風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

NPO法人「燈台」の現地報告会がことしもありますよ~!

2012-06-21 00:58:01 | Weblog
アフガン難民の医療支援、教育支援をしているNPO法人「燈台」の現地報告会2012&チャリティーコンサートがあります。

日時:6月30日(土曜日)午後2:00(1:30開場)
会場:お茶の水クリスチャンセンター8Fホール

内容:NPO法人燈台(アフガン難民救援協力会)現地活動報告会2012
    オクサーナ・ステパニュック(コロラトゥーラソプラノ)
    チャリティーコンサート(w/ピアノ:比留間千里)

問い合わせ:電話:048-591-7191
南福音診療所内「燈台」事務局

チケット:前売り1,300円   
*チケットのお申し込みはFAXでどうぞ!048-591-9668 
6月23日締切!

当日券は1,500円 
    
詳細をぽちっとな

こちらは「燈台」のホームページ

障碍者就労、企業側は何をかんがえてるの?

2012-06-19 08:43:33 | 発達障害・アスペルガー症候群
息子の就労実習がだめになった・・・・。
いつも直前になってこうなる。なんで?!

しかも採用係の人と支援センターの人の面接だけ。息子と直接面接もしていないのに何がわかるのって感じ。「障碍」って言葉だけで彼そのものをみていない。

理由…「依然雇っていた障碍者の世話が大変で担当者がつかれているから」、「今やとっている障碍者の人だけでも大変で、とても2人は雇えない。それに公園の利用者とやり取りしなければならないから」、「ニーズが違うと思うから」。

なにそれ、今言うこと?障碍者雇用を会社側からも求めているからこういう話になったのに。最初からその話はしてなかったのか。実習前日にに用事が入リ後日連絡と言っておいて2週間もなしのつぶて。連絡もくれず、今までさんざん待たせたくせに。


支援者の人にせめて面接をしてもらえないか、書類ではなく本当の彼を知ってほしいと話した。その方も同じことは会社側に言ってくれたらしい。でも面接までできるのは限られているとか、ほとんどが書類選考なんだといっていた。それでこの結果?変な話、あんまりにも馬鹿にしてるじゃない。


障碍にはいろいろあるけど、本人と実際会わないで実習もなしに書類選考でなにがわかるの?



以前アメリカで日本人学校に編入するときに同じように断られたことがあった。今回と同じでまだ起こりもしないことをあれこれ心配しての判断だった。

そんなことも思い出し、いけないと思ったけど、悔しくて悔しくて電話の後思わず、息子の前で泣いてしまった。そしたら、「お母さん、ごめんなさい」だって。。。一番つらいのはあなたなのに・・・。お母さん泣いてごめんね。

我が家のにゃんこ達

2012-06-16 21:15:19 | 我が愛猫たち
テッテテテッテ、テッテテテッテ、テッテテテッテテ~!!(ドラえもんが道具を出すときの効果音だからね!)
我が家のにゃんこ紹介~!!


うちのにゃんこも4匹になったのでちゃんと紹介しよう!


アルバ(オス、MIX・茶トラ)


所沢犬猫里親会からもらった元野良ネコのアルバ。我が家にはじめてきた猫。茶トラ、柄はマッカレルタビー。スタイルはうちの猫たちの中でもぴか一。一番の脱走犯。しかし、脱走してもほんの少しの間、外を楽しんで、私の「アルバ!」の一言でさっと帰ってくるお利口さん。

そしてアルバは孤高の猫。最初の猫だったからかなぁ。お山の大将みたいなところがあって、あとから来た、マロン、リリ、ベルを仲間だとは絶対認めない。だからアルバの近くにほかの猫がよると「シャー!」と一喝されてしまうのだ。もしかしたら自分を人間だと思っているのかも。あとちょっかいを出しすぎる長男は大嫌い。

こんなにクールなアルバさんだけど、私にだけは甘えてくる。私の脇の下に顔をうずめて眠るのが好き。夜も私の隣で丸くなって寝てるのだ。
まるで私を守ってくれてるみたい。ダンナと言い合いになったりすると必ず私のそばに来る。こんな悪戯をされてもおこらないの。

