風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

シャローム・・・優しい言葉

2005-11-29 19:39:24 | キリスト教(行事、他)
中学校時代の音楽の時間だったかな・・・転校する友達のためにクラスで歌を歌って送ろうと先生が提案した。歌はイスラエル民謡で「さようなら、友達」(邦題)というものだった。そういえばNHKのドレミノテレビで歌ってたっけ。こんな歌詞だよ。

シャローム、ハベリム
シャローム、ハベリム
シャローム、シャローム
レヒットゥラーオット、レヒットゥラーオット
シャローム、シャローム

物悲しいメロディーで、シャロームとはさよならのことなんだなと思っていた。それからなぜかこの言葉が忘れられなかった。

大人になってクリスチャンになってから「シャローム」という言葉がヘブライ語で「平安があるように」という意味だと知った。新約聖書のヨハネの福音書20章19節にこんな場面がある。復活のイエスが恐れの中にある弟子たちに姿を現してこういったのだ。「シャローム(平安があるように)」。

シャロームは日常の挨拶としても使われていたが、神様に信頼しているものに内的な平安があるようにとか敵から守られ平和と繁栄あれ、などもっと深い意味があるようだ。そうすると前述の「さようなら、友達」のシャロームは単なる挨拶だけではなく別れ行く友達に魂の平安と平和と繁栄を願う言葉となる。

また捕らえられることの恐れと主イエスが捕らえられた時に逃げてしまった自責の念、十字架にかけられ、イエスを失ったことへの絶望の中にある弟子たちにこの言葉がかけられた時、弟子たちはどんなに心強く、赦しを確信し、安心したことだろう。

どちらの場合の「シャローム」も愛と慈しみを持って相手を思いやる深い祈りの言葉だと思う。ユダヤ人の歴史を考えていくともっと意味に重みが増してくる気がする。
「シャローム」・・・なんて優しい響きだろう。

私はこのごろ思いやりを持って言葉がけをしてたかな。ちょっと反省。
それではパスピエから愛を込めてシャローム!

アドヴェント・・・クリスマスの本当の意味

2005-11-28 00:10:24 | キリスト教(行事、他)
この頃、街はすっかりクリスマスの飾りつけ一色になったよね。教会では27日からクリスマスの日までの期間アドヴェント(待降節)に入ったよ。

アドヴェント(待降節)とは6世紀ごろからはじまったといわれており、クリスマス前4週間を救い主キリストがこの世にこられた意味を思い巡らし、救い主キリストの降誕を祝うクリスマスに備える期間のことだ。

私が集う教会でもクリスマスの飾りつけをしたばかり。中でもとりわけ目を引くのはアドヴェントクランツとよばれる蝋燭が5本立ててある大きなリース。

クリスマスリースには意味がある。フラワーアレンジメントなんかしている人は知っている人がいるかもね。

まずリースの輪は「永遠に尽きることのない神の愛」
  赤い色は「キリストが十字架上で流された血の色」
  白い色は「神の聖さ、十字架による罪の許し」
  金や銀は「王としてこられるキリストにふさわしい色」と考えられている。

今日から日曜日の礼拝ごとに1本ずつこのアドヴェントクランツに点火していくのである。もちろんこれにも意味があるのだ。クリスマスの本当の意味が。

1本目のキャンドルー「約束のキャンドル」
    旧約聖書に出てくるアブラハム、イサク、その他のイスラエルの人々への
    神様の約束を象徴している。

2本目のキャンドルー「預言者のキャンドル」
    来るべき救い主を預言したイスラエルの預言者を象徴している。

3本目のキャンドルー「バプテスマのヨハネのキャンドル」
    イスラエルの民に救い主がもうすぐ来られると告げた洗礼者ヨハネを
    象徴している。

4本目のキャンドルー「マリヤのキャンドル」
    救い主が生まれると御使いが告げたよき知らせを、マリヤが信じて喜んだ
    ことを象徴している。

5本目のキャンドルー「イエス・キリストのキャンドル」
    クリスマス当日に点火される真っ白なキャンドル。イエス・キリストが
    世の光であることを象徴している。

こうして何世紀もの間救い主の誕生を待ち望んでいたんだ。教会ではクリスマスキャンドルライトサービスやクリスマス礼拝がもたれる。もし本当のクリスマスに興味がある人は行ってみるといいよ。信者じゃなくても大歓迎だし、変な勧誘はないよ。

ジジハム

2005-11-24 23:05:35 | 虫、植物、動物、自然
我が愛ハムのジジを紹介しよう。
息子が誕生日にゲットしたのだが、このハムちゃん性格がきつくてきつくて・・・・。
とにかくなつかない

よし、私が手乗りハムにしようではないかとハム好き仲間にいろいろとなれさせるコツを聞いて・・・。それでもだめだった・・・。
「ジジッ、ジジッ」と威嚇する。 そう、ジジの名前はこの声から。

最初はかわいい名前がついていたんだよ。「マフィ」とか「チャビィ」とかさ。最初はハムが落ち着くまでと気を使っていたのにさッ。

私は割りと動物には好かれるほう?だと思う。ご近所の犬猫ともすぐ仲良くなれる。自称動物使いだったのにジジのせいでプライドはずたずたさッ。と、すねていてもやっぱりかわいいジジ。

それでかわいいジジをカメラに収めようとしているのに、これがうまくいかない~。ゴキブリのようにかさかさと動きまくる~!動くな~、ジジよ!

