風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

映画「戦場のピアニスト」

2018-01-16 11:24:09 | 映画・演劇
FBでも紹介した映画ですがとても考えさせられる映画だったのでこちらでも。

「戦場のピアニスト」という映画見たことありますか?この作品はピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの原作を脚色して作られた映画です。

2002年公開、ドイツ、フランス、ポーランド、イギリス合作映画。ロマン・ポランスキー監督。

あらすじ。
舞台は1930年代後半、第二次世界大戦でナチスドイツの支配下にあったポーランド、ワルシャワ。ピアニストとして活躍していたシュピルマンであったがドイツ軍の侵攻によりその生活は一変、次第に状況は悪化し、ユダヤ人差別、暴力、財産の没収、そのうちワルシャワ・ゲットーと呼ばれる隔離区域に移住させられる。ドイツ兵はユダヤ人達を凄まじい暴力で支配し、おぞましいほど簡単に殺戮していく。
やがてユダヤ人達は収容所につれていかれる。その流れの中でシュピルマンはユダヤ人警察管ヘラーによりその危機をのがれるが、目の前で彼らの家族を乗せた列車は行ってしまう。その後ゲットー内での労働中でゲットー蜂起の準備に協力しはじめる。食料調達にゲットーの外に出た時、昔の知人を見かけその協力によりゲットー脱出に成功する。隠れ住んだものの、ゲットー蜂起、ポーランド蜂起はことごとくドイツ軍に鎮圧され、ワルシャワは壊滅状態になり、シュピルマンは支援者もいなくなり1人きりになってしまう。そして廃墟で見つけた缶詰をなんとか開けようとしているところへ、ドイツ軍将校ボーゼンフェルトに見つかり…

ここからネタバレ(見たくない人は見ないでね)
シュピルマンはボーゼンフェルトに尋問されピアニストであることを告げる。ボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くとその演奏の素晴らしさに感動し、彼を見逃し(もうすぐドイツが負ける事がわかっていたと思われる)こっそりパンと缶切りを差し入れ、後もシュピルマンを助けてくれるのであった。

間もなくしてドイツは負けて、シュピルマンは自由の身となる。立場が逆転しドイツ兵は皆捕まりボーゼンフェルトも捕まってしまう。捕まったドイツ兵を罵るユダヤ人にかつて助けたシュピルマンをたすけたことがある、彼に私を助けて欲しいと伝えてくれるよう懇願するボーゼンフェルトであったが彼の名は混沌としたその場の声にかき消され、結局シュピルマンは何もすることができなかった。そして平和が訪れ以前のようにピアニストとして舞台に立つシュピルマンのすがたがあった。

感想:暴力や殺戮にシーンに胸が詰まり、目を覆いたくなるほどでした。あのような戦時下の中とはいえ人間とはなんと罪深いものなんだろうと思います。人間はこれ程までに残酷になれるものなのか。追い詰められた状況下だから?自分を守るために?ユダヤ人を通報したり迫害したり、殺したりそんな人もいたのでしょうか?今も暴力と殺戮で支配する組織や国があります。きっとその中には殺されないために仕方なく従っている人もいるのでしょう。自分だったらどう行動するだろうか、信仰を守り通せるのか、と考えさせられました。

シュピルマンがボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くシーンがあります。ショパンのバラード第1番ト短調作品23が演奏されます。この曲がこの時ほどこんなにも切なく美しく心に響いたことはありません。

絶望、悲しみ、その悲しみの中に怒りがこもっているような…シュピルマンのこの戦争に対しての感情が爆発しているような演奏で泣けて泣けてしかたありませんでした。

ドイツ兵が撤退する時ボーゼンフェルトが差し入れとともに自分の外套もシュピルマンにあげるシーンでとても心に残る言葉がありました。

シュピルマン:「あなたになんとお礼をしたらいいやら…」
ボーゼンフェルト:「神に感謝を。すべては神のご意志だ。そう信じないと。」

ボーゼンフェルトの言葉に思わずアーメンといいたくなりました。

ボーゼンフェルトが助からなかったのはなんとも皮肉な事です。この映画を見たFB友がシュピルマンとボーゼンフェルトについて書いてある記事を教えてくれました。原作ではボーゼンフェルトの奥さんから助命懇願の手紙を受け取りソ連の管轄下の収容先に行きますがソ連側はここにいるのは犯罪人だけだと取り合わなかったそうです。それ以上なすすべもなくもう一度行った時ボーゼンフェルトは亡くなっていたとのことでした。シュピルマンはとても落胆したそうです。その後シュピルマンとボーゼンフェルトの家族はずっと交流があったようです。映画の翻訳の字幕ばかり追ってしまいますがボーゼンフェルトはシュピルマンに対してとても丁寧な言葉を使っていたそうです。平和…大事ですね。

読んでくれてありがとうね!