  

愛称は、アルバにゃん、アルバナン、次男だけはなぜかルルベルとよぶ。





マロン(オス、MIX、茶トラ)

私がよくいくリサイクルショップに住みついていた野良猫の一匹だったマロン。もらってきたときは猫風邪でひどい状態だった。いまだにその時の後遺症でよく涙を流している。でもマロンはとってもかわいいネコらしい顔。茶トラだけど、薄いベージュ色みたいな色。しっぽの縞々がとっても素敵。抱っこされるの大嫌いのくせに家族のだれにでもすりすり。一番すりすり、おしりくっつけ攻撃(これも甘えてる表現)をするのはこの子。遊んでもらいたくて、おもちゃの前にちょこんと座って意思表示。投げたおもちゃをくわえて持ってくるのもマロンちゃん。はたから見ると何となく陽気なマロン。そのくせ来客があるとどこかに隠れてしまう超ビビり猫。

それにマロンさんはねぇ…ちょっとお馬鹿さんだったりする。脱走して2週間行方不明になり、その時家の外でマロンを呼ぶ私を飼い主だとはわからなくて逃げ回る始末。(涙)そのおかげで捕獲器(1万円くらい)を買う羽目に。餌につられてようやく家に帰ってくることができたのだった。

写真は抱っこ嫌いのマロンを次男が無理やり抱っこしてる時のマロンの表情。ね、いやだなぁって顔してるでしょ。

  

こんなマロンちゃんはベルのことが大好きなのだ。でも、ちょっと心配なのはマロンが病弱なこと。この子はよく病気にかかる。今も結膜炎を治療中。ものすごく臆病なのにお医者さんに連れて行かれることが多くてかわいそう。がんばれマロン。



愛称はマロン子、マロ太、次男だけはなぜかマロンにゃーるちゃん。




リリ(メス・長毛MIX・三毛) 

友達のアリアGさんから今年になってすぐ、猫の貰い手を探しているといわれて3匹目に迎え入れたリリ。姉妹猫のベルとともにもうすでに2人の飼い主を渡ってきたのでリリが野良だったのかそれともどこからかもらわれてきた子なのかはわからない。

だれか猫の種類に詳しい方教えてください。リリは何の猫だと思います?
 

子猫の時はメインクーンの血でも入ってるのかと思ってたんですが、どうも違うみたい。なんだろうノルウェイジャンフォレストキャット?とにかくゴージャスな感じのリリ。とにかく甘ったれ、というより甘え上手。どんなふうに甘えれば人がよろこぶかしってるんじゃないかと思うくらい。鳴き方もかわいい。

見て、この悩殺流し目のリリを!  リリのかわいさはよく返事をすること。何か話しかけると「にゃ」(にゃ~ん」と必ず返事をするのだ。


ダンナが寝ていると必ずリリがそばで寝ている。リリはダンナが大好きらしい。そしてダンナはご飯の係りだと思っているらしい。よく明け方にリリがダンナの手をかじってご飯を催促するんだって。(私は絶対起きないから・・・)



縫いぐるみみたいなもモフモフのかわいいリリコ。

愛称:わたしはリリコと呼び、次男はなぜかリリエンタールと呼ぶ。



ベル(メス・長毛MIX・サビ)

リリの姉妹猫。初めはベルを預かるだけだったんだけど、、ベルを見たダンナが一目ぼれをしてしまった。ダンナに言わせるとベルは一番美猫。だからダンナはベルの名前を「美人」という意味のフランス語でベルと名付けたのだ。

   

小さいお顔なのに目が大きくてくりくりしている。だからなのかベルのもと飼い主はこの子を「くりくり」と名付けていたんだって。こんなにかわいいのにカメラを向けるとすぐ逃げてしまう。なかなかいい写真がとれないのだ。

