風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

昨日の一日

2006-05-31 23:09:22 | Weblog
腰と肩が痛いです・・・。原因は昨日の体育祭と雨。

昨日は次男の中学の体育祭だった。

あ~、やっと地域の育成会役員が終わったと思ったら今度は中学の広報役員になってしまった。で、当然体育祭にはカメラ片手に広報に載せる決定的瞬間みたいな写真をとりまくっていたのだ。午前中は日差しが強かった・・・。焼けるがな・・・。その日差しの中で立ちっぱなし、しゃがむ、走るといった行動はつかれる・・。

みんなが嫌がる広報役員。でもね、役得だよ~。「広報」の腕章をつけてどうどうと競技中、かなり近いところまでいけるから、自分の子供の写真もアップで撮れる。いつも顔が豆粒みたいな写真ばかりで不満だったのだが、おかげでいい写真が撮れた。

一仕事終えて、帰宅し、家の仕事しているともう夕方。なにやら黒い雲が出てきたと思ったら雷雨に。
あ~こんな日に限って・・フルート教室の日。でもたった一人のかわいい生徒だからね。行かねば。雷鳴とどろく土砂降りの中、とぼとぼと、畑をこえ、ごちゃごちゃした住宅街を越えて線路沿い近くの音楽教室へ行ってきましたよ・・。大きなかばんに大事なフルート、譜面台、楽譜4冊かなり重い。でも雨が降りかかってしまっては困るので右肩にかけ手前のほうに引っ張って前でそのかばんを抱え、左手で傘を差す。そんなふうに楽器に気を使いながら歩いく雨の中の片道15分はすごく長く感じた。雷、怖かったしなぁ・・・。

レッスンと自分の練習が終わって帰宅し、晩ご飯のしたく。片付け始めた頃にだんなが帰宅。晩御飯の用意。一日たったら腰と右肩が痛くなってしまうし・・・まずいなぁ、運動不足かな。

なんだかつかれたわ~という一日だった。





アフガニスタン支援

2006-05-31 00:31:07 | Weblog
土曜日、この日は次男の体育祭だったのだが雨で延期。しかしそのおかげでNPO法人「燈台」の現地活動報告会に行く事ができた。

「燈台」はアフガン難民の子供達のために学校を作ったり、また、マラリア、リーシュマニアといった風土病を無料で行うなど医療支援をしている団体だ。

アフガニスタンでは80%が文盲といわれているそうだ。難民学校の勉強の内容は英語、算数、理科等などであり、イスラム圏では珍しく女子も学べる。
教育支援はパキスタンのクエッタを中心に行われてきたが、最近、難民がアフガニスタンへ帰還するのに伴いジャグリー市へと移行してきている。子供達はこうした教育支援を受けてカブール大学にも優秀な成績で入学するなどうれしい面がある一方、資金不足でたくさんの応募者をことわらなくてならないといった面もあるそうだ。

リーシュマニアという病気をご存知だろうか?
サシバエ(蚊)を媒体として伝染し、顔やからだの刺されたところが激しく痛み、大変醜いかさぶたができる皮膚病だ。いただいた資料にはこの病気に罹った難民、特に子供の写真があった。かわいらしい子供の両方の頬にいっぱいにできた、でこぼことした醜いかさぶた、腫れて変形している若い女の人の顔、なんとも胸が痛くなる思いがした。

以前、治療中のビデオを見せていただいた事もあった。リーシュマニアの治療は患部に直接注射をするのである。あまりの痛さに泣き叫ぶ子供達。とてもかわいそうだった。問題なのは難民達にこの病気に対する知識がない事。リーシュマニアだとわかるまで数ヶ月も放って置かれたり、他の診療所で薬がなくなって途中で治療をやめたケース、また治療費が払えなくて治療をやめるケース、中にはまったく誤った診断をされたケースがあり、医者に対して不信感があるようだ。また、医療支援のために届けられた薬が箱のまま市場に売られていたとか。

国が貧しいから環境衛生、教育、医療まで行き届かない。電気も水も乏しい。アフガン難民の生活環境は未だにほとんど変わっていないのだ。また難民自体も自立しようという意識はまだない。このような団体を政府の代わりとしか見ていない人が多いという事だ。それでもリーシュマニア患者の希望の灯火をともし続けるとがんばっている燈台の行為は本当に尊いと思う。

