風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

涙の祈り・モニカのように・・・。

2012-04-27 13:27:49 | 長男のこと
障碍者就労支援室での職業訓練の期間が終わり、ずっと家にいる長男。

しばしば、いや、ほぼ毎日、衝突する。奴の生活態度のことで。

できないことばかりが目につく。障碍ゆえにできないのか、ただ、たんに、なまけているだけなのか?

本気で職を探しているように見えないし、どこか人任せだし、直ぐにやらなければならないことをのばしのばしにしている。

パソコンやゲームをする時間があったらやることがあるだろう。勉強するとか、部屋を片付けるとか。
テレビを見ていれば自分の気に入らない番組を勝手に変えてしまう、ニュースを見れば批判・偏見ばかり、持論を展開し、とにかくしゃべりまくる。天気が自分の思い通りにならないとこれもまた文句がでてくる。文句というか呪いだ。それを聞いているのがすごくつらい。今話してないよと言っても構わずしゃべりつづける。弟との関係も悪くなってきた。(本人は弟が何で怒っているのかわかっていない。)

こんなことの繰り返しで私は時に怒りがコントロールできなくなる。喧嘩になる。最後には私が泣きわめく。しばらくたって長男が誤って終わり。また繰り返し。

私が長男に怒りをぶつけるとき彼を傷つけるようなことを言ってしまう。そのあと、ひどい自己嫌悪に陥り、
神様に祈るのだけど…ああ、今日もひと騒ぎ。。

今日は薬の量を勝手に変えて飲んでいたがわかり怒り心頭。
薬の管理も奴に任せておけないのか。。。それをどこかに無くしたと嘘をついていた!
怒る私に、「お母さんに言ったら怒るから言えなかった。そこまで自分を追いつめていたのはお母さんのせい」なんだという。

ぶちきれた。今日もたくさん、たくさん、傷つける言葉をなげつけた。
私も楽になりたい。いつまでつづくのか。
その時アウグスティヌスの母モニカのことを思った。



ちょうど昨日の聖書の学びの中でとてもいい話を聞いた。アウグスティヌスが回心したかげにモニカの涙の祈りがあったという。

彼女は、堕落した息子のことでミラノの司教アンブロジウスのもとに相談に行った時こう言われたという。


「安心して行きなさい。涙の子は決して滅びることはない。母親が子どもを想い、神の前で流した涙は、決して無駄にならない。

その言葉を胸にモニカは、息子のために、涙を流し熱心に祈った。そして、その祈りは彼女が召天する1年前(56歳の時)に答えられたそうだ。



慰められるいい話だとおもった。息子の状況とはちがうけれども。


でも、涙を流して祈っているけれども息子のためなんだろうか。わからなくなる。
私の祈りは自分が楽になるための祈りだ。今すぐにでも長男から逃げ出くなる。

そんな愚かな母の祈りでも神様は覚えてくださるのかな。



ラインホールド・ニーバーの平安の祈り

2012-04-26 16:22:58 | キリスト教(行事、他)
ラインホールド・ニーバーの平安の祈りというのを私は「親業」の本で知った。割と知っている方が多いかもしれない。色々なところで引用される祈りでもある

「神様、どうか私にお与えください。
変えられないものを受け入れる心の平安を
変えられるものを変える勇気を
そしてその違いを見極める知恵を」

私が知っているのはこの4行だけだった。過去記事でもこの祈りが素晴らしいので紹介したことがある。
そして最近クリスチャン仲間と始めた回復の喜び(原題:Celebrate Recovery)の学びのテキストガイドにこの祈りの全文がみつけたのだ。

先ほどの4行も含めたこの祈りの全文をご紹介!



      「平安の祈り」
                    ラインホールド・ニーバー


神様、どうか私にお与えください。
変えられないものを受け入れる心の平安を
変えられるものを変える勇気を
そして、その違いを見極める知恵を

与えられた一日を精一杯生きることができるように
一瞬一瞬を楽しむことができるように
苦しみは平安への通り道であることを
受け入れることができるように

たとえ自分の願いどおりにならなくても
主イエスがされたように
この罪深い世界をそのまま受け入れることができるように

もしあなたの御心にゆだねるなら
あなたがすべてを正しく導いてくださることを
信じることができるように

そうすれば、私はこの地上において幸いな人生を送り
また天国においては、あなたと共にある最高の幸せに
あずかることができるでしょう。




最初の4行はすばらしいけど、全文あったほうがこの祈りができるまでにとおってきた苦しい道のりが表れているような気がした。

私も心に大きな傷があった。でも自分にそれをどうすることもできないことを認めた時から、神様にすべてをゆだねたときから、神様の下さる大きな恵みの中へ導かれていった。  

この平安の祈りは私の祈りでもある。毎日でも祈りたい祈りの言葉だ。


*Celebrate Recovery(興味のある方のために)・・・・・・このプログラムは心の傷や悪習慣から乗り越えることができるように聖書の山上の垂訓のイエスの御言葉に基礎を置く回復プログラム。)全米で2600万部を突破した「人生を導く5つの目的」の著書で有名なリック・ウォレン牧師の著書。(バーバス・ドリブン・ジャパン発行)