ベルの声はとても小さい。キューというような鳴き声。そしてこの子は一番の甘えん坊かもしれない。パソコンをいじっていると必ずベルがやってきて膝の上に乗ってくる。そしてずっと人の顔をみていたりするの。かわいい・・・。

抱き上げると怖がってしがみついてくる。そこがまたかわいい。。。毛の質感は一番ふわふわの子。

こんなにかわいいのだけど…・いたずら好き!
もう困るよ~、カーテンに爪を立てて上るのが大好き。ベランダに行くと茂みに隠れて出てこない。部屋に戻そうとするとベランダ中をかけめぐる!夜中にテーブルの上に乗っちゃうし…。次男の部屋からいろんなものをあさって、それをくわえてキューキュー鳴きながら持ってくる。かじったり蹴っ飛ばしたりして遊んでいるのだけど、すぐ飽きてしまうので部屋にはベルが持ってきたものが散乱することになるのだ。

これは横着して寝ながら猫草を食べるベル。こら、お行儀が悪いぞ!




愛称はベルルン、ベルベル、ベルコ、ウキューちゃん、ぷっち


ということで4匹のにゃんこ紹介でした!みんなはどの猫が好き?!



続・大エルミタージュ展・17世紀~20世紀

2012-06-01 07:07:49 | Weblog
感動した作品がおおすぎる!たくさんの作品のレビューを書きたいのだけど、無理だな。

それではつづきを・・・・。

「ゴリアテの首を持つダヴィデ」ヤコプ・ファン・オーストI世


あどけない少年ダヴィデ(のちのダヴィデ王)がペリシテ軍の巨人ゴリアテの首を持っている図。

どんな場面を描いているのか?
これは旧約聖書の第一サムエル記17章の場面。
ゴリアテはペリシテ人軍の代表戦士として登場する。背の高さが3mに達するかと思われるほどの巨人であり、50kgをこえる鎧で完全武装していたというその戦士に少年ダヴィデが戦いに挑む。巨人と、かたや羊飼いであり、音楽療法士として王に召し抱えられていた少年。

ダヴィデは羊飼いの持ち物の石投げと石をもって立ち向かった。石投げで投げた一つの石がゴリアテの額に命中、石は額に食い込みゴリアテは倒れた。そしてゴリアテの剣でもってとどめを刺して、首をはねた。

この場面は信仰による勝利を描いている。ドラマティックなこの主題を描いている画家は多い。カラヴァチォ(3作品も!)、ティッツィアーノ、ミケランジェロ、グエルチーノ、グレド・レーニ、ストロッツィ、などなど。比較して鑑賞するのもいいけど、やっぱり恐ろしい絵だな・・・。




「牛飼いの女」ヤン・シビレヒツ

あつい夏の午後なのか、牛を放牧している牛飼いの女が木の根元に座り休んで汗を拭いているのどかな風景。こういう日常生活が垣間見える風景画はいいな。じつにのどか。




「農婦と猫」ダーフィト・ライカールト3世

農婦のおばあちゃんが猫にご飯を食べさせようとしている。まるで猫を赤ちゃんのように「おくるみ」に来るんで、その顔はとても愛情にあふれた優しく微笑んでいる顔。でも猫は身動きがとれなくて迷惑そう。。。その迷惑そうな表情がとてもいい。。。




「ヤコブに長子の権利を売るエサウ」マティアス・ストーマー

これも旧約聖書(創世記25章の話)。
長子の権利とは親から受け継がれる神様からの祝福。ある日狩りから帰ってきたエサウは空腹から、双子の弟のヤコブが作っていた豆の煮ものがほしいために、「今すぐ長子の権利を私に売りなさい」というヤコブの言葉にのって誓いを立て長子の権利を売ってしまうのである。ほんの一時の空腹のために神の祝福を軽蔑したのだ。

この絵にはヤコブ、エサウ、彼らの母親のリベカが描かれている。兄弟が前面にほのかなろうそくの光によって顔が照らされている中、リベカはヤコブのそば、それも奥のほうに描かれ、薄暗い中にリベカの顔が浮かんでいる。この場面ではただの兄弟の口約束にすぎなかったのだが、この話の後半はヤコブを偏愛するリベカがヤコブに入れ知恵をして兄のエサウから本当に神の祝福をだまし取ることになるのだ。