映画「海洋天堂」を見に行ってきました!

2011-08-15 23:24:16 | 映画・演劇
以前、まっぴさんから、海洋天堂のご紹介があり、ずっと見てみたい映画だったんだ。
その頃はまだまっぴさん達は署名活動中で、この映画が日本で見ることができるかもわからなかったんだよね。

(いきさつをご覧になりたい方は過去ログ、(ぼく海のコメント欄(是非見たい海洋天堂)をどうぞ!)

海洋天堂の公式サイトはこちら


海洋天堂は余命いくばくもないことを知った父親が自分が亡きあと一人になってしまう自閉症の青年が幸せに生きて行くために、生きるすべを教えて行く話。

夢物語でもないし、ただ単にいい話だけでは終わらない。親だったら誰でもそう思う。自分が死ぬ前に子供が幸せに生きて行くことに必要なすべをできるだけ教えたい、残したいと。


主演のジェット・リーはアクション俳優で世界的に有名。そんな彼が脚本を見て感動しノーギャラで出演を申し出たと言う。

これから見に行く人は下のあらすじは読まないほうがおもしろいかも。そのほうが感動するよ。



映画の冒頭は海に身投げするシーンというショッキングな場面からはじまる。

父は医者から自分ががんで余命いくばくもないことを知って、後に残される21歳になるターフーの将来を悲観してか心中を試みたのだった。でもターフーは紐をほどき、また、彼は泳ぎがうまいので助かったのだ。

父親役・ジェット・リーの優しく、何とも思慮深い表情。ターフーに日常生活で彼が独り立ちできるようにできるだけの事を教え始める。身の回りのものの置き方や、買い物のしかた、服の脱ぎ方、ゆで卵の作り方、バスの乗り降りの仕方、水族館で雇ってもらうためにモップのかけ方など。

でもターフーは急にそんな風に教え始める父親に違和感があるのかとっても不安な顔。

そしてターフーが一生暮らしていけるようにと施設探し。昔お世話になった養護施設の先生の紹介でやっと施設が見つかる。それでも最後に父親はあることを教えようとする。


でも初めて父親から離れて施設で生活するターフーがパニックを起こしてしまうところには胸が締め付けられるようだった。。自閉症の子供は感情を表現することが苦手。一見普通に見えてもふあんがいっぱいだったんだろうな。

ピエロをしている友達が巡業のため、急にいなくなってしまった時のターフーはその状況が理解できない。寂しそう。

父が亡きあと教えられたことを守っているターフーがとても健気で涙が出た。


最後に父親が教えること、息子が急にいなくなったと感じないように、不安がらないように、安心できるようにという思いがこめられているんだろうな。父の愛がものすごくつたわってきました。


もう、上映時間中ずっと感動し、泣きっぱなしだった。

自閉症のお子さんがいない人でもきっと満足できる映画だよ。さわやかで、ちょっとせつなくて・・・。
こんなにいい映画なのに東京じゃ銀座シネスイッチだけでしか上映してないのよ。8月26日まで上映予定です。皆さんも見てみてね。







マーサの幸せレシピ

2009-10-07 20:47:41 | 映画・演劇
昨日、仕事が休みだったので午後から12CHでやっていた洋画をみていた。

久しぶりにいい映画をみたな。

マーサは腕のいいシェフ。
仕事はできるけど不器用で人とうちとけられないマーサがしあわせを見つける話。

姉が死んでその一人娘を父親が迎えに来るまで預かることになり、姪との関係やシェフ仲間のマリオを通して幸せを見つけていく話。

マリオがとってもいい。
人生を楽しんでいる。彼の存在はマーサの心も姪のリナの心も開いていく。

マリオがリナとの約束で一緒に料理をつくり、マーサとともに家の中でピクニックみたいに床に座って手づかみで食べたり、ゲームをしたりと楽しい時間を過ごすんだけど、その時に流れる挿入歌がとてもよかった。

