風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

大掃除、大嫌い。

2005-12-30 17:01:03 | Weblog
私の苦手なものに掃除と片づけがある。

まったく掃除しないというのではないが、もともと大雑把な性格だからね、そういう掃除の仕方になってしまう。ところが主人の性格は私の好みから何から何まで正反対。結婚するんだったら、絶対、細かい性格の人はNO!とおもっていたのだが・・・結局、細かい性格の人だった。

それで、この時期の大掃除!
主人は鍋奉行ならぬ掃除奉行と化す!自分がどこを掃除するとか、お前たちはここをやれとかてきぱきと指示!

え~ん・・・。まるで主人に監督されているみたい・・・

だめなんだな。私。片付けてると分けわかんなくなってくる。リビングにはいろいろと私の物が置いてあるが、散らかしているわけではなく私にとって目的があっておいてあるものなのだ。

掃除が終わってほっと一息。もう冷ややかな目で見られなくてすむ・・・。
でも、困ったことが・・・。あれ、ここにあった物がない!どこにいっちゃったのよぉ~!!とこうなる。まるで、リスが拾った木の実を隠した場所を忘れるみたいに。。。ああ、また冷ややかな目が・・・。

だから、掃除って嫌い!

クリスマス礼拝

2005-12-26 01:37:42 | キリスト教(行事、他)
クリスマスおめでとうございます!(写真はおうちのアドヴェントクランツ。約束、預言者、洗礼者ヨハネ、マリアの4本のキャンドルとともに真ん中のイエスキリストのキャンドルに灯がともったところ。)

25日は待ちに待ったクリスマス礼拝にいった。
信仰を与えられて5年目、今年も家族と一緒に喜びに満ちて礼拝に集うことができた。感謝である。

うれしいことに今年は新来会者が多かった。中には礼拝後の祝会まで残ってくださり、ともに持ち寄ったおいしい料理をいただきながら楽しい時をすごした方もいらっしゃった。また礼拝に来てくれたらいいな。

フルートでの讃美も昨日の発表会の時の緊張はうそみたいになくなり、今日は喜んで吹くことができた。その他にも賛美歌のデュエット、ギターとボーカルでゴスペルの讃美、ペープサートの出し物ありと楽しいひと時だった。

聖書には賛美の中におられる主とある。みんなで一緒に讃美をして、みんなの思いがひとつになる時なんともいえない感動がそこにあり、主の臨在を感じる時がある。今年の祝会は讃美いっぱいのクリスマスになった。

神様の愛と祝福がこれをごらんになった方々すべての上にありますように。




キャンドルライトサービスのあった日は・・・

2005-12-25 19:18:07 | キリスト教(行事、他)
フー・・・。レイザーラモンじゃないですよ・・・。
24日は忙しかった・・・。音楽教室の発表会、受付、アナウンス、コンクールの審査、リハなしぶっつけ本番の演奏その間5時間半落ち着ける暇がなかった。やっと終わってそれから教会のキャンドルライトサービスへ。

ここでやっと一息つけた。今年は出られないのではないかとあきらめていただけにこのひと時がとてもうれしかった。キャンドルのほのかな光だけの中,旧約聖書、新約聖書のなかの神様の約束、キリスト降誕の預言、キリスト降誕の箇所の朗読と讃美歌を交互に繰り返していく。最後は「天にまします我らの父よ」からはじまる「主の祈り」。

キャンドルライトサービスは結婚式のあれとはぜんぜん違う。蝋燭一本一本の灯火は主イエス・キリストがこの世の光となってきてくださったこと、私たちがその光を心にともしつづけることを象徴しているんだ。

それが終わると家でご飯のしたくとケーキの飾りつけ。主の降誕をいわう。次の日のクリスマス礼拝後の祝会のおかずとシフォンケーキを焼く。いろいろやって結局寝るのが午前2時すぎ。疲れた・・・。



クリスマスツリーのお話

2005-12-22 23:30:41 | キリスト教(行事、他)
日本ではあまり見かけないが、この時期、外国(キリスト教が主な宗教の国)ではキリスト降誕の情景を人形で表現したもの(ネイティヴィティ、とかクリッペとかいわれる)を教会の前などにおいてある。教会付属の幼稚園でもそんな降誕劇をよくするだろう。

それをみてもわかるように世界で初めてのクリスマス、救い主の誕生はきらびやかさなど何もない家畜小屋で生まれるという非常に質素なものだった。サンタクロース、プレゼント、クリスマスツリー、は後から来たものなのだ。

サンタクロースがプレゼントをくれる習慣はオランダの司教ニコラウス(聖ニコラウス)が貧しい人に施しをした事からきている。この話はきっとみんなが知っているだろう。

ではクリスマスツリーはどこから来たのか?

