風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

長男がはじめて泣いた映画:プレイス・イン・ザ・ハート

2008-02-27 01:53:43 | 映画・演劇
もう前の事だけどBSでやっていた映画だった。
なぜか長男と2人で見た映画。

アカデミー賞作品。
1930年代、黒人差別が活発な時代が背景となっている。サリー・フィールド主演、他にジョン・マルコビッチが盲目の役で出演している。

「サリーフィールド演じる未亡人がたくましく生きていく話。」と何かの記事に紹介されていたけど、この映画を見ていたとき一体何を訴えようとしているのだろうと不思議に思ってみていた。社会的な弱者の人権なのか、未亡人の人生なのか、その時代の問題点なのか。

しかしこの映画の一番言いたい事は最後のシーンに集約されているといってもいいと思う。

映像は当時ファニー・クロスビーによって作詞の救いの喜びを歌った聖歌の232番「罪咎を赦され」または賛美歌「主に罪を赦され」

「This is my story, this is my song.
 Praising my Savior all the day long.」

の賛美が響いてくる教会からはじまる。

黒人少年が誤って主人公の夫を銃で撃って死なせてしまい、その後少年も銃によって死んでしまう。その後のシーンには思わず目を背けたくなったほどだ。犯罪者ときめつけられ、黒人少年の死体を車で引きずりまわし木につるされる。

歌手のビリーホリディは「奇妙な果実」という人種差別を告発する歌での中でこの情景をうたっている。

また聖書の中で木につるす、かけられるとは「神にのろわれたもの」という意味があるそうだ。

未亡人になった主人公は子ども2人を養うべく1人の黒人男性モーゼスを雇う。その頃の差別、黒人に夫を殺されたということもあって心をかたくなに閉ざしている主人公の元へ銀行員の男から言葉巧みに盲目の青年を預かってくれと頼まれる。この男にとって盲目の青年は厄介者だったのである。こうして未亡人と黒人男性、盲目の男性(この頃は障害者も差別されていた)という社会的な弱者の共同生活が始まる。

綿で生計を立てようと奮闘する主人公、心の通い合わなかった3人が次第に通わせていく。綿の生産、収穫の喜び、未亡人と黒人達との間には隔ての壁がなくなっていく。モーゼスが未亡人に価格の取引の仕方を教えた事でそれを良く思わない人物達によって黒人男性は凄惨な虐待を受ける。異変に気付き必死で黒人男性を守ろうとする白人の盲目の青年。盲目の青年には声でその者達が、町の、しかも自分が良く知っている人物だとわかって愕然とする。リンチのおそろしさから黒人男性は町を去らなければならなくなる。

そのほかにも町の人々の暮らしが物語と平行して映し出される。不倫、不正、法律にふれないような様々な小さな罪。

最後のシーンは教会の聖餐式(キリストの十字架を覚えるための聖礼典)。町の人々がそれぞれパンの切れはしと葡萄液を笑顔でまわしていく。

牧師が聖書の第一コリント人への手紙13章(愛の章と呼ばれている)を読んでいる。

やがて未亡人、子ども達、そしてなぜか去ったはずの黒人男性がすわっていて・・・そして・・・

最後になんと!亡くなったはずの主人公の夫が自分を殺した黒人の少年と微笑を交わしながらパンと葡萄液をとっている。

そして牧師の朗読している聖書の言葉はこの言葉でおわる。

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です。」

言い知れない感動があった。 涙がこぼれてしかたなかった。


このとき長男がはじめて泣いた。

何かに感動して泣くということがなかった子だったのでびっくりした。
彼はしゃくりあげながら「お母さん、僕なんだか感動した。。。」

この映画のテーマは「赦し」なのではないだろうか。
最後のシーンは神様が見ている視点なのかなと思った。
そして神様は最後のシーンのように赦すことをのぞんでおられる。

