥さんの話に引き込まれ、最後には大笑い。白鳥さん、感謝!!。

林家正楽さんの紙きりは圧巻!凝ったお題を出した人がいた。錦平師匠のやった「宗論」。正楽師匠「おおい、宗論、今日誰かやったかい?」裏方さんが「錦平師匠がやりました!」「そうですか・・・・。みんな知らなかったらこっちはやりやすかったのに・・・。」そんなことをいいながらできた作品は息子の後ろに牧師、父親の後ろにお坊さんが祈っている姿と言うもの。すごい!!細かい!!この方正楽師匠目当てだったようで紙きり終わったらさっさと帰っていった。

後、面白かったのは歌之介師匠。演目わからないけど。師匠の嫌いな飛行機やヘリコプターに乗った時の噺。わかりやすくて古典で難しい顔をしていた次男にも大うけ。次男には曲独楽、奇術、紙きり、津軽三味線などの演目が楽しめたみたい。

ちょっと意外だったのが、長男には最後のほうで古今亭志ん五師匠の古典落語がすごく印象に残ったみたい。気の短い男と気の長~い男の会話。そのやり取りが面白かったようだ。

こうして子供達とおばあちゃんの初寄席デビューの一日がおわった。
私にとっては十数年ぶりの寄席。やっぱ、寄席っていいなぁ~!
今回の寄席を教えてくれたbaianさん、満喫できましたよ、ありがとう!!