風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

ヤンキーモード

2008-07-23 22:11:54 | 長男のこと
怒鳴っているから私もついつい大声になる~


「ウルセー!!!!!」

って言ってしまったんです。今朝の長男とのケンカで・・・・。
窓は全開。長男は急いで閉めに行き、「まったくお母さんのせいで恥かいちゃったよ!」「だれがこれだけ怒らせたのよ!」

本当はですね、「うるさい!」っていうつもりだったんでございますのよ。
ええ、わたくし、そんな汚い言葉をつかいませんわ。

ええ、「ごくせん」とか「ルーキーズ」をみていたから影響したとか、本当は地で言っているわけじゃありませんのよ。

ええ、ちょっと口がすべっただけなんですの。 ついヒートアップしてしまって。




長男、遅く来た反抗期、真っ盛り。

「勝手に部屋にはいらないでよ!」
「まったく、どうしてちょっとした時間を見つけちゃ、部屋をかたづけさせようとするんだよ!」
まあ、ここら辺の言葉だったらそうそうおこりませんわよ。まあ、成長の段階だわ。とおもってるわけなんですけど。

「なんだよ!オラァ!」
「だれに向って物いっとんじゃあ!」

「ババアみてぇなこといってんじゃねえよ!」
「でかい口叩くんだったらこの家からでていきな!このチンピラがぁ!」

なんか背景に炎の中の龍が2匹くらいいそうなかんじでしょ。
いつもこんなにヒートアップしませんけど・・・。

でこんなバトルした後でも、しばらくたつと「お母さんごめんなさい。」
「お母さんもひどい事いってごめんね。」これで終わり。
こんなもんなんでしょうかね。親子って。

あ~疲れる~・・・・・。






男の手料理

2008-07-22 14:33:39 | Weblog
男の手料理って、割と大雑把で結構美味しい料理って感じだよね。


私が隔週で土曜日に賛美歌講座に通うようになってから主人が晩御飯を作ってくれるようになった。

そうしないと次男が塾に行く前に晩御飯が間に合わなくなるからである。

本当にありがたいな。

メニューはカレーかハヤシライス。

副都心線が開通してから若干わが町と三軒茶屋までの時間が短くなった。

しかも先日は乗り換えがスムースだったので割と帰りが早かった時のことである。

カレーの具はみんな切ってあってもう作るばかりになっているのにだんなが家にいない。お肉も在るし、今日は私が作ろうと取り掛かったところにダンナがかえってきた。

「どこにいってきたの?」
「肉買いに。」
「お肉だったら300gあったでしょ。」
「カレールーの箱には500gってかいてあったから。」
「え~、そんな200gなんていいじゃない?」
「ここに書いてある通りじゃなきゃ嫌なんだよ。」
「そんなの目分量でいいじゃない」

なおもぶちぶちいう私などお構いなしに小さじいくつ、大匙いくつ、と計量カップと計量スプーンを片手に作っているダンナ。

「科学の実験じゃないんだからさ!」
「いいから!俺がやる!」
「・・・・・・・・・」

ダンナが切った野菜は本当に書いてある通りの量で一口大の大きさ。

それに対して私の作るカレーは野菜は大きめのぶつ切りである。一口じゃ収まりません。ジャガイモなんかごろごろしている。全て目分量。

それにやっぱり主婦ですし、物価上昇している世の中ですからね。お肉は安い時に手ごろな量、値段で買って冷凍しておくんです。多少、少なくたって野菜とか豆とかキノコでカバーすればオーケーですわ!

そう、ダンナは非常に細かいのである。


大雑把でアバウトに料理を作るのは私のほう。


と、すると我が家では男の料理、私の料理なのだ。






憧れの人にあったのに・・・・・

2008-07-19 20:30:12 | キリスト教(行事、他)
英語が・・・・でてこない。

せっかく憧れのM先生とお話しする機会ができたというのに~。

彼女は今、賛美歌を習っているアカデミーの講師のかたである。
70年代くらいから喫茶店で音楽伝道をされていた方で、ちょうど前のゴスペル音楽院のDVD講座でM先生の賛美に対する考え方を知ってものすごく感動したのだった。

今のアカデミーでM先生が賛美の講義をなさっているのを知ってぜひとも賛美奉仕者の講義を聴講したく思い、今のアカデミーに入ったのだった。

いつも優しく微笑んでらっしゃる。今日は「Hi!Dear 」といって抱きしめてくださった。その後授業開始までに時間があったので思い切って話しかけてみたのだ。

私としては「全ての楽器、音楽は神様からのもの、その音楽を神様のもとに奪いかえそう」というその思いに深く感動したのでそれを伝えたかったし、会えたことをとても嬉しく思っていることを伝えたかった。もちろん先生は長く日本にいらっしゃるから日本語は出来るのだが、授業のときは英語になる。

だから、出来るだけ英語で、と思ったのだけどね・・・・・。

出てこな~い!!英語が! 単語が! え~ん。。。

5年間もアメリカにいたのに~。

会話になってない!