人間は平等であり、それぞれが罪がある。
でもお互いの違いを認め、尊敬しあい、愛を持って思いやり、赦す事が大事なのだと。

「しかし、私はあなた方に言います。自分の敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい。」(マタイ福音書 5章44節)

「もし、人の罪を赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の罪をお赦しになりません。」(マタイの福音書6章14,15節)

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(レビ記19章18節)



聖書でとりあげられている罪とは不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、ねたみ、酩酊、遊興こういった類のものだ。

しかし神様が望んでおられる事は次のようなこと。
愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。


最後のシーンは神様があなた方は互いに愛し合いなさいよと厳しく戒めているのではなくかえって見守るような暖かさまでかんじられる。
本当に人間の罪深さと人権、赦しあうことの大切さを考えさせられる映画だった。




この映画を見て感動して泣いたいた頃より、大人びてきた長男がこの頃また不安定になっている。

昔のいじめのフラッシュバック、他人に対するねたみ、世の中の不条理が赦せないといっては泣くのだ。


「ぼくは他人の長所しか見たくないのにどうしても短所ばかりを見てしまう。憎んでしまう。そんな自分がどうしても赦せない。このままでは憎しみのために何かしでかしてしまうのではないか。ぼくは一体何のために生れてきたんだろう。」

と涙をぽろぽろこぼしながら言う。そしてだれを憎んでいるのか何に苦しんでいるのかは具体的には教えてくれないのだ。

「もちろん、あなたは神様に愛されるために生まれたんだよ。ママもパパも君とケンカする時悪い事言ってしまうけど本当は愛しているんだよ。大好きなんだよ。大切な子供なんだよ。」

「私達は不完全だから十字架が必要なの。それに私達は神様ではないし、世の中の全ての事がわかるわけではないんだよ。」

「罪をおかしつづけてこのままでは滅んでしまう人間を神様は哀れんでイエス様を遣わしてくださったんだよ。不完全な私達の変わりに十字架にかかって神様とのとりなしをしてくれて、3日後によみがえられた。それを信じる者は神様の御前に正しい人とされているんだよ。君はそれを信じているでしょ。だから今のままでいいのよ。」

「ママは刺繍が好きでしょ。刺繍の裏側を知ってる?ほら見てごらん、糸がごちゃごちゃになってる。どう見ても汚いじゃない。でも表を見て。きれいな葉っぱになってるじゃない。今はねOOはその裏側を見てるのよ。今わからなくてつらいことだらけでも、いつかはこのために苦しみがあったんだってわかるようになるよ。」

と聖書を開いて御言葉を読んだり、必死で長男に話した。(最も刺繍の話は何かの本の受け売りだけど・・・・。)

こんなやり取りが3日間あった。今は落ち着いているので一安心だけど。。。




赦すということは罪を認めることよりも難しいと思うな。
もちろん私もその不完全なものの1人。自分勝手ですぐ人を憎んでしまう自分がいる。そんなもののためにイエス様の十字架があるのだ。

長男よ、ママだっておなじなんだよ。。。。。。




ああ、映画のレビューのつもりだったのになんだかすっごく長くなっちゃった。
ここまで読んでくれた方ありがとうございます。


賛美する者

2008-02-23 00:05:18 | キリスト教(証)
賛美とは神を褒め称える事、神に向って発した歌声をいう。またその賛美には楽器を用いた事も聖書に書かれている。


教会の賛美のあり方についてずっと考えている。
そして自分が楽器をもって賛美をする者として召されているのか導きをもとめている。


このブログを前から読んでくださっている方、またはアメリカの教会から私を知っている方々は、私が長男の障碍を通して主に導かれ、カテゴリーのキリスト教(証)に書いたように神様からの数々の恵みを知っていらっしゃると思う。

もう3年も前のことだ。
帰国して新しい教会に仕え、主の恵みの数々に私はどうやって答えたらよいだろうかとかんがえていた。

「主よ、私はあなたのために何をしたらいいでしょうか?」
こんな祈りをしつづけた。

その頃聖書を読むたびに「賛美しなさい。」「賛美するものとなりなさい。」「天幕へ帰っていった。」という箇所が目に留まるようになった。一体なぜこの箇所が気になるのだろう。神様は何を言いたいのだろう。それとも私の思い過ごしなのだろうか。