だからこの絵の暗闇の中のリベカはヤコブの影で祝福を奪い取るようにまるでヤコブを操っているように実にその表情が興味深い。





「パレルモ港の入り口、月夜」クロード=ジョゼフ・ヴェルネ

夜のパレルモ港の風景。夜の海に満月が雲の切れ目から顔を出し、大きな帆船のシルエットを浮かび上がらせてる。右下のほうには船を待つ人々だろうか、たき火をしてその光にうす暗くぼんやりと人々の様子がわかる。暗い色調なのに美しい絵だ。パレルモ港があるのはシチリア島。ああ、行ってみたい。



「エカテリーナ2世の肖像」リチャード・ブロンプトン

絹のような髪の毛、澄んだ青い瞳、バラ色の頬、美しさと威厳に満ちた肖像画。
エカテリーナ2世の文化戦略のひとつが、積極的な美術品の収集だった。ロシアの財力と文化水準をヨーロッパ諸国に誇示するために海外から多数の美術品を購入し、宮殿内の美術ギャラリーに展示し、それがエルミタージュ美術館の礎となるのである。





「死の天使」オラース・ヴェルネ

ベッドの傍らに祈る人がいる。壁にキリストの肖像画、机の上には聖書。美しい白い服の女性(少女?)が天上を指さし、黒い天使に支えられて今まさに天に召されようとしている。女性の顔は白く輝き、穏やかな顔をしている。とても美しい絵なんだけど・・・。

天の御国に帰るのだから穏やかな顔をしているのはわかるのだが、なんで天使を黒くしてしまったのか。この天使、天使というよりは死神に見える。まるでハリーポッターに出てくるデス・イーターのように不気味。本当に天国につれって行っていってくれるの?と思ってしまった。どうせならその女性のような美しい天使がいいと思うのだが…。この作品はヴェルネ自身の娘の死が影響されているという。






「廃墟(内なる声)」ジェイムス・ティソ

実はこの作品が一番心に残った作品。この絵を見たとき涙がでてきた。

廃墟のがれきの中で疲れている農民夫婦。荷物が前方にあるのは彼らが巡礼者だから。行き場がない人たちのようにも見える。その一人によりかかるように寄り添う傷だらけのキリスト。茨の冠をかぶり、悲惨なまでに傷だらけのキリスト。瀕死の状態のようにも見える。それはグリューネヴァルトのイーゼンハイムの教会に掲げられていた祭壇画の磔刑のキリストの絵をほうふつとさせる。キリストの衣にはアダムとエヴァの原罪、ユダの接吻の場面が描かれている。

キリストはいつも弱い者とともにおられる、友なき人の友であり、行き場のない人、迷える人を導かれる。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。」と言われ、暗闇の中に光をもたらし、恐れがあるとき、いつも「恐れるな私はあなたと共にいる」といわれる方なのだ。

衣にアダムとエヴァの原罪とユダの接吻が描かれていたが、罪ある私たちをそのまま愛し、赦してくださる、またユダのように裏切っても悔い改めれば赦してくださる深い愛の神ということを描きたかったのだろうか。

この作品は1885年パリのゼードルマイヤー画廊に出品した《パリの女・15点シリーズ》の最後の作品《聖なる音楽》(所在不明)を制作中に,サン・シュルピス寺院のミサで,キリストの聖霊が現れたのを目にし、その神秘的な経験によって彼は《内なる声(廃墟)》を描いた。以後,ティソは世俗の主題から離れ,《キリストの生涯》の挿絵を描くことを決心した(ただし依頼された肖像画は例外)という。

きっとイエス・キリストを知らない人がこれを見たら気持ちが悪いと思うかもしれないが、この絵は何を意味してるのと思うかもしれないが、クリスチャンの私にとっては涙がでるほど心が揺さぶられる絵だったのだ。


大エルミタージュ美術館展!よかったよ!