ホントに社会保険庁のおかげで・・・・とぶつぶつ言っても始まらない。母のところにも年金特別便がきた。ハガキを送るだけで手続きはできないし、しかも母の住むF市の役所でも出来ないので、K市までわざわざいかなくてはならない。それで今日は母と一緒にK市の社会保険業務センターへいってきたのだった。
いろいろ調べていくとやっぱり抜け落ちているところがあった。母は遺族年金として父の年金をもらっているのだが・・・。
あのスナフキン気質の父の事、まあ、よく仕事をころころと変わっていたこと。結婚以前に3回、結婚してからも4回転職している。無職の時もあったようだ。仕事に行くといって映画を見ていたという話もでてきた。
正義感が強いので他の人をかばったり、代表で文句を言ったりするので出世とは無関係の人であった。そういうことも会社を変えるきっかけになったんだろう。
調べていくうちに歯科技巧の会社で営業で外回りをしたことがわかった。
また、晩年、近くの小学校から頼まれて戦争体験を語った時の下書きから蒲田の軍事工場で働いていた事もわかった。また、母が結婚したばかりの頃、終戦後、北海道に戻り炭鉱で働いていた事もわかった。
早いほうがいいよと9時ごろいったのだが、業務センターには人、人、待ってる人がすごい!待ち時間がすごいとはきいていたが、これほどとは。。。番号札をもらって2時間以上待った。
やっと番が回ってきて、説明は私がする。こういう時母は人任せなんだから。結局抜け落ちていたところは歯科技巧会社のところだけだった。軍事工場と炭鉱は古くて名前がわからないだけでちゃんと年金に入っていたのだった。書類を書き手続きを終えてやっと重荷が降りた感じ。年金に今回の会社のものが加算されるのは1年以上もかかるという。でも父が年金をもらっていた時からもらえるらしいので母は助かるだろう。加算される額はほんのわずかなものだがそれでもありがたい。
私が知っているのは父がIHIの現場で働いていた時の事だけ。私が生れてからは定年までずっと会社を替わることはなかった。風来坊でプライドの高い父のことだから嫌な事もたくさんあったに違いなかった。そうやって私を養ってくれたんだとあらためて知ることが出来た。
母が言った。「お前はお父さんにとって宝物だったからねぇ。」
あの大空襲を生き延びて、母と結婚して、働きながら書を極め、一時期は民謡歌手になるために早O一門に入門、名取までなったのに金儲け主義だと師匠に文句を言い、名取の免状を帰して破門になってしまった父。そういう中で育ててくれていた。なんとも・・・愉快な父だ。
年金を通じて母の事父の事いろいろと考えさせられた。
全ては神様の御手の中のことなんだろうな。この両親を与えられた事に感謝した。
いろいろ調べていくとやっぱり抜け落ちているところがあった。母は遺族年金として父の年金をもらっているのだが・・・。
あのスナフキン気質の父の事、まあ、よく仕事をころころと変わっていたこと。結婚以前に3回、結婚してからも4回転職している。無職の時もあったようだ。仕事に行くといって映画を見ていたという話もでてきた。
正義感が強いので他の人をかばったり、代表で文句を言ったりするので出世とは無関係の人であった。そういうことも会社を変えるきっかけになったんだろう。
調べていくうちに歯科技巧の会社で営業で外回りをしたことがわかった。
また、晩年、近くの小学校から頼まれて戦争体験を語った時の下書きから蒲田の軍事工場で働いていた事もわかった。また、母が結婚したばかりの頃、終戦後、北海道に戻り炭鉱で働いていた事もわかった。
早いほうがいいよと9時ごろいったのだが、業務センターには人、人、待ってる人がすごい!待ち時間がすごいとはきいていたが、これほどとは。。。番号札をもらって2時間以上待った。
やっと番が回ってきて、説明は私がする。こういう時母は人任せなんだから。結局抜け落ちていたところは歯科技巧会社のところだけだった。軍事工場と炭鉱は古くて名前がわからないだけでちゃんと年金に入っていたのだった。書類を書き手続きを終えてやっと重荷が降りた感じ。年金に今回の会社のものが加算されるのは1年以上もかかるという。でも父が年金をもらっていた時からもらえるらしいので母は助かるだろう。加算される額はほんのわずかなものだがそれでもありがたい。
私が知っているのは父がIHIの現場で働いていた時の事だけ。私が生れてからは定年までずっと会社を替わることはなかった。風来坊でプライドの高い父のことだから嫌な事もたくさんあったに違いなかった。そうやって私を養ってくれたんだとあらためて知ることが出来た。
母が言った。「お前はお父さんにとって宝物だったからねぇ。」
あの大空襲を生き延びて、母と結婚して、働きながら書を極め、一時期は民謡歌手になるために早O一門に入門、名取までなったのに金儲け主義だと師匠に文句を言い、名取の免状を帰して破門になってしまった父。そういう中で育ててくれていた。なんとも・・・愉快な父だ。
年金を通じて母の事父の事いろいろと考えさせられた。
全ては神様の御手の中のことなんだろうな。この両親を与えられた事に感謝した。