そして以前の牧師に教会の礼拝部に参加するように勧められたことを思い出した。「あなたを礼拝部に勧めたのは賛美のことがあるからです。」

その言葉は礼拝と賛美ということを深く考えるきっかけとなった。

ちょうどこの頃ゴスペル音楽院に出会い、ためしに聴講する機会が与えられた。

その日は「礼拝音楽奉仕者心得」という授業であったが、私にとっては目が開かれる事ばかりですぐにでもこの学院の通信科で勉強したいと思った。

授業の後、講師の方に、気になっている御言葉がある事を告げてみた。彼女は「もっと具体的に教えてくださいと祈るのよ。私もあなたのためにいのるわ。」といってくださった。

そして何ヶ月か祈る日が続き、ディボーション(聖書を読み、個人的な礼拝の時間)の時に第一歴代誌23章5節の

「そして、四千人は門衛となり、四千人は私が賛美するために作ったった楽器を手にして賛美するものとなりなさい。」

の御言葉が目に飛び込んできた。


フルートを持って賛美する者となるようにということなのだろうか?
たんに自分がそうしたいという欲なのじゃないだろうか?
それとも教会の中の賛美のことだろうか?

地域での音楽活動でも主に向って賛美するように吹いたり、なるべくアメイジンググレイスなどの賛美歌曲を選んできた。しかし、その時々コンサートのテーマが在るし音楽仲間にはお寺の住職もいるのでそうそう神様に関する曲はできない。それでもフルートを吹く事で賛美歌じゃなくて自分だけでも賛美する気持ちで地域コンサートで演奏してきた。

牧師にはフルートでの奏楽、礼拝の流れの中で賛美することを申し出ているがなかなか実現しない。

それならばせめて賛美歌でとあらかじめ次の主日に歌う賛美歌、聖歌の箇所をおしえてもらって練習したり、礼拝部で賛美についていろいろと意見をいってみたりした。というのも教会の賛美が一致しないのである。だから子どもも歌いやすいワーシップソングを取り入れたらどうかとか、賛美についての学びをしたらどうかとか。

主は賛美の中に住まわれるという。

またゴスペル音楽院で様々な賛美を学んでいく中で礼拝における賛美とは礼拝への備えであり、会衆を賛美をもって主の深い臨在へと導いてゆく、実に重要な事だと気付かされた。だから霊的に一致した最高の賛美を捧げたいのだ。

しかし、都内の大きな教会から講師を向え、学びをしたがあまり人は集まらず役員、礼拝部、音楽奉仕者、会員の中の数名であった。また私が学んできた事、受洗したアメリカの日本語教会での賛美、とその講師のかたの賛美についての見解の相違もあった。

礼拝も賛美も音楽も主のもの。主が導かれるもの。
私が頑張って変えるものではない事はよくわかっているはずなのだが、なんだか空回りしてしまった様に思える。

でも私に出来る事、フルートを吹く事で神様を賛美し、証したいと強く思うようになっていったのだ。そして主ある人々と、特に賛美者と交わりを持ちたい、分かち合いたいという思いが強くなっていった。そして気がついた時には、クリスチャン音楽家の集まりであるユーオーディア管弦楽団に電話をしていた。入団できるとは思っていないが見学を申し出たら快くお許しくださった。

コンサート前日の忙しいところ本当に感謝である。
ユーオーディアの方々との交わりは出来なかったがその賛美のあり方や演奏の合間に祈る言葉に胸がいっぱいになった。こんなに多くのクリスチャン音楽家が集まり
ただ主に栄光を帰すためだけに集まっているのだ。そしてコンサートに来てくれた人、一人ひとりに神様からの祝福が在るように祈っている。