情けな~い!!!

多分、お話できた嬉しさで舞い上がっていたんだろうな。
過去形も現在形もぼろぼろ。3単元のSはどこへやら・・・・。M先生が日本語で話しかけてくれているのに英語で返してたり。
もう最後は英語と日本語のちゃんぽん状態。

今日の授業もとても祝福された。私達は砕かれなければならないことや、私達の努力や自分の力ではなく聖霊の働きがなければ何一つなしとげられないこと。私達は1人1人が聖霊の住む宮であり、聖くなければならないと御言葉から学んだ。
M先生も通訳のK先生もすごい信仰の持ち主だ。

このアカデミーに来ると自分の心の汚れが聖められていくような感じがする。受講生の方々との交流も私にとっては勉強になることばかり。

授業のあと、M先生は私を覚えてくださっていて、またお話しすることが出来たのだった。帰る時も優しく抱きしめてくれた。

そのときもひどい英語だったけど・・・・。

なんだかすごく心が満たされた。
いつも移動の時お昼にかかってしまうから「ヴィO-イン・ゼリー」の十秒飯なんだけど、おなかがすいた気がしないくらいにみたされていた。

ハレルヤ!神様ありがとう。




ちょっとまた成長した?

2008-07-17 23:27:47 | 長男のこと
疲れた~。

長男の病院とバイトが重なった。
明日は私のメンヘルがあるので何とか今日、明日で担当地域の情報誌を800部配布しないと・・・・。

今回は折込広告が7種類。昨日は2時までかかりましたわ。寝不足です。。。

私が配布している間に長男は学校に休みの連絡を入れてくれたのはいいのですが、まぁ~この頃オシャレづいちゃって、指輪だ、ネックレスやら、ちゃらちゃらつけておりまして。。。(そんな格好でいくのか!という格好)

病院は世田谷区です。忙しい先生なので時間を予約しても1時間、2時間待つのは当たり前。今日も「きっと遅れるよと先にお昼食べちゃおっ」と病院内のレストランで注文した直後、呼び出しがかかった。

長男の顔が曇る。予定外のハプニングに過剰に反応する子だから(あ~、出だしから期限悪くなる?騒ぐかな~?文句ばっかり言うんじゃないかな~?)と心配したのだが、ちょっとイラついただけで収まってしまった。

「あ~、こんな早く(自分の番が)来ると思わなかったから何を相談したらいいかわからないよ~。」と長男。

「学校で困ってる事ない?」

「課題かな~。それに生物学の検定2級。」

「じゃ、それをいえばいいんじゃない。」

「俺、スケッチへただしさぁ。」

「スケッチはお母さんが教えてあげるわよ。」(一応イラストのプロフェッショナルアートコース学んでました。)

「誰かに教えてもらうのは嫌いだし・・。」

「もう、これから、わからないこと教えてもらう事なんかたくさんあるんだからね!いい?スケッチなんてね、」

と続ける私の言葉をさえぎって長男はうんざりといった顔で

「こんなところで説教なんかしないでよ。」と生意気な口をきく。

「あ、お母さん、M先生のところに1人で行くのはどうだろう。だってさぁ、いつまでもお母さんと一緒ってわけにもいかないでしょ?」

(ほぉ~、なんか自立心めばえはじめてない?)
「じゃそれも先生にそうだんしよう。」

と先生のところに行くと、長男を見るなり、「へぇ~。」と上から下から観察している先生。「そういう格好はさ、自分で決めるの?」

最近の若者っぽい格好してるからな。ピアス、指輪、ネックレス、帽子、だぶだぶのズボン、丸刈り頭。ちょっとラッパーきどり。

でも受け答えはしっかりしてきている。酒、タバコ、の悪影響の事日ごろから散々言って薬にも影響あるよといったら、それを聞いていたっけ。

でも先生の説明ならちゃんと聞くのである。困ったときには第3者に相談する事、自分をコントロールし始めた事など、また食事の時の一件を話すと長男はせっかく診察を早めてくれた先生に悪いと思ったのか「いいよ、その話は」としたがらない。

先生が「君もさ、いつまでもお母さんと一緒じゃないし、いずれは独立するんだよ。」と家族だけじゃなく周りの人とのかかわりの大切さを先生に言われると、

「はい、いずれ独立する事は考えてます。」とはっきりした口調で言う。

(ほぉ~、独立っていったよ!)