で、やっとこの写真さッ。

君は愛されるため生まれた

2005-11-22 23:25:49 | 音楽
この歌をご存知だろうか。「君は愛されるため生まれた」。
イ・ミンソプさん作詞作曲の韓国生まれのゴスペルである。

曲も聞いていて心地よいし、歌詞がとってもいいんだな。悲しい殺傷事件が起こった長崎ではこの曲が癒しの曲となって静かなブームを呼び、この歌を口ずさんでいた子供たちから先生へ、他の人々へと次々に広まって行ったそうである。

あのヨン様もお気に入りだとか。まずは歌詞を読んでみて。

君は愛されるため生まれた、君の生涯は愛で満ちている
 君は愛されるため生まれた、君の生涯は愛で満ちている
 永遠の神の愛はわれらの出会いの中で実を結ぶ
 君の存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう
 君は愛されるため生まれた、今もその愛受けている
 君は愛されるため生まれた、今もその愛受けている


旧約聖書イザヤ書43章4節にはこんなことばがある。

「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」

神様は今のままの、そのままの自分を丸ごと受け止めそして愛してくれている。レッテルを貼りがちな世の中、協調性や集団が変に美徳化されているような気がしてならない。みんながしていることから離れたり、できなかったりすると愛される資格はないのか。そんなことは決してない。

「神様に愛されるのに特別な資格や条件なんか要らない」

この歌からそんなメッセージが聞こえてくる。

ゴスペル

2005-11-20 17:45:34 | 音楽
最近、ゴスペルがブームである。礼拝における音楽を勉強していることもあってちょっとゴスペルについても勉強してみた。ゴスペルってどんな歌だろう?

ゴスペルというと黒人のキリスト教の歌を連想する方が多いと思う。確かにゴスペルミュージックの成り立ちにおいてアメリカの黒人奴隷たちの歴史は大きな関わりがある。過酷な奴隷制度の中でキリストを信じることで心の自由が与えられ、次第に信仰を持ち自分たちの賛美歌を作っていった。これが黒人霊歌(ニグロスピリチュアル)でありゴスペルミュージックのもとになった。

黒人霊歌の歌の内容は旧約聖書出エジプト記15章の解放の歌をもとに作られたのではないかといわれている。また15章の後半には癒しの記述がある。実際にゴスペルを歌うことによって癒される人が多くいるということもありゴスペルは解放と癒しのスピリットを持つ歌なのである。

ちなみに、手をたたいたり、ハレルヤ(神様を褒め称える言葉)と手を上げるのは神様を褒め称えている表現。

現在は黒人霊歌に限らず、ポップス調、ジャズ調、ボサノバ調、ロック調ありといろいろなスタイルのコンテンポラリーゴスペルがある。時代は変わっても主に向かってほめ歌を歌う心は変わらないのだ!恵みの主にハレルヤ!

先生とよばれて・・・・

2005-11-18 16:35:20 | Weblog
4月から先生と呼ばれている私。何の先生かって?地域の音楽教室でフルート講師をしているのだ。ああ・・でも、「先生」って呼ばれるの、なんだか恥ずかしいような・・・「そんなぁ、とんでもないです。」といいたくなるような・・・6ヶ月以上たっているのにまだ慣れない。いやはやなんともである。レッスンといっても30分間、この間にどれだけ生徒の持てる力を引き出せるのか。う~ん、難しいね。私もたくさんのことを教えられるように練習、練習。

パスピエ

2005-11-16 21:51:31 | 音楽
ブログ開設、初投稿!
私のハンドルネーム「パスピエ」はドビュッシー作曲の「ベルガマスク組曲」の最終曲「パスピエ」から拝借したものである。ちなみに「パスピエ」とはフランス・ブルターニュ地方に伝わる古典舞曲のことで、直訳すると「前進する足」という意味なのだそうだ。この曲、どこかおどけた感じですごく明るい曲という感じではないのだが、それでいて優雅な部分ももちあわせている。気分が沈んだりしているとき聞いていると不思議に元気が出てくる。この曲は私にとって特別な癒しの曲でもある。たとえゆっくりでもいいからいろんなことにおいて「前進する足」でありたいと思う。