「燈台」現地代表の話を聞きながらこんな御言葉を思い出していた。

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(旧約聖書レビ記19章18節)

アフガニスタンは現在も不穏な情勢の中にある。その中で自分の命も危険にさらされているのにこういった支援活動をずっと続けられるのはやはりアフガニスタンの人々への愛があるからだろう。私にはとてもできないことだ。私もアフガニスタンの人たちのことを今まで以上に心にとめ、祈り、支援したいと思った。

音楽と絵

2006-05-24 11:18:18 | Weblog
友達から多趣味な人だといわれたことがある。

私の趣味といったら音楽を聴く、奏でる事と絵を描く事、落語を聴くこと。その昔は石や貝殻集めに始まって、ガラスの食器、工芸品集め、天体観測、ガーデニング。

でもその中でどれがすきといったら音楽と絵だ。私にとって音楽と絵はいつも平行線をたどっているように思える。というよりワンセットというほうがいいかもしれない。絵を見ている時、描いている時、音楽を思い出す。音楽を聴いている時、奏でている時とそれにあった絵や風景が出てくる。どちらもすごく楽しいし、大切な時間だ。

絵を描いているとき、音楽を奏でる時、うまくいかなくて悩む事もある。そういう私を見たくなくて「やめちゃえばいいじゃない」とだんなは言う。だけど結局悩んでいる時間さえも楽しいんだよね。それにやめたら余計にストレスがたまるよ。

そうやって少しずつ暖めてきた音楽と絵だけど、神様を信じてから何かが変わってきた。日々、恵みを感じるから、その愛に感謝するから、それに対して何か応答したいと思い始めた。私はすごい絵描きでもなければ、すごい演奏家でもない。ただ自分にできる事と言ったらこれしかないので自分にできる範囲で音楽、絵で神様を賛美すること(褒め称える事)に使いたいと考えている。

これは最近の私の祈り。

主よ、私をあなたの筆としてください。私をあなたの楽器としてください。力のないものですが、あなたの愛を表すものとして御心のまま用いてください。主イエス・キリストの御名をとおしてお祈りします。アーメン。




紙きり~切り紙~切り絵

2006-05-19 17:07:51 | 
紙きり好きが高じてこうなりましたというお話。

古典芸能の紙きりがすきなのは前日の日記や「池袋演芸場」にも書いてある。4月の寄席で見た林家正楽師匠の紙きりはすごかった!!

そんなにすごいのはできないけれど、見よう見まねで雑誌載っていた写真のカラスを切ってみた。


正楽師匠のように短い時間ではできません・・・。
正楽師匠のように切り抜いて、あとの形を見せられません・・・。残った紙は切り抜いた形はなく、ジャギジャギです・・・。

そして、こちらはアメリカの老人ホームでご披露した?ちょっとおデブなミッキーマウス。


カラスのように時間はかけられないし、万が一失敗してなんだかわからないより、ミッキーだったら多少変でもわかるだろう。折り紙を半分にして左右対称になるように切るほうが手っ取り早い。眉と口は後で切って付け足した。

そして最近では切り絵に凝っている。もともと教会で影絵を作ったのがきっかけで、その後、今つどっている教会の掲示板を飾りたくてはじめたものだ。題は「放蕩息子」。

これはもちろんハサミではできない。おおかた下絵を書いてカッターで切り抜いていく。

放蕩息子はイエスのたとえ話として新約聖書に出てくる話だ。親が生きているうちに財産を分けてもらって放蕩三昧、財産はすぐに尽き、友達だと思っていた取り巻きもいなくなる。基金が重なり食べるのにも事欠く息子。悔い改めて使用人の1人として雇ってもらおうと父の元に帰ってきた息子。父は、これだけ自分勝手な生き方をしていた息子を拒絶することなく「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」と大喜びして迎えるという話。場面は父が帰ってきた息子をかわいそうに思い駆け寄るところをあらわした。

ちなみに、この話は神からはなれて自分勝手に生きている人間が、どんなに罪を犯しても、どんなにだめなやつでも悔い改めて神に立ち返れば赦してくれる、無条件で受け入れられ祝福してくれるという例えである。

という事で紙きり転じて今は切り絵となっている。どちらも楽しいが、やっぱり話術と芸術とが一体となった正楽師匠の紙きりは圧巻。紙きりは見るのが一番!

