FBでも紹介した映画ですがとても考えさせられる映画だったのでこちらでも。
「戦場のピアニスト」という映画見たことありますか?この作品はピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの原作を脚色して作られた映画です。
2002年公開、ドイツ、フランス、ポーランド、イギリス合作映画。ロマン・ポランスキー監督。
あらすじ。
舞台は1930年代後半、第二次世界大戦でナチスドイツの支配下にあったポーランド、ワルシャワ。ピアニストとして活躍していたシュピルマンであったがドイツ軍の侵攻によりその生活は一変、次第に状況は悪化し、ユダヤ人差別、暴力、財産の没収、そのうちワルシャワ・ゲットーと呼ばれる隔離区域に移住させられる。ドイツ兵はユダヤ人達を凄まじい暴力で支配し、おぞましいほど簡単に殺戮していく。
やがてユダヤ人達は収容所につれていかれる。その流れの中でシュピルマンはユダヤ人警察管ヘラーによりその危機をのがれるが、目の前で彼らの家族を乗せた列車は行ってしまう。その後ゲットー内での労働中でゲットー蜂起の準備に協力しはじめる。食料調達にゲットーの外に出た時、昔の知人を見かけその協力によりゲットー脱出に成功する。隠れ住んだものの、ゲットー蜂起、ポーランド蜂起はことごとくドイツ軍に鎮圧され、ワルシャワは壊滅状態になり、シュピルマンは支援者もいなくなり1人きりになってしまう。そして廃墟で見つけた缶詰をなんとか開けようとしているところへ、ドイツ軍将校ボーゼンフェルトに見つかり…
ここからネタバレ(見たくない人は見ないでね)
シュピルマンはボーゼンフェルトに尋問されピアニストであることを告げる。ボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くとその演奏の素晴らしさに感動し、彼を見逃し(もうすぐドイツが負ける事がわかっていたと思われる)こっそりパンと缶切りを差し入れ、後もシュピルマンを助けてくれるのであった。
間もなくしてドイツは負けて、シュピルマンは自由の身となる。立場が逆転しドイツ兵は皆捕まりボーゼンフェルトも捕まってしまう。捕まったドイツ兵を罵るユダヤ人にかつて助けたシュピルマンをたすけたことがある、彼に私を助けて欲しいと伝えてくれるよう懇願するボーゼンフェルトであったが彼の名は混沌としたその場の声にかき消され、結局シュピルマンは何もすることができなかった。そして平和が訪れ以前のようにピアニストとして舞台に立つシュピルマンのすがたがあった。
感想:暴力や殺戮にシーンに胸が詰まり、目を覆いたくなるほどでした。あのような戦時下の中とはいえ人間とはなんと罪深いものなんだろうと思います。人間はこれ程までに残酷になれるものなのか。追い詰められた状況下だから?自分を守るために?ユダヤ人を通報したり迫害したり、殺したりそんな人もいたのでしょうか?今も暴力と殺戮で支配する組織や国があります。きっとその中には殺されないために仕方なく従っている人もいるのでしょう。自分だったらどう行動するだろうか、信仰を守り通せるのか、と考えさせられました。
シュピルマンがボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くシーンがあります。ショパンのバラード第1番ト短調作品23が演奏されます。この曲がこの時ほどこんなにも切なく美しく心に響いたことはありません。
絶望、悲しみ、その悲しみの中に怒りがこもっているような…シュピルマンのこの戦争に対しての感情が爆発しているような演奏で泣けて泣けてしかたありませんでした。
ドイツ兵が撤退する時ボーゼンフェルトが差し入れとともに自分の外套もシュピルマンにあげるシーンでとても心に残る言葉がありました。
シュピルマン:「あなたになんとお礼をしたらいいやら…」
ボーゼンフェルト:「神に感謝を。すべては神のご意志だ。そう信じないと。」
ボーゼンフェルトの言葉に思わずアーメンといいたくなりました。
ボーゼンフェルトが助からなかったのはなんとも皮肉な事です。この映画を見たFB友がシュピルマンとボーゼンフェルトについて書いてある記事を教えてくれました。原作ではボーゼンフェルトの奥さんから助命懇願の手紙を受け取りソ連の管轄下の収容先に行きますがソ連側はここにいるのは犯罪人だけだと取り合わなかったそうです。それ以上なすすべもなくもう一度行った時ボーゼンフェルトは亡くなっていたとのことでした。シュピルマンはとても落胆したそうです。その後シュピルマンとボーゼンフェルトの家族はずっと交流があったようです。映画の翻訳の字幕ばかり追ってしまいますがボーゼンフェルトはシュピルマンに対してとても丁寧な言葉を使っていたそうです。平和…大事ですね。
読んでくれてありがとうね!