調べたら、PAOLO CONTEの「VIA CON ME」という曲だった。もうこれは絶対ほしい~。と思った。本当にイイ曲なの。

その他エンデングなどで使われるキース・ジャレットの曲「COUNTRY」。


心がせつなくなるような、だけど最後にはあったかくなるような映画だった。

中でもリナが家出をして連れ戻した後にマーサが涙ながらに語るセリフがよかったな。

「料理みたいにあなたの扱い方のレシピがあればいいのに。私は貴方のママのかわりにはなれないわ、リナ。なりたくても無理なものは無理。ただできるだけそばにいて支えになりたいだけ、わかる?不器用だからうまくいってないかもしれないけど、一生懸命努力しているのよ、信じて。」

これはいっつも長男に対して思っていることと同じ。

発達障害の子供の療育って、その子、その子、持っているスペシャルニーズが違う。だから手探りで子育てしてきた。もちろんたくさんの発達障害の書物を読んで、講演会があれば勉強しに行った。有効だと思われることなんだってしてきた。
でも先日のことのように問題は時に起きてしまう。だから問題が起こったらその都度対処していくしかない。時につらくあたってしまうこともある。

そんな時マーサのように思ってしまうのだ。

「私はいいママ(本当の親子だけど)にはなれないけどそばにいて支えになりたい。不器用だけど一生懸命努力してるのよ。わかって。」って。

わかってくれるかな。。。


「VIA CON ME」、早くゲットして聴きたいな。

映画「ワールドトレードセンター」

2009-09-11 23:40:06 | 映画・演劇
主人は見たがらなかった。


その日に彼はマンハッタンで働いており、職場からワールドトレードセンターから昇るたちのぼる煙をみていたのだった。混沌とした中いろいろなデマが流れて避難したという主人。だから気持ちが落ち込むからみたくないんだそうだ。当事者ではない私にはわからないだろうという。

私はその時、テレビでことの成行きを見守るしかなかったけど、無理だとわかっていても電話で安否をたしかめることしかできなかったけど・・・この日は特別な日なのだ。

先生に抱きかかえられて泣いていた子ども。顔見知りのボランティアの方のご主人は、飛行機の乗客とともにテロリストに立ち向かって墜落して亡くなった。


当時小学3年生だった次男もこの日のことを忘れたことはない。毎年9月11日になると「明日はセプテンバーイレブンだね。」という。今日は自分から祈りたいと言って祈っていた。

主人が眠ってからこっそり見ていたのだがやっぱり涙がでたよ。
9.11から3カ月後、私たちは家族でグラウンドゼロに祈りをささげに行った。無数の行方不明人を探すメモとキャンドル。ワールドトレードセンターの周りにはまだ粉じんがあった。当時者でなくとも何でこんなことができるのかと悲しくなった。



最後の言葉がよかったな。
「この事件は人間がどれほどのことができるのかを教えてくれた。・・・・・しかし、人間には善意があることも教えてくれた。助け合うことも・・・。」(ってかなりうるおぼえ)

本当にその善意、助け合いの精神って本当にすごいと思わされた。
どんな小さいことでも自分たちにできることで貢献しようとファイアファイターのためにランチを作った。橋に爆弾がかけられているとデマが流れて帰れなくなった人を見ず知らずの方が家に泊めてくれたとか。そしてこんなことが起こった後だからイベントを自粛しようというのではなく常に前向きなことにもびっくりさせられた。

憎しみが憎しみを生みませんように。相手を尊重し、理解する心を与えてください。9.11で傷つかれたすべての人に慰めと導きをあたえてください。


その時の様子は前記事

2つ目の記事と(9.11その日、それから)に詳しく書いています。よかったらみてください。

東京都写真美術館で「ぼくうみ」をみてきたぞ!(追加文あり)

2009-09-09 21:34:42 | 映画・演劇
草稿中のものをアップしてしまった~。以下追加文含めます。


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「ぼくはうみがみたくなりました」

やっとみてきました~!!