アメリカでのボランティア活動

2006-05-18 00:28:43 | Weblog
今日はアメリカでのボランティアの話など・・・・。

アメリカ人の親はボランティア活動が好きだ。学校のボランティア活動だけでも放課後のアフタークラス教えたり、遠足の付き添い、課外実習の手伝い、などなどいろいろある。親がボランティアをした時間を記録しておき、後ですべて計算され、教育委員会へ申請すると、その学校に補助金がおりるシステムになっているので間接的でも自分の子供のためになるからと親たちもがんばるのである。

在米中、同じように当時の私達日本人の親たちもボランティア活動にいそしんでいた。日本人学校へ行かず現地の学校へ行く日本人児童はいきなり英語漬けの毎日になるので、そんな時、親がボランティアとして学校に来てくれる事はやっぱりうれしいらしい。また、タウンが開く無料の英会話クラスなどの恩恵に感謝し、地域貢献したいという気持ちもあってのボランティア活動でもある。

リンクしている「めぐろのいぬやしき」さんと私は子供が同じ現地小学校に通っていたので、一緒にアフタークラスでOrigami & Kirigami Classをつくり、折り紙と切り紙を教えていた事もあった。アメリカの子供たちは折り紙に慣れていないからだと思うが、とてもぶきっちょさんのイメージがある。それでも一緒に作り上げた時の彼らの笑顔を見ることや、学校の掲示板を季節ごとに折り紙の作品で飾るのはとても楽しかった。

また、こんなボランティアもあった。老人ホームや、地域の集まり、現地の学校での日本文化の紹介だ。渡米直後の頃は長男をめぐるトラブルで先生とのやり取りに疲れ果て、家にこもる日々が続いた。それを見かねた友達が紹介してくれたのがこの日本文化紹介のボランティアだった。

いろいろな特技を持つ方々に出会った。折り紙、茶道、華道、香道、日舞、書道、琴や尺八、ピアノの演奏に長けている人。すごい虫の写真を送ってくださった愚林日庵人様も日本人文化紹介ですばらしい書道をご披露し、墨絵を得意とする一人である。

でも私の中で一番印象に残っているボランティアは毎月2か所の老人ホームにそれぞれ1回ずつ訪問した事。メンバーは当番せいで毎月何をやるのかを決める。それぞれが趣向を凝らし、お年寄り達にできそうなかわいらしい小物を作ったり、コンサートを開いたりしたものである。折り紙も簡単なものを。手先がうまく使えなくなってしまった人がいるからだ。折り紙に難しい英語は要らない。わからなくなったら全部「like that - このように」といって見せながらやればいいのである。

私は古典芸能の紙きりが好きだったので、kirigamiとして、わかりやすい題材でミッキーマウスの顔を切って見せた。やっぱりその場で作品を切って見せると驚いていた。「たくさん練習したんだろうねぇ」としみじみ言われてしまった。でも正楽さんがするような芸術の域に達する紙きりではなくとっても簡単なものだったのに・・・。

メンバーの中にはパールハーバーの話をされて困ったとか、英語でのコミュニケーションがうまくいかないとかそんなこともあったが、回数が増えるごとに打ち解けて、訪問すると拍手で迎えてくれるまでになった。

お年寄り達が喜ぶのは音楽だ。アメリカの歌やアイルランド民謡(アイルランドからの移民が多かったので)を一緒に歌う時が一番生き生きとしている。日本の季節の歌なども歌って歌詞の意味を紹介すると喜ばれる。音楽は国や文化、言葉を超えて心を一つにしてしまう。すごい!