薬の事も「OOOの薬は気分が落ち着かないときだけ飲むようにしてます。」とちゃんと自分で管理している事を伝えた。

今のところ、情緒安定しているので一安心。

なんだか大人びてきたなぁ。このままの状態でいってくれたらいいんだけどね。

雑司が谷へいってきた

2008-07-08 18:58:24 | お出かけ・旅行記
ダンナが久々に休みを取ったので、どこかに行こうという話しになった。

行き先は雑司が谷。
18年前、長男がおなかにいるとき安産祈願のために雑司が谷の鬼子母神にお参りにいったことがあった。(そのときはクリスチャンじゃなかったからね。)

そのときは昔からある都電荒川線でいったけど、今じゃ副都心線が開通し、雑司が谷まで乗り換えなしでいくことが出来る。真新しい駅、ホーム、だけど、やっぱり雑司が谷は都電荒川線が好きだな。そのほうが風情があるよ。私は鉄子じゃないけどね。

今回の目的は鬼子母神ではなく、反対側の雑司が谷霊園近くにある雑司が谷旧宣教師館だ。

明治40年にアメリカ人宣教師マッケーレブが建てたものだ。
そこでのマッケーレブ師の宣教活動や他の宣教師達の信仰に根ざした慈善活動に触れる事ができ、とても深い感銘を受けた。

当時は東京には3つのスラム街があったらしい。四谷、下谷、芝、今では考えられないところだが、そのスラム街で貧困に苦しむ児童達や不幸な女性達を助けていた。いつも貧困に苦しみながらも日本人のために働き、後に続く宣教師達も目覚しい働きをしていた。戦争になってからは迫害も多かっただろう。軟禁されて戦争が終わりアメリカ軍によって助けたれた時は餓死寸前だったという女性宣教師もいた。その女性宣教師の写真があり、彼女は浴衣を着てにっこりと微笑んでいた。

そんな歴史年表を見ていたら涙が出てきた。

人間は愚かだな。相手が敵国になったらすぐにでも敵意を抱けるものなのか。残酷な仕打ちをできるものなのか。

主の召しを受けた人々の信仰は深い。私達クリスチャンは一人ひとりが主の証し人となる。主の愛を知らない人に、福音を伝えるために。あたらめて今の自分に何が出来るのか考えさせられた。

また、マッケーレブ師の料理人として後に画家となった東郷青児の両親が住み込みで働いていたというから興味深い。

小さな庭にはバラのアーチがあり、マッケーレブ師が植えたブルーベリーがあった。他にもたくさんの植物が植えてある。

何かジーンとしたものを残したまま、また、雑司が谷を散策した。
雑司が谷霊園には夏目漱石、小泉八雲、永井荷風、泉鏡花、竹久夢二、ジョン万次郎、羽仁もと子などの有名人のお墓がある。宗派は問わないらしく十字架のお墓もたくさんあった。「俺達は共同墓地でいいよな。」そんな会話をしながら歩いた。

お次に行ったのは笑点でおなじみの好楽師匠のお嬢さんがやっているという「ひなの郷」。鬼子母神境内の近くにある。おなかがペコペコだったのだ。ホームページを見たら店の中でも食べられるというのでそうしようと思ったら「申し訳ございません、今日は出来ないんです。」

残念。
しかたないので名物の「子宝たい焼き」(餡子、白玉、豆乳クリーム)、「鬼っこたい焼き」(チーズとえび)、「普通のたい焼き」を子ども達のお土産にしてお店を後にした。

好楽師匠そっくりのお嬢でした。 

そのまま明治通りに出て「ナンNo1」という小さなインド料理のお店でお昼。
野菜カレー、キーマカレー、チキンティッカ、大きなナンとサラダがついて980円。おいしかったぁ~。

お店の人はインドの人だったがとてもきれいな日本語を使い、「辛さ加減はいかがですか?」とさりげない気遣いがうれしい。

「おいしかったです。ご馳走様でした。」というと何度も何度も頭を下げて、店の外まで送り出してくれて「ありがとうございました。」といってくれた。それだけで心がほわっとした。このお店にはまた行きたいな。

その後同じ通りで古本屋を見つけダンナの気の済むまで本を見せてあげた。(ダンナはとても本好きである。)