8月22日からロードショーだった。できれば初回に見に行きたかった。
原作者のレインボー親父さん、俳優さん達の舞台挨拶があったからね。園長役の秋野大作さん、大好きなんだ。

8月22日は法事があって益子に行っていたんだよ。それから行く機会を見つけてたんだけど忙しくて…。だけど今日はフルートのレッスンの時間が繰り上がったので「見に行ける!」と見に行ったのだった。

場所は恵比寿ガーデンプレイスの中にある東京都写真美術館の中のホール。

つつじヶ丘の先生宅から恵比寿なんてすぐなんだよね。1時間半も早く着いてしまったんで写真展をみたり、お茶を飲んだり、楽器磨いたりして時間をつぶした。

実は今日の映画も私にとってはチャレンジだったんだ。
最初のパニック障害の大発作があったのが映画館。もう大丈夫と思っていてもいつになっても映画館は少し恐怖である。それに薬の量10mg減らしてから初めての映画館だから。

でも映画始って自閉症の青年役の俳優さんのまっすぐな瞳に引き込まれた。彼らはそんな純粋な目で真っすぐに物事をみる。なんだかそれだけで涙が出てきた。

「ぼくうみ」は日本で初めて自閉症について描かれた映画である。

ドラマは「僕の生きる道」とか「光とともに」「抱きしめたい」(加瀬亮の自閉症青年の役は圧巻だった)なんかがあるけどね。映画ってなかったんだって。
自閉症のお子さんをもつレインボー親父さんこと脚本家の山下久仁明さんが一人でも多くの人に自閉症を知ってもらいたいという思いから作られた。

登場人物は看護学生の明日美、自閉症青年の浅野純一、純一の母、純一の弟、弟のガールフレンド、純一の幼稚園時代の園長先生夫婦。


あらすじは前記事をみてね。

さて、映画は本当に素晴らしかったよ。こんな言葉じゃ伝わらないくらい。自閉症青年の役の俳優さん、本当によく役作りをされていた。看護学生・明日美役の女優さんも見ていて、自閉症を知るにつれて動いていく気持ちみたいなのがよくつたわった。

私はこの映画を見ていて小さい頃の長男を思い出していた。長男はアスペルガー症候群だが、大きくとらえれば自閉症だ。(自閉症スペクトルにはいる。)

うちの長男の場合、多動(公園はフルコースやらないと気が済まない。私は常に追いかけていた。)、偏食(納豆ご飯のみ)、こだわり(水にずっと触っていること)、パニック(予期しない事には過敏に反応)、衝動性(手が出るんだ、すぐに、かみついたりね。)、そういう行動で「あなた、いったいどんなしつけしているの!」なんて言われたものだった。


そういう親の気持ち、また映画に出てくる弟の気持ち、エピソードの中でいつも兄の行動に母親は付きっきりで兄の後始末を頼まれるところがある。さびしそうなあの顔が我が家の次男の顔とダブった。長男の障害が分かり、多動が顕著にではじめたころ次男はチックになっていたんだ。割と障害者本人のことばかりとらわれがちだが兄第の対するケアは大切である。

旅館のシーンで、ある宿泊客が言う一言。あれは胸をえぐられる。「何でここにいるの?何で飯っ食ってるの?病院にいれときゃいいんだよ。そのほうが幸せだろう。」
自閉症がだんだんわかりはじめた明日美はそれを聞いてがくぜんとする。

旅先であった偶然にも純一の幼いころを知る幼稚園の園長先生夫婦。園長先生役の秋野大作さんがいい味を出している。明日美に自閉症を分かりやすく説明しているのだがみているこちらに語りかけてくる感じがする。自閉症を知らない人もわかりやすくできている。

もう涙が出て仕方なかった。ホールにいるお客は私を含めて12人くらい。みんなご家族に自閉症の方がいらっしゃるのかあちこちで目がしらをおさえたり、鼻をすする音がしていたよ。