帰国する時は抱き合って泣いてしまった。いつも私の手を握ってはなさないおばあちゃんは「死ぬまでもう会えないね」といい、あるおばあちゃんは「地球の裏側に行くだけだよ。またいつでも戻ってくればいいんだ。」といってくれた。(残念ながらお金も時間もないのでいけない・・・。)

つたない英語でどこまで喜んでくれたかわからないが、よく毎回私たちを快く迎え入れてくださったと感謝している。今、私の手元にはその方々にいただいた老人ホームの名前の入ったエプロンと布のバックがある。もったいなくて使えない。だからずっと宝物としてしまってある。


雑草鉢

2006-05-15 12:38:36 | 虫、植物、動物、自然
我が家には雑草鉢というのがある。

ベランダにおいてある植木鉢に風が運んだのか、なにやら分けのわからない雑草が生えるのだが、それがどんな葉をつけるのか、どんな花になり、どんな実をつけるのかちょっと興味がわいてきて、そのままにしておいたり、または小さな植木鉢に植えかえて観察してみるのだ。

写真はユッカの鉢に生えている草。最近気づいたのだが、かわいらしいピンク色の小花が咲いていた。花弁は4枚。そういえば近くの空き地に生えていたやつだ。やっぱり風が種を運んできたんだな。





雑草というにはあまりにもかわいらしい花なので手元にある野草雑草図鑑で調べてみると、「アカバナユウゲショウー赤花夕化粧」というなかなか趣のある名前がついていた。熱帯アメリカ原産の帰化植物で20年ほど前から急速に広がり、関東地方以西で野生化しているという。

長男は同じ鉢にはやしておくと栄養を全部取られるからぬいてしまえというが、このアカバナユウゲショウくん、せっかくの風からの贈り物、抜き取らずにゆっくりと楽しむ事にしましょ。

詩篇139篇

2006-05-12 23:56:39 | キリスト教(証)
主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。

あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。

あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。

ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。

あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。

そのような知識は私にとってあまりに不思議、あまりに高くて、及びもつきません。

以上は旧約聖書、詩篇139篇1節~6節である。
今日はこの御言葉を思い出してしまうそんな出会い・出来事があった。
先日、洗礼の証に書いた「与えられたように感じた出会い」の話を書いたが今日もまたそんな出会いがあったのだった。

今日は新大久保駅近くにあるの淀橋教会で首都圏キリスト教大会があり、同じ教会につどう姉妹方とともに行ってきた。

今日は体の調子もよく、電車の中でも話が弾んで苦しくなるような事はなかった。感謝だ。話をしてくれた姉妹も同じようにパニック障害があり、ご自分の苦しい体験を話してくださった。自分と同じ体験をした人の話をきき、ほっとし、彼女が今、元気でいる事で励まされたし、うれしかった。

さて、講演会の前にハープの演奏があった。ハープの音色は大好きなのでとても楽しみだった。美しい音、堂々とした演奏。そうして曲と曲の合間にハープ奏者は話を入れていくのだが、なんだか雲の上のような人だなぁとおもっていた彼女と私には共通点があることに気づいた。クリスチャンで、楽器の講師をしていること、賛美の奉仕をしていること、年齢が近い、高2と中1のわが家と同じくらいの息子さんがいる事、そんな話を聞きながら、私は彼女のようにすごい演奏家ではないけれどもなんだか境遇が似ているなと彼女を身近に感じる事ができたので、それがちょっとうれしかった。

そのうちに彼女は末っ子の話しをし始めた。座って話を聞いてられない、学校でも知らないうちにどこかに行ってしまう。何度言い聞かせても直らない。このあたりから、「あれ?何か長男に似ている」と思った。そして彼女友達のアドバイスを受けて末っ子を医者に診せたのだそうだ。そして言ったのだった。「ドクターの診断はアスペルガー症候群というものでした。」その言葉を聴いたとたん、涙がぽろっと出てきてしまった。「ああ、また、こんな出会いが・・・」隣では私の事情を知っている姉妹がやはり泣いていた。「パスピエさんはひとりじゃないんですよ・・。」といって。

ハープ奏者の方は私の大好きな曲、イ・ミンソプ作曲の「君は愛されるため生まれた」を奏でていた。その曲を弾く前にその子供さんが神様に愛されるため生れ、そして彼女もまた神様に愛されてると改めてそう思うといっていた。その言葉にそれまでの子育ての苦悩がわかるような気がした。

講演会が終わって先ほどのハープ奏者の方におずおずと話しかけてみた。でも途中で言葉にならなくなってしまった。「私の息子もアスペルガーなんです。」それだけがやっといえた。そして彼女もその一言で全部のみこめたようだった。彼女の紹介でアメリカから来た伝道師の方に祈っていただいた。その後、2人でこの子供たちを通してたくさんの恵みが与えられている事を感謝した。