心配した雨も降らなかったし、今日は近場だけど楽しい一日だった。




ちょっと心が痛んだ。

2008-07-07 15:44:57 | 発達障害・アスペルガー症候群
先週だったかな。某チャンネルのいろんなジャンルのベストスリー紹介する番組で天才のベストスリーを紹介していた。

天才達はサヴァン症候群、自閉症、発達障碍ということであったが、見ているうちに長男との共通点をみつけて、特に幼い頃を思い出していた。長男は彼らのような天才ではないけれどやっぱり似たところはあるものだ。

記憶力、一度しか見ていない映画なのに鮮明にその場面を思い出すことが出来たり、道も一度通ったところは間違えない。私のナビがわり。それにある特定の分野についてはものすごい量の知識がある。


コミュニケーション、昔は会話になっていなかった、唐突に好きなことを熱心に話しだし、それについてこちらが話しかけるともう違う話題になっていたり。だから私の父が生前、「おい、こいつ人の話しきいてないぞ。」なんていっていたこともあった。今はちゃんと会話になるけどね。

本が大好きで、好きな分野の本を読みまくっているところとか、「似てる、似てる、こういうところおまえにそっくりだよ。」テレビをみてわらいころげていた。

そうしたら「それで苦しむ事だってあるんだよ」。とぽつっと言った。


記憶力などは写真に取るように記憶しているとは聞いたことがあるが、いいことばかりではない。嫌な思い出があった場合、それに似た状況に陥るとそのときのことがフラッシュバックされ、2重、3重に苦しむ事になる。

前にも、長男がこんな事をいってびっくりしたことがある。

「僕は結婚はしないよ。アスペの子が生れると嫌だから。」

ショックだった。そんな風に思っていたなんて!そんな風に思い苦しんでいたのだとしたらそれは私の接し方が悪かったからだ。

私はあわてて「お母さん、怒っちゃうと時々ひどい事あなたに言ってしまうけど、それは本当じゃないよ。お母さん、あなたが生れた時、本当にうれしくて泣いちゃったんだから。今だってかわいいと思ってるよ。」

私は自分の存在を否定するような生き方はしてほしくない。多少人と変わっていたって肩で風切って自信に満ち溢れてあるいていってほしい。

私も小さい頃、ボーっとしていて、変わってるといわれ続けた。物知りで通っていた。けれども変わっているといわれることについては別に嫌ではなかった。

「お母さんもあなたと似たところがあったけど、変わり者って言われても別に嫌じゃなかったよ。反対にみんなと違う事が嬉しかったりしたし。だからあなたがおなかにいるってわかった時、神様に行お願いしたの。(このときはクリスチャンじゃなかったけど)私にどうか変わった子どもをさずけてくださいって。」

「まったく、なんて祈りをするんだよ。」と長男は笑っていた。

「みんなと変わっていることがいやなの?」
「嫌じゃないよ。変わっているほうがいい。でも時々つらいんだ。」

「うん。」

辛いんだろうな。私が考えているよりもずっと。
昔はわけのわからない恐怖で身体が動かなくなった事だってあったんだもの。

もっと彼のセルフエスティームを高める育て方が他にあったのではないだろうか。私は感情的になってしまうとひどい事もいってしまう。もちろんその後誤って抱きしめて終わりということにしていたけど。

もう一度やり直せたら・・・・。そんなこと、もちろんできないけど。

心が痛んだ。







私のトラジが・・・・

2008-07-05 22:40:27 | 我が愛猫たち
トラジというのは私の大好きなマンハッタナーズというブランドの陶器の猫の置物である。(マンハッタナーズの猫達にはそれぞれなまえがあるらしい・・・)

だって色、柄共にアルバたんにそっくりなんだもの。それにバイオリンを弾くその姿がとても気に入っていたのだ。



事が起きたのはつい先日。

ゴトン!ゴツッ!という音がしたのでリビングにいってみたら・・・・

そのアルバたんそっくりのトラジ置物が床に転がっているではないか!
しかもバイオリンを持つ腕が!

お、折れている!




ガーン!!!もう頭真っ白ですわ!な、なんでこんなことに・・・・。


そんな時ある影がササーッと横切った。

そう、犯人はこいつ。







マロンだった。他にも猫の置物あったのに~。
何で?わざわざアルバそっくりなのをおとすんだよぉ~。

アルバに対するライバル意識か!

もういたずらが過ぎるぞ!

でもコロコロでふわふわのマロンはいつも笑っているようなかわいい顔。
それに甘え上手で・・・・すりすりしてきて・・・・・・・。


に、憎めないのだ・・・・。