あ、悲しい場面ばかりじゃないよ。自閉症特有の症状が結構ユーモラスに描かれていて「そうそう」とクスッとわらわせたりね。

だから見終ったあとすがすがしさが残るようだったよ。久しぶりにいい映画見た~!って感じ。パニック障害の発作も起きなかったし、それだけ映画にひきこまれたんだろうな。

この映画自閉症のこを持つ親たちがカンパをし、賛同者は1,000人を超えてやっとできた待望の映画なのだ。

親はもちろんだが、一番見てほしいのは自閉症をしらない人たち。

自閉症は先天的、あるいは生後早期に生じた脳の機能障害が基盤にある。社会性、コミュニケーション能力、想像力の発達の隔たりが特徴としてあげられる。詳しく言うと、集団行動の苦手、会話のやり取りができない、非常に極端なこだわりと興味の対象、感覚の過敏などなど。。。

また「自閉症」というこの字から、よく自閉症を引きこもりのか何かと勘違いしている人は多い。

よく「自閉症になりそう」とか「自閉症だった」とかいう人がいるがそう言っている人にこそ見てもらいたい映画だ。

本当にお勧めだよ。
原作もいいよ。


追伸:エンドロール(スタッフロール)の支援してくれた方々の中に自分の名前を見つけてびっくりしてしまった。少しの捧げものだったのに。。。。恐縮。。。



従姉妹が浅見光彦シリーズ「箱庭」にでました!

2008-09-20 00:59:36 | 映画・演劇
今回は老舗料亭の仲居の役でしたね~。


お姉ちゃん(私は彼女の事を香読んでいる)、いつも何の役だか教えてくれないので、もうどきどきしちゃったよ。


今度の役、台詞もたくさんあったし、今までの役よりも出演時間が長かったよ!

なんだかわたしまでうれしいよぉ!

しかし、「箱庭」って心理療法の1つだけど、なんだかドラマにあまり関係なかったみたいって感じたのは私だけ?

従姉妹が浅見光彦シリーズにでます!

2008-09-19 18:44:25 | 映画・演劇
またまた、従姉妹が今晩放映の浅見光彦シリーズ「箱庭」にでるなりよ!

といっても何の役だかわからん。

前回の月曜サスペンスではホストに入れ込んでる家政婦役で殺される役だったからな。

今回は何の役なんだか。いつも違う顔を見せてくれるので楽しみ。

この顔です。宜しくね!


演劇ー塩狩峠

2008-09-14 23:52:07 | 映画・演劇
その入り口はどこもかしこも真っ黒でまるで別世界への入り口かと・・・・。

これが今日行った小劇場「新生館スタジオ」(東京・板橋区中板橋)のファーストインプレッションである。

劇団は俳優であり演出家、ゴスペル音楽院で演劇の講師でもある西田先生ひきいるキリスト教伝道劇団。

前回のゴスペル音楽院の課題で演劇を勉強したばかりだった。チラシの裏を見たらなんと西田先生のお顔がのっているではないか!是非見に行きたいと思った。なぜなら西田先生の1人芝居「ダミアン神父の生涯」を見て、いたく感動したからである。


1人で見に行こうと思ったら思いがけなく次男が「いいなー。」というので礼拝後、次男と見に行く事になった。


今日上演されたのは三浦綾子作「塩狩峠」、井上ひさし作「父と暮らせば」の2本立てであった。

「父と暮らせば」は2人劇、とてもよかった。このレビューはいつかかきたい。

今回は塩狩峠だけ。

塩狩峠は北海道の宗谷本線、旭川と士別市の間あたりに位置している。

私の父は士別出身なのだが私は士別に一度もいったことがない。だから塩狩峠の位置も三浦綾子著の「塩狩峠」を読んで、父の故郷のそばにあった事を初めて知ったのだった。



明治42年2月28日、この塩狩峠の区間に差し掛かった汽車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄さんが乗客の命を救うため自らの身体を列車に投げ客車の下敷きとなったという事故が起こった。

この実話を元に三浦綾子が執筆したのが小説「塩狩峠」だ。のちにこの作品は、松竹(監督:中村登、主演:中野誠也)で映画化もされている。

この物語を知っている方なら場面がたくさんある事はお分かりだろう。それに汽車が登場する。この場面設定をどうするのかとても興味があった。先日「赤毛のアン」のミュージカルで原作がいじられて1場面にいくつものエピソードをいれていたり、場面そのものが変えられていたりでとてもがっかりした事があったからだ。

劇が始まってびっくりした。なぜか。
舞台装飾も何もなく、ただパイプいすが6つ、俳優さんのぶんだけおいてあるのだ。さて、これからどんな風に始まるのだろう。もっとワクワクしていた。