そこで先に紹介した詩篇の139篇をおもいだしたのである。最近の体調、講師としての仕事や賛美の事、発達障碍の子供をめぐって感じていた切なさとか寂しさとか全部神様はわかっていたんだなぁと思った。同じような苦しい体験をした人をそばにおいてくださり、同じように苦悩しながら賛美をささげている人にあわせていただいた。今日会ったことは神様の憐れみのように感じたのだった。


詩篇139篇はこの言葉で終わる。

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

これは今の私の祈りの言葉でもある。


最近・・・。

2006-05-12 18:31:01 | Weblog
体調が悪いときは心まで沈んでくる。最近またパニック障害の軽い発作がたびたびくるようになった。家にいるとき、電車の中、四角い部屋で窓が少なくドアが閉められているところなど。もう直ったと思ったのに・・・。ちょっとショック。

これが大きな発作になるともうコントロール不可能。発作が始まって10分以内にピークに達し30分以内におさまるのだがこれが恐怖の30分だ。すごくびっくりした時のどきどき状態を想像してほしい。それがおさまらずどんどん心臓が高鳴っていく。息が苦しい、息ができているのにもかかわらずだ。そのうちに頭の先から全部の血液がさーっとしたに降りていくかんじがする。もうこうなると動けなくなる。息が苦しい・・・苦しい・・。多分何秒後には呼吸ができなくなるかもしれないというそんな恐怖だ。

薬はあまり使いたくない。服用するとずっと寝てしまうからだ。軽発作をそのままにしておくと大きな発作につながるので具合が悪いときは服用するようにしている。先日の内視鏡検査の時麻酔で具合が悪くなったがパニック障害の掲示板などを見ていたら麻酔の効いている範囲を考えたのがきっかけでパニックになった話が書いてあり、この間のも麻酔のせいではなくパニック発作である事がわかった。

昨日はも少し具合が悪かったのだが長男の検診で世田谷の病院まで行くために服用。それでも準急で停車しない区間を考えるともうそれだけで苦しくなってくるのだ。(その間は逃げられないので・・)鼻から息を吸って口で吐くことを意識しながらそれでも不安な時はミント味のガムをかんで息をちゃんとしている事を確認する。そんな事をしながらその時を乗り越えたが、その後は立っていても眠たくて眠たくて困ってしまった。。。

パニック発作で死ぬ事はないとわかっているんだけど・・・ね。





映画 『RENT』

2006-05-07 01:12:11 | 映画・演劇
映画館は怖いな。このところ具合悪いし、もしパニック発作がおこったらどうしようとおもったけど、でも『RENT』は見たい!絶対見たい!
という事で、昨日、執念で映画『RENT』を見てきたよ~!

『RENT』はアメリカ在住のとき見に行ったブロードウェイミュージカルだ。それもロックミュージカル。見に行ったのはこれを映画化したものである。舞台はニューヨークのイーストビレッジ。貧困、ドラッグ、エイズ、孤独と闘いながら、愛、友情の中で夢を持って今日という日を精一杯生きていく若きアーティスト達の話。

このロックミュージカルを作ったジョナサン・ラーソンは本当に天才じゃないかと思う。ロック、タンゴ、ゴスペル風、グレゴリアンカント風と1つ1つの曲がまったく違う特徴があり、あきさせないからだ。私はロックはあまり聴かないが、ここに出てくる曲は本当にいい曲ばかりだと思う。それなのにジョナサン・ラーソンは初日の成功を見ないまま、しかもプレビューの前日に死んでしまうのである。ラーソンが生きていたらもっといい曲を聴けたのにと思うと残念!