中世のころまでドイツ人には樹木信仰、巨木信仰があった。真冬でも緑の葉をつけている針葉樹、特にもみの木に悪魔祓いの力があると信じて木を拝み、幼児を人身犠牲としてささげいた。

8世紀イギリスの宣教師、ボニファティウス(またはウィニフレッド)は「神は子供の命など求めない。むしろ世界を救うためクリスマスの幼子としてキリストを与えてくださった。」とそれをやめさせて木を飾ることを教え、クリスマスを祝ったという話がある。また、マルチン・ルターが子供を喜ばせるために木を飾り付けたという説もある。

子供を犠牲にだなんてやだやだ、考えたくないね。クリスマスツリーを飾る時の子供たちのうれしそうな顔。もうそれを見てるだけで幸せな気持ちになる。

近所のでるでるちゃん

2005-12-19 12:54:08 | 虫、植物、動物、自然
「でるでる」ちゃんとは近所の飼い猫のことである。

好きな動物コミックに「でるでる」というサビ猫がでていて、その猫にそっくりなので勝手に「でるでる」と呼んでいる。飼い主がどこの誰さんで「でるでる」がなんと呼ばれているかはぜんぜんわからん。

人懐っこい猫なので見かけると必ずなでてやることにしている。しかし、でるでるは結構やんちゃな猫なのだ。先日など、散歩中の小型犬をからかったり、主人の情報によるとカラスに喧嘩をうっていたという武勇伝まである。

先日、「でるでる」がいつもの会うところより離れた空き地を悠々と歩いていた。どうやらテリトリーらしい。ちょっと距離はあったが「私のことわかるかなぁ」と思いながらも「でるでる」と呼んでみた。

「でるでる~」と呼んだら「にゃぁ~~~ん」と返事をしながらこちらに駆け寄ってくるではないか!

ひとしきり私の足元をぐるぐる回ってから、「しようがないな、遊んでやるか」といわんばかりにひっくり返って手にじゃれついて猫パンチをしてくれた。じゃれついてもつめは立てないし加減して噛んでいる。「じゃあね、でるでる、ばいばい」というとさっとどこかに立ち去っていった。「かわい~」と、でるでるにめろめろになりながらも「頭のいいねこだなぁ」と感心してしまった。
なんだかすっかり「「でるでる」に癒された一日だったのだ。


たとえ一つの音さえも・・・

2005-12-17 01:01:56 | 音楽
演奏本番が近づいている!!

最初は24日、音楽教室の発表会で教会で生徒さんとのデュエットし、ビオラの先生とのデュエット。曲はバッハの平均率クラビィア曲集から2曲。3連譜がかなり出てくる曲でビオラとの掛け合いが難しい上に息継ぎのタイミングを崩すとかなりきつい。今から緊張している。怖いよぉ~。

その次の日25日クリスマス礼拝後の祝会ではフルートで讃美がある。この時はフルートデュエットとフルートトリオ、2本のフルートとピアノでそれぞれ演奏する。

曲は聖歌129番「御使いのたたえ歌う(グリーンスリーブス)」、
  讃美歌111番「神の御子はこよいしも」
私の愛するフォーレの曲「ラシーヌ讃歌」だ。」

「ラシーヌ讃歌は」モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」に崇高な曲の感じが似ている。もともと合唱曲だが、今回はフルートデュエットで美しいピアノの伴奏が入る。親しみやすいメロディーだが演奏の表現となると難しい。また高音域を結構使うのでこの曲は最後にした。そうじゃないと息切れしてもたないのだ。

音楽ってすごいと思う。5線譜上の1つの1つの音符から美しいメロディーやハーモニーが生まれてくるのだから。その知恵を与えられるのも神様。だから一つ一つの音を大事に吹きたい。たとえ1つの音さえも吹き方によっていろんな表現ができるからね。1つの音さえ、それはもう音楽だ。

私は楽器を奏でて神に讃美をささげる讃美者である。

感謝しつつ、祈りつつ、神様から与えられた音楽を、与えられた楽器で1つ1つの音を慈しみながら奏でていきたい。私たちの主イエス・キリストが生まれたことをお祝いするこのクリスマスに。

・・・だけど・・・上がりしょうなんだょ・・・・私。

Amazing grace 2 --歌詞

2005-12-15 01:05:16 | 音楽
アメイジング・グレイスの歌詞は7番くらいまである。(ちょっと定かでない。手元にあるのは6番くらいまでなのだ。ごめんね。)原文と訳、聖歌、讃美歌の歌詞と比較するとこの歌が何を言わんとしているかがよくわかると思う。1番は前回のをごらんあれ。訳は一部かなり私的に訳されている。

2.Twas grace that taught my heart to fear, and grace my fears
releived.How precious did that grace appear the hour I first believed.