舞台は朗読をとりいれておこなわれた。
なるほど、これだったら原作の良さはそのままである。俳優さんは台詞のところだけそれも何役もかけもちで演じる。

ところどころきれいな音楽が流れ、静かに劇は進行する。

主人公が友達と再会したとき妹の富士子に惹かれるシーン。

主人公の家庭の背景や上司の娘との縁談、生まれつき足がわるく結核で脊椎カリエスになってしまった富士子と生涯を共にしようと決心するところ。

主人公の誠実な人柄。

大のキリスト教嫌いだった主人公が路上での説教を聴いてキリストに倣いたいとおもうところ。

罪を犯した同僚のよき隣人になろうと決心し、実行するが同僚は悪口をはき、主人公を受け入れない。その同僚を憎んでしまう主人公。

同僚に対し、高慢であったこと、自分にも罪がある事がわかり悔い改めて信仰告白をする。

しかし同僚は彼を冷笑して偽善者とよぶ。

洗礼を受け、キリスト者になった主人公は神と人のために誠実に生きていく。

そして主人公は富士子との結納に向う途中この列車事故が起こってしまう。

物語はクライマックスである。私を含む観客達は舞台から目が話せない。
ナレーション、俳優、それぞれがものすごい熱演なのだ。何も舞台装飾がないのに汽車が見える。乗客が恐怖におののいているのがわかる。

そして・・・・・主人公は自分の身を線路に投げ出して暴走をくいとめる。

主人公の生き様を目のあたりにした、いつも彼を冷笑していた同僚はこのときから変わり始める。

富士子、友人、彼らの母、の嘆き、悲し身、そして終焉。




本を読んだ時も泣いてしまったが、それとはまた違った感動があって泣いてしまった。

隣を見ると次男がなんと次男が泣いているではないか!泣いているのがわからないように目をこすっている。だから気付かないふりをした。

今回の劇を見て改めて信仰に生きるという事を考えさせられた。

私の信仰はなんと生ぬるい信仰なのだろう。日常においての罪、もう一度悔い改めさせられた。


次男はこの劇を通して何を思ったのだろう。
初めは行かないといっていた次男が行きたいと言い出したのだ。神様のご計画があるのだろう。いつかきっと芽を出すはずだ。

このような機会が与えられた事、を主に感謝した。

私も亡くなった長野さんのように主の道をしっかりと歩けるように祈ろうと思う。


もしも、観たい人がいらしたら・・・・・・。

「塩狩峠」の上演予定

10月26日・・・1:30PM  新宿西教会アガペイン公演  無料


是非行ってみてね。!









ミュージカル赤毛のアン

2008-08-19 22:42:32 | 映画・演劇
今年の春に「シュパっと消臭」踊る殿様のCMでおなじみのエOテー化学の懸賞に応募したら、ラッキーな事にチケットが2枚当たったので、今日次男と一緒に見に行ってきた。

キャスト

アン:島谷ひとみ
マリラ:安奈淳
マシュウ:下馬二五七
ギルバート:良知真次
ダイアナ:宇野まり絵
ミニーメイ:柳下花恋
ステイシー先生:吉田ひかる
フィリップス先生/ブレア医師:宮内良
バリー夫人:南かりん

「赤毛のアン」に夢中になったのはOL時代の頃、子どものころに呼んだことはあったけれど、それほど好きになれなかった。アンの強情で意地っ張りなところ、リンド夫人に誤る時芝居がかった態度が「誠実さがないナ」とあまり好きになれなかった。でも強情で意地っ張りなところは私の姿を見るようで嫌だったのかもしれない。

OL時代、先輩に「絶対いいから全部呼んでみて」と本を貸してもらったのがきっかけで、それから夢中になって通勤電車の中で読んだ。もちろん全シリーズ。

だから今回のミュージカルも楽しみにしていたのだ。

マリラ役の安奈淳が良かったなぁ。歌う時の声量がすごい!
しばらく舞台に出ていなかったようだけどさすが元宝塚。
島谷ひとみのアン役もよかった。みていてすごくかわいい。アンらしさが伝わってくる。

ダイアナはイメージにぴったり。ミニーメイを9歳の子が演じていてとってもかわいかった。子役といえどもダンスはとても上手。大人に混じって堂々と踊るんだから感心してしまった。