話はオペラ『ラ・ボエーム』が元になっている。『ラ・ボエーム』も登場人物は芸術家である。名前もその頭文字からとっている。(ジョアンヌ、ベニー以外)
対比してみるとおもしろいよ。

登場人物
『ラ・ボエーム』      『RENT』
ロドルフォ(詩人)       ロジャー(ミュージシャン)
マルチェロ(画家)       マーク(ドキュメンタリー映像作家)
コッリーネ(哲学者)      コリンズ(哲学教授)
ミミ(お針子)         ミミ(ダンサー)
ミュゼッタ(女店員)      モリーン(パフォーマンスアーティスト)
(マルチェロの恋人)      (元マークの恋人、)
 
ショナール(音楽家)      エンジェル(ストリート・ドラマー)
アルチンドロ          ジョアンヌ
(ミュゼッタのパトロン)    (モリーンの恋人)
家主              ベニー(家主)

だが、決してパクリというわけでなく『ラ・ボエーム』の型の中にジョナサン・ラーソンのオリジナルがぎっしり詰まっているといった感じだ。
ゲイのエンジェルとコリンズが実にいい!ニューヨークメトロの電車の中でうたう「Santa Fe」でのパフォーマンス、多分アヴェニューAあたりで2人で歌う「I'll cover you」は特に良い!

また場面では登場人物たちが入れ替わり立ち代り入り乱れながら歌うのだが、それが圧巻だ。場面では家主のベニーが「芸術家は死んだのさ」といったのをマークがそれを茶化しながら「La Vie Boheme」を歌いだし、メンバー全員での大合唱になって、最後に「ヴィバ!ラ・ヴィ・ボエーム!ー芸術家よ、永遠なれ!」で終わる。かっこいい~!曲もアップテンポでのりがいい。ボエームとはフランス語のジプシーの事、英語ではボヘミアン、つまり売れない芸術家をジプシーとしてこうよんでいるそうだ。

あらすじ
80年代のイーストビレッジ、アルファベットシティ。芸術家たちがエイズ、貧困孤独、ドラッグに苦しみながら暮らしていた。家賃滞納で電気も暖房も止められたマーク、ロジャー、コリンズ。元マークの恋人パフォーマンスアーティストのモリーンは家主への抗議のライブを計画。今のモリーンの恋人ジョアンヌ、コリンズの恋人エンジェル。後にロジャーの恋人になるミミそれぞれが知り合い、いい仲間になっていく。

そんな仲の良い仲間たちだったのにエンジェルがエイズで死んでから心はばらばらになってしまう。ミミも次第にエイズとドラッグに体を蝕まれていく、それを受け入れられないロジャーはミミの元を離れ、モリーンとジョアンヌも仲たがい、やがて、ロジャー、マークは自分の夢を取り戻し始めたがミミは行方不明に。クリスマスイブの日瀕死のミミをモリーンとジョアンヌが見つける。ロジャーは自分の作った曲をミミの前で愛をこめて歌う。ミミは息絶えたように見えたが奇跡的に息を吹き返す。「エンジェルが私に、戻って彼の歌を聴きなさいといったのよ」といって。

オペラではミミが死んでしまうが、『RENT』のミミは生きる。テーマは『No day but todayーあるのは今日という日だけ ー 今日を大切にして生きる』だからだ。

映画化でオリジナルのイメージが壊れるかと思ったが、映画のキャストはジョアンヌとミミを抜かしてすべてミュージカルのときのオリジナルキャストのままだった。また舞台ではできない大人数でジョアンヌとマークのタンゴを彩るところも良かった。

イーストビレッジのアルファベットシティは行ったことがあるが、今はジュリアーニの功績なのか、とてもきれいで80年代の汚いとか、麻薬売人などの危険なイメージはない。
映画を見たら、ニューヨークの空気、騒音、すべてよみがえってきた。それだけニューヨークらしい風景が出てくる。芸術家(ミュージシャン)とニューヨーク好きな人にはぜひ見てもらいたい作品。でも、どちらかというと舞台のほうがいいかな。

いい映画なのに上映しているところが少ない。興行成績が見込めないのか一番小さな劇場でやっぱり客席はガラガラ状態だった。いい映画なのにな、もったいない。上映中、ところどころ苦しくてどうしようかと思ったけど、見てよかったよ。

富広美術館、草木湖周辺への旅

2006-05-06 01:53:27 | お出かけ・旅行記
4日家族で小旅行へ行ってきた。

渋滞を避けて今回は高速を使わなかった。ずっと下の道を走って3時間足らずで群馬県みどり市へついた。みどり市の草木湖周辺にはわりと観光するところがいっぱいある。ちょうど今、八重桜が見ごろで山は芽吹き始めたといったところ。鶯のきれいなさえずりがあちらこちらで聞こえた。ラッキーな事に国の天然記念物、オオワシもかなり近くで見る事ができた。