私に(神様を)畏れること教えてくれたのは恵みだ。そして恐れから私を
  解放したのも恵みである。私が最初に信じる心を抱いたその時に現れた
  その恵みはなんとすばらしいことであろう。!

3.Through many dangers, tails, and snares, I have already ready come. Tis grace has brought me safe thus far, and grace will lead me home.

多くの危険、罪、そして誘惑を私たちはすでに乗り越えてきた。私たちを
  ここまで無事に導いてくれたのは恵み。そして恵みは私を家路(天国)へと
  導いてくれる。

4.The Lord has promised good to me, His word my hope secures.
  He will my shield and portion be as long as life endures.

主は私に良いものを約束された。彼の御言葉は私の希望を確信させるもの。
  私の人生が赦される限り、彼は私の盾であり、運命。

5.And when this flesh and heart shall fail and mortal life shall
  cease. I shall possess within the veil a life of joy and peace.

この体と心が衰えて、死すべき命が終わる時、私は手に入れるだろう。
  隠されていた喜びと平安を。

6・When we've been there ten thousand years, bright shining as the
  sun. We've no less days, to sing God's praise than when we
  first begun.

  一万年の時を超えて太陽のごとく輝き続けてきた。これからも神の栄光を
  歌い続ける。歌い始めた最初のそのときのように。


讃美歌の歌詞

  1.われをも救いし、くしき恵み
    迷いし身も今立ち返りぬ

  2.恐れを信仰に変えたまいし
    わが主のみ恵みげにとうとし


聖歌の歌詞

  1.驚くばかりの恵みなりき、この身の汚れを知れる我に
  2.恵みはわが身の恐れを消し、まかする心をおこさせたり
  3.危険をも罠をも避けたるは、恵みの御業と言うほかなし
  4.御国に着く朝いよよたかく、恵みの御神をたたえまつらん


讃美歌の歌詞、聖歌の歌詞、どちらも原文の意味を大事に日本語で歌いやすい歌詞になっていると思う。聖歌のほうが英語の原文に近いかな。

私自身、信仰を持ってからこの曲を歌う時、泣けて泣けて歌えなくなったことがあった。それだけこの歌詞に書いてあることが自分自身に起こったことだったから。

神様を信じていなかった以前はただの耳に心地よい歌だと思っていたのに、今やこの曲は私にとって信仰告白であり、祈りであり、神様に感謝し、讃美する曲となった。それはただ、神様の驚くばかりの恵みによって私自身がそう思うほどに変えられたからである。

長かったのにここまで読んでくれた方、ありがとう。あなたの上に神様の驚くばかりの恵みがありますように!アーメン!



Amazing Grace--アメイジング・グレイスなお話

2005-12-13 22:48:14 | 音楽
本田美奈子ちゃんも歌っていたアメイジング・グレイスは私も大好きな讃美歌のひとつだ。(讃美歌 第2編167番、聖歌229番)

  Amazing grace! How sweet the sound that saved a wretch like
  me!I once was lost, but now am found, was blind, but now I see.

 (訳)驚くばかりの恵みよ!なんと優しい響きであろう。私のような卑劣な者
  をも救いたもうたとは!私は(神)から迷い失われたものであったが、
  今は見出された。盲目(霊的な心、魂が)であったが、今は見える。

教会では聖餐式やお葬式などでよく耳にする。あの9・11が起こった後、どこかしらの教会ではテロの犠牲となった方のお葬式があり、バグパイプがこの曲を静かに奏でる中、棺を送り出していた。

また、アメリカでもアイルランド移民の多かった地域に住んでいたのだが、3月14日の聖パトリックの日が近くなると、そのお祭りのパレードがある。バグパイプ隊が行進しながらこの曲を奏でていたのを思い出す。それだけ親しまれている曲だ。