3月の出来事

2012-04-13 09:03:56 | Weblog
久々にブログ更新です。

3月はなんだかあわただしかったですねぇ。。。

次男の卒業式からもう1か月もたっちゃったじゃないですか。

なんといってもフルートの発表の場が3回もあったんです。

一つアカデミーの授業の1つとして証コンサートというのがあります。

私たちはクリスチャン音楽家なのでコンサートも神様を賛美する場となります。どうしてクリスチャンになったのかというお話を交えながら1人15分間の持ち時間で2,3曲を演奏するのです。

私の選曲は次の通り。

賛美歌「いつくしみ深き」
賛美歌「だから今日希望がある」
賛美歌「この世のなみかぜさわぎ」

「いつくしみ深き」は皆さんもよく知ってる曲ですよ。キリスト教式の結婚式を挙げた方なら歌ったことがあると思います。また、小学校唱歌で「星の世界」と言ったらメロディーがわかるでしょうか?

「だから今日希望がある」は以前、このブログでも取り上げたことがあるタンゴの讃美歌です。この曲の譜面はピアノのものしかないので、フルート用はちょっとばかり自分でメロディーを編曲しました。伴奏者の方にはいろいろ相談しましたが本当に素敵なピアノ伴奏にしてくださいました。さすがはK先生!

「この世のなみかぜさわぎ」もまたよく知られたメロディーなんです。ほらほら、あのロンドンデリーの歌ですよ。

この曲の合間にお話しした私がクリスチャンになるまでのお話は過去記事「バプテスマを受けるまで」「バプテスマをうけるまでー続きー」という題で書いてます。カテゴリーの中の証という部分にはいってます。



さて2つめ。3月20日は私にフルートを教えてくださってる紫園香先生の門下生の発表会・香笛の会がありました。

3月31日はアカデミーの期末試験でした。どちらも演奏した曲はベーム作曲「華麗なるスイス民謡変奏曲」。

難しかった…。音源が見つからず苦労しました。というのもこの変奏曲の全曲を演奏しているCDがないんですよ。この曲はテーマも含めて7曲の短い曲でできていますが、CDやYOUTUBEで見つけた演奏者は3曲くらいの演奏なんです。

難しかったですが、本当に素敵な曲です。ピアノの情熱的な出だしに始まりフルートが歌い、早いパッセージもたくさん出てきます。この速いところを譜面に書いてある速度でふけたらよかったんですが、直前の練習までうまくいかないので確実にふける速度で演奏しました。テーマのメロディーは本当にのどかで美しく、スイスのおおらかさがあらわされています。

変奏曲なのでこのテーマが変わっていきます。だんだん音符が細かくなっていく!のです。2番目はかわいらしい感じ。
3番目の変奏曲はヨーデルを連想させるメロディー出てきます。私もヨーデルをうたっている感じで…そう聞こえたかどうかわかりませんが、そんな感じで演奏しました。まるでアルプスの少女のように(うそ!
変奏4番目、今までとは打って変わったなめらかでもっと美しいメロディー。しかし、この部分が一番難しかったです。フルートは4拍子なんですが、ピアノは3連府を刻んでいくのです。だからフルートの付点の部分でずれが生じやすくなってしまうのです。何度も何度も練習したんですが、本番ではやっぱり3連符につられてしまいました。
変奏最後の曲は軽快な早いパッセージが続き華やかに終わります。しかし、ブレスをとるのに四苦八苦。息切れ、う~ん・・練習不足だな。

今回もこの曲を通して曲のイメージをつかむのに音源に頼りすぎてしまうことに気づきました。音楽って音符に関しては本当に数学的なんです。私は数学的な部分が本当に苦手。でもそれは避けて通れないし逃げたらだめだな。もっと頑張ろうっと。


そうそう、3月31日のアカデミーの期末試験は声楽、クラリネット、オーボエ、フルート、ピアノ、バイオリンの学生たちがそれぞれ演奏するので本当にちょっとしたコンサートなんです。だけど、審査官は10人以上目の前にいるので非常に緊張します。しかし、非常に贅沢な時間であり、勉強になります。そしてジュニア科の子供たち、若い方々の一生懸命な演奏。素晴らしかった。私はただただすごいな~と感心するばかりでした。また、この日は同じアカデミーの学生たちとの楽しい交流の時、卒業試験を受ける方の証コンサートなど恵まれた時となりました。