今回の旅の目的は星野富広さんの詩画作品を展示している富広美術館だ。星野さんのことは高校の教科書などにも載っているのでこの方のことを知っている人は意外と多いんじゃないかな。

これが星野富広さんの簡単なプロフィールだ。
群馬県勢多郡に生まれる。大学卒業後、中学校の教諭になるが不慮の事故で手足の自由を失う。入院中、キリスト教の洗礼をうける。わずかに動く口に筆を加えて絵画を描き続けている。

ペンと水彩絵の具をつかい、繊細な線と色とで描かれた花はやさしい、やさしいという表現がぴったりの花の絵だ。見るものを優しい気分にしてくれる。また添えられた詩も良い。そのときの富広さんの心情がよくわかる。

また、おもしろいことに美術館の館内はすべての部屋が丸い。それがまた心地よい。足元のほうに丸い嵌めころしの窓があり、タンポポなどの外の草花が見えるようになっている。そこがなんとも自然といったいに考えられているような感じがしていいんだな。

そんな中で富広さんの絵を見ているとなぜだか聖歌232番がおもいだされた。「日もすがらあかしせん、夜もすがら主をほめん。」星野さんの詩には聖書の話や神様のことに触れているものがある。そんな彼の詩画をみていると232番の歌詞のように昼も夜も神様が作られたこの草花をいつくしみ愛でて筆をもって讃美しているように見えるのだ。

富広美術館のあとは童謡ふるさと館へ。ここは小さな子供さんがいる方にはお勧め。ここは『うさぎとかめ』などの作詞で知られる石原和三郎の顕彰と童謡文化の普及振興のためにつくられたそうだ。中に入ると、童謡劇場や童謡ライブラリィ、ボタンを押して動く木の仕掛けや子供がすきそうな展示物もある。

童謡ふるさと館の案内に『たからもの、見っけた!』というキャッチフレーズがあったが、本当に私はここで宝物を見つけてしまった!

何かというと、入り口のすぐそばにあるオルガンだ。
感動した!なんと足踏み式のオルガン。売店のおばさんが60年前ぐらい前のものかしらといっていたが、木でできていて、鍵盤は古さを感じさせるような黄ばんだ色になっていた。メーカーはYAMAHAだった。大人の肩幅ぐらいの小さなオルガン。

和三郎が小学校の校長していたとき、そのころ珍しかったオルガンを購入し、児童に歌を教えたのだそうだ。そのときのものなのか定かではないが、じかにオルガンに触る事ができしかも弾いても良いというので弾かせていただきましたよ、『聖歌384番』を(これしかひけない)。

いい、いい、すごくいい音。空気の奏でる音だ。いいなぁ~。でもなかなかむずかしい。足踏みをやめるととたんに音が出なくなるのだから。こんなアンティークものを弾けるなんてすごい贅沢だ。それもみんなが弾いていいのだ。子供も面白がって弾いていくのだそうだ。きっといい経験になるだろうな。

その後は、だんなの強い希望で、今は廃坑になっている足尾銅山を見学。トロッコ列車に乗って坑内へ。プラットホームからは歩きで坑内を見学する。昔の作業風景を再現した人形が配置され各時代の作業の流れを見る事ができる。

なかなか勉強になると思ったのだよ。最初は。
トロッコまでは良かった・・・。トロッコをおりてはたっと気がついた。
私、だめだったんだぁ~!。こういう空間がぁ~!。
狭い、暗い、しかも大人数だからなかなか早く進まない!みんな牛歩だよ!逃げ場がない!もう怖くなってくる、苦しくなってくる、発作起きる前に外に出なくちゃ~!!!という事でじっくりトンネルの中を見学している人の間をすり抜けながら子供の事はだんなに任せて私はそそくさと出口へ。怖かった~。

だんなはこういうところが好きなのでじっくりと見ていましたよ。(何で?!)その後、銅を作っていたと思われる廃墟となった工場後の周辺をドライブ。だんなは嬉々として『すごい!機能美だ!』と感動しまくり!(どこが?!

足尾銅山坑内はもう嫌だけど、この周辺は結構まだまだ見るところがいっぱいあるみたい。また機会があったらいきたいな!という小旅行だった。