宮島を後にして路面電車に乗って平和祈念公園へ。
広島の路面電車、都電荒川線みたいだな。
実を言うとこの地には初めて来た。よく修学旅行で訪れる人は多いと思うけど、私の卒業した中学、高校とも修学旅行で平和祈念公園に行くことはなかったのだ。
初めて近くで見る原爆ドーム。
静かだ。暖かな日差し、風、鳥の鳴き声。そう言う中にこの原爆ドーム。とても奇異な感じがする
今も残る瓦礫。その間で草花が生きる。とても平和なのにそれがなぜか余計に悲しい。
原爆ドームの元の名称は広島県産業奨励館。この写真は原爆ドームの隣にあった。こんなに立派な建物だったんだ。爆心地はこのドームのすぐ近く、200メートルしか離れていなかった。
Wikipediaによるとこの核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡し、原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされる。
そしてこの特殊爆弾の爆発効果を観測し記録する目的だったと言う。原爆投下直後、軍部によって始められた調査は、放射能によって被曝者の体にどのような症状が出るのか、調べた記録(人体実験も含めて)を日本はそのすべてを英語に翻訳し、アメリカへ渡されたという。
エノラゲイ。原爆を搭載した戦闘機をスミソニアン博物館で見たことがある。原爆資料館で原爆が落とされ街が一瞬にして焼き尽くされる映像を見た時、あの時見たエノラゲイと惨状がリンクした。もちろんそこに原爆被害、その悲惨さなどは一切触れていない。
アメリカ人の60%の人は原爆投下によって戦争を終わらせることができたと未だに肯定的に捉えている。だから原爆投下のキノコ雲の切手まで発売された。この切手には原爆投下が戦争の終結を早めたと言う文が入っている。
また、国立航空宇宙博物館でエノラゲイと広島・長崎の原爆資料と並べて公開する企画があったのに退役軍人などの猛反対、その強い抗議の圧力により、この企画は中止、のちに館長は騒動の責任を取って辞任した。
戦争は恐ろしい。残酷である。人間って敵とみなしたら平気で殺してしまうのだろうか。誰もがそうなる残虐性を秘めているのかもしれない。
平和祈念公園の原爆死没者慰霊碑にこんな文を記してある。
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
これは私達一人一人が言うべき言葉じゃないだろうか。
No more Hiroshima!
No more Nagasaki!
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