ミュージカルだからあの長い話を2時間20分にまとめるのは大変だと思うけど・・・・脚本が・・・いまいち。。。。

原作ではマリラがアンを引き取る時まで結構時間がかかるしマリラは気難しい、厳しいイメージがする。それにリンド夫人に赤毛やそばかすのことを言われてアンが腹を立てて文句を言うシーンやマリラにたしなめられてあの芝居がかった誤り方をするのも別の日の設定なのだが、これをアンがグリーンゲイブルズについたところで全部繰り広げられるのだ。

こんな場面になる。
男の子じゃなかったと嘆くアンにリンド夫人が「見てご覧よ、この赤毛このそばかす。」と追い討ちをかける。かんしゃくを起こしたアンはマリラにたしなめられるがそれはしかるというわけでなく物分りのいい気さくなおばさんという感じなのだ。やさしいマシュウのために誤るアン。リンド夫人が赦して、アンはマリラとマシュウの家族として迎えられる。

長い話だから。。。ここまで省略するのは仕方ない事なんだろうけどね。

でもいくら舞台セットが難しいからってアンの乗った船が小川に流されてギルバートに助け出されるこの名シーンを変えないで~!!。

小川ではなくアンが1人でお芝居の練習をしているところにギルバートが着て、ちょっと気まずい雰囲気、そのときアンが躓いて転ぶ。そこでギルバートがたすける。

これってどうよ!

どんな風に演出するのか楽しみにしてたのに~。それはないでしょ~。全然ちが~う!


他はよかったですよ。歌もダンスもすばらしい。
マシュウが死んでしまうところなんて涙もの。

フィナーレは本当にすごかった。あのダンスシーンは見ごたえがあったなぁ。カーテンコールにもこたえてくれて拍手が鳴り止まなかった。


赤毛のアンのミュージカルだから私はうきうきしてたけど、次男も結構面白かったようだ。それに次男は中学の音楽の先生からコンサート、ミュージカルなどを見て感想を書くという宿題がだされているのでちょうどよかったのだった。

帰りにはエOテー化学の消臭プラグと消臭スプレーのお土産がうれしかったらしい。


ミュージカル見たら、サリバンエンターテイメントの映画、「An og Greengaibles」ドラマ「Road to Avonlea」をみたくなってしまった。

私にとってマリラはカナダの女優コリン・デューハーストなんだよね。
明日TuOyaで借りてこようっと。

ちりとてちん3

2008-03-07 19:48:44 | 映画・演劇
今日の若狭ちゃん、いいこといってたな。

「落語は1人でするもんやない!」って。

ホントにそうおもいますわ。木曽山君、君、ちょっとかんちがいだよ~ん。

先日、三遊亭神楽さん(真打)、三遊亭花楽京(二つ目)さんの2人会が近所の小料理家でありましていってきました。鳴り物はなくて代わりにテープでしたけど、音響の状態が悪くてならなかったり・・・・。そんなものはなくてもお二人のお話で十分きりぬけてらっしゃった。おもしろかったですよ~。

この落語会を立ち上げるのも1人じゃできないですよね。
主催者さんがいて、音響、証明、舞台づくり、座布団などの会場を整える人などなど。

今日の「ちりとてちん」で考えさせられました。

私は2年前まで地域コンサートに出演してましたけど、今活動を中止して舞台から遠ざかっているからよくわかる。

あのコンサートの出演は与えられていたんだってことが。
そういう機会をコミュニティセンターの方々が与えてくださっていたのだった。
そしてチケット作りからポスター作り、休憩の珈琲コーナーまでもうけてくださった。また、音響、照明さん、立ち位置から、音がよく響くように工夫してくださったり本当にお世話になりました。

いつもソロを吹く時は舞台では1人きりと思っていたけど、その演奏のためにどれだけの労力がかかっていたのかよくよく考えさせられた。

そのときもありがたいなと思っていたけど、今日はつくづくありがたかったなぁとおも出だした。何かと出演の場を作っていただいていたから。もうそのとき活動していた人とも離れてしま医、その演奏の場を作ってくれたメンバーも其々違う部署に移動になってしまった。

この場をかりていいます。
コミセンの皆様、ありがとうございました。