この曲はアメリカ民謡をエクセルという人が編曲し、歌詞の部分はイギリス人の牧師ジョン・ニュートンが作詞したものだ。

このジョン・ニュートン、もともとは牧師ではなく奴隷商人だった。子供のころから船員生活をしていたが、ジョン自身が奴隷として売られたこともあり、その生活は堕落していた。彼は荒くれ者で奴隷に対してもひどい仕打ちをしていた。奴隷商人をしていたある日、大嵐にあい、今にも沈没しそうな時初めて自分が罪人であるということを思い回心し、心から神様に祈りをささげたのだという。海は静まり、彼は助かった。その後何年間か奴隷船の船長をした後、献身して牧師となったのである。

アメイジング・グレイスの意味は「驚くべき恵み」。この歌の歌詞は新約聖書エペソ人への手紙2章5節の御言葉からなっている。

「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストともに生かし、-あなた方が救われたのは、ただ恵みによるのです。-」

英語の歌詞にはWretchが使われているが、この言葉は卑劣な奴という意味がある。ジョン・ニュートンは自分のような罪に穢れた卑劣きわまる者でも神さまの恵みによって救われたと神様を讃美しているのだ。いわば信仰告白の歌なのである。



ジジハムが・・・・・・

2005-12-11 16:31:52 | 虫、植物、動物、自然
あ~・・・・・・・。
昨日ジジハムが死んでしまった。

死んで初めて手にのせることができた。寿命だったのかな・・。3日くらい前から具合悪そうだった。小さくて、ふわふわしててこんなかわいい生き物が私の手の中でもう冷たくなって動かない・・・。悲しい・・・。

旧約聖書の伝道者の書3章2節にこう書いてある。

「生まれるのにときがあり、死ぬのにときがある。」

神様の決められた時をジジハムは一生懸命生きたのだろう。
ならば私達家族は、ひと時の間ジジハムを飼うことによって楽しさや、喜びや慰めを与えられていたことを神様に感謝しよう。
神様、ジジハムをありがとう。

我が家にカメがやってきた

2005-12-08 22:58:57 | 虫、植物、動物、自然
3日前のことだ。ベランダ出て植木の様子を見いると排水口の近くに石のようなものがある。こんなところに石なんかおいてないぞとよく見たらなんとカメだった。

首も手足も甲羅の中に引っ込めてじっとしている。甲羅の長さは10cmくらいのカメだ。死んでいるのかな、こんなところで死んでもらっちゃ困るよと以前ハムスター用に買った水槽に水と陸地をつくって入れたら少しずつ動き出した。

うちは1階、きっと同じ1階の人のペットが逃げ出したのだろうと思って管理人さんに張り紙をしてもらいカメは私があずかることにした。

小さいころから猫2匹、インコ、紅すずめ、ハムスター、金魚といろいろとペットを飼っていたが、カメは初めてである。はたして何を食べるのかまったくわからない。パンくずをやったが食べない、カメのえさなるものを買ってあげたが食べない、知人に何を食べるか聞いてみたが、「カメって肉食でしょ、ドッグフードなんかどう?」とか「カメって海がめのイメージが強いんだよね、よっちゃんのするめいかなんかどう?」なんて答えが返ってきた。雑食性とは聞いたけどそんなものあげられないよ、人様のカメに。もし死んだらど~するよ。(食べるかどうか、ちょっと興味はあるけれど・・・。)

しかし、カメって本当にスローモーだね。ジーっと観察してみるのだが、むこうもジーッと私を観察している。そのうち私が飽きて用事をしに行ってからまたカメを見ると先ほどの位置からやっと2センチ動いたところ。

小さな目、必死に手足を動かしている様子などとってもかわいい。そのうち「カメキチ」とか「サダキチ」とか(なぜか和っぽい名前)勝手に名前をつけて呼びかけたりした。じっと聞いている様子はなかなかかわいかったりする。水を取り替えたり、えさをやったり日光浴をさせたりしているうちになんかこのまま飼ってもいいなぁと思ってきた。飼い主探しの張り紙を張ってから2日おとさたないし、子供たちもよろこんでいることだし・・・。

そんな時、管理人さんから飼い主が見つかったと連絡が入った。
なんと5階の方のカメだったのだ。って言うことは5階から落ちたって事???
下が芝生だったから命拾いしたのかな。よく死ななかったな。

明日、飼い主のところへ帰れるんだよ。良かったね。
でも、ちょっとさびしいね。