「戦場のピアニスト」という映画見たことありますか?この作品はピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの原作を脚色して作られた映画です。
2002年公開、ドイツ、フランス、ポーランド、イギリス合作映画。ロマン・ポランスキー監督。
あらすじ。
舞台は1930年代後半、第二次世界大戦でナチスドイツの支配下にあったポーランド、ワルシャワ。ピアニストとして活躍していたシュピルマンであったがドイツ軍の侵攻によりその生活は一変、次第に状況は悪化し、ユダヤ人差別、暴力、財産の没収、そのうちワルシャワ・ゲットーと呼ばれる隔離区域に移住させられる。ドイツ兵はユダヤ人達を凄まじい暴力で支配し、おぞましいほど簡単に殺戮していく。
やがてユダヤ人達は収容所につれていかれる。その流れの中でシュピルマンはユダヤ人警察管ヘラーによりその危機をのがれるが、目の前で彼らの家族を乗せた列車は行ってしまう。その後ゲットー内での労働中でゲットー蜂起の準備に協力しはじめる。食料調達にゲットーの外に出た時、昔の知人を見かけその協力によりゲットー脱出に成功する。隠れ住んだものの、ゲットー蜂起、ポーランド蜂起はことごとくドイツ軍に鎮圧され、ワルシャワは壊滅状態になり、シュピルマンは支援者もいなくなり1人きりになってしまう。そして廃墟で見つけた缶詰をなんとか開けようとしているところへ、ドイツ軍将校ボーゼンフェルトに見つかり…
ここからネタバレ(見たくない人は見ないでね)
シュピルマンはボーゼンフェルトに尋問されピアニストであることを告げる。ボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くとその演奏の素晴らしさに感動し、彼を見逃し(もうすぐドイツが負ける事がわかっていたと思われる)こっそりパンと缶切りを差し入れ、後もシュピルマンを助けてくれるのであった。
間もなくしてドイツは負けて、シュピルマンは自由の身となる。立場が逆転しドイツ兵は皆捕まりボーゼンフェルトも捕まってしまう。捕まったドイツ兵を罵るユダヤ人にかつて助けたシュピルマンをたすけたことがある、彼に私を助けて欲しいと伝えてくれるよう懇願するボーゼンフェルトであったが彼の名は混沌としたその場の声にかき消され、結局シュピルマンは何もすることができなかった。そして平和が訪れ以前のようにピアニストとして舞台に立つシュピルマンのすがたがあった。
感想:暴力や殺戮にシーンに胸が詰まり、目を覆いたくなるほどでした。あのような戦時下の中とはいえ人間とはなんと罪深いものなんだろうと思います。人間はこれ程までに残酷になれるものなのか。追い詰められた状況下だから?自分を守るために?ユダヤ人を通報したり迫害したり、殺したりそんな人もいたのでしょうか?今も暴力と殺戮で支配する組織や国があります。きっとその中には殺されないために仕方なく従っている人もいるのでしょう。自分だったらどう行動するだろうか、信仰を守り通せるのか、と考えさせられました。
シュピルマンがボーゼンフェルトの要望に応えてピアノを弾くシーンがあります。ショパンのバラード第1番ト短調作品23が演奏されます。この曲がこの時ほどこんなにも切なく美しく心に響いたことはありません。
絶望、悲しみ、その悲しみの中に怒りがこもっているような…シュピルマンのこの戦争に対しての感情が爆発しているような演奏で泣けて泣けてしかたありませんでした。
ドイツ兵が撤退する時ボーゼンフェルトが差し入れとともに自分の外套もシュピルマンにあげるシーンでとても心に残る言葉がありました。
シュピルマン:「あなたになんとお礼をしたらいいやら…」
ボーゼンフェルト:「神に感謝を。すべては神のご意志だ。そう信じないと。」
ボーゼンフェルトの言葉に思わずアーメンといいたくなりました。
ボーゼンフェルトが助からなかったのはなんとも皮肉な事です。この映画を見たFB友がシュピルマンとボーゼンフェルトについて書いてある記事を教えてくれました。原作ではボーゼンフェルトの奥さんから助命懇願の手紙を受け取りソ連の管轄下の収容先に行きますがソ連側はここにいるのは犯罪人だけだと取り合わなかったそうです。それ以上なすすべもなくもう一度行った時ボーゼンフェルトは亡くなっていたとのことでした。シュピルマンはとても落胆したそうです。その後シュピルマンとボーゼンフェルトの家族はずっと交流があったようです。映画の翻訳の字幕ばかり追ってしまいますがボーゼンフェルトはシュピルマンに対してとても丁寧な言葉を使っていたそうです。平和…大事ですね。
読んでくれてありがとうね!