事務局の方はとても親切な方でこの楽団はプロもアマチュアもオーディション、資格もない事、ただそのときに演奏者を募るといった形であり、重要なのは信仰であるといっていた。

コンサートには夫といった。そこでは私達に洗礼を授けてくれたK先生にもお会いできた。

コンサートではクワイヤ、管弦楽団、ソリスト、指揮者、それぞれが素晴らしい賛美をささげていた。最後に会場に来ていた人々と楽団が一緒になって「聖なるかな」を賛美した。

ああ、でも私には雲の上の人々だ。

神様は私にどんな賛美をもとめているのだろう。私の力は弱く乏しい。
主よ、導いてください。

兄弟姉妹の皆さん、お祈りお願いします。

撃沈中。

2008-02-10 23:29:42 | Weblog
薬は飲み忘れることも在るんだけどこのごろは注意してちゃんとのんでいたんだ。

先月くらいからまた気分が沈んだままだ。
無気力状態。眠気がすごい。また元にもどっちゃったよ。

悪夢を連続してみたり、ねむれなかったりするので睡眠薬をもらって眠るんだけどそれでも悪夢をみる。

人のブログ読んで、勝手に傷ついて、ワーワー泣いて、落ち込んだ。

反抗期の息子と毎日のようにケンカ。

母の送り迎えの途中、狭い道で車をこすって後でダンナと大喧嘩。「仕事見つけて車代ぐらい稼ぐわよー!」と啖呵をきる。

時々自分が自分でなくなるような感覚になり、すごくこわくなる。どこか行ってしまいたい。家族捨てて。その反面、「甘えてんじゃねぇ~!」と自分にいってみる。


こんなんじゃいけないと外に出たりするんだけど、仕事先見つけようと頑張ったりするんだけど。焦るだけでどうしようもない。



医者嫌いとか記事書いたくせに結局3週間後の検診日に医者に行った。

医者がいうには鬱の回復期のパターンなんだという。 

また新しい薬が増えた。

仕事もまだ無理だといわれた。でもなぁ・・・・。

神様から離れたくないから礼拝に出る。でも新しい薬のせいか目が開けてられない。昨日は説教中ねないように十分睡眠とったのに。

人と話してる時の自分。なんだか仮面をかぶっているみたい。教会員の前でも、牧師先生の前でも。

家に帰って薬を飲んで眠る。眠る。zzzzzz




ちりとてちん2

2008-02-05 14:43:34 | 落語
寄席いきたいなぁ。先月目をつけておいた池袋演芸場二之席なんだかんだ予定が入っていけなかった。。。

そのかわりといっちゃなんだけど先日NHKBS2で三遊亭金馬師匠の「ちりとてちん」をきいた。


「ちりとてちん」の噺は「長崎名物」として知ったかぶりの友人に豆腐の腐ったものを食べさせる噺なのだが、金馬師匠は噺の中で「韓国名物」にしていた。

その食べる時の顔。もう見事!顔芸!見てるだけで、臭いのまずいのがつたわってくる。もうこれだけでお客さんから拍手がくる!
さすが名人芸!いつか寄席で金馬師匠みてみたい!

同じ噺でも演じる人によって面白さも違ってきたり何か新鮮であったりする。なんでも芸事は共通するところがあるのかもね。役者も、演奏も、書道とかも。



しかし、ドラマの「ちりとてちん」、なんだか師匠さんの具合は相当悪いようで・・・・。胃がんかな。。。。

なんか思い出しちゃうんだよね。父のこと。
自分の死と向き合う時、残された時間で精一杯自分の生きた証みたいなものを残したいと思うんだろうな。入院する直前まで筆をとっていたから。

落語も書道も芸事だから。最後までにこれを仕上げていきたいみたいな。
お弟子さんにもその人に見合った道筋みたいなものを示して、それをみどとけていきたいのかも。

若狭ちゃんの創作落語どうなるんでしょ。


赤塚真人さんの講演会

2008-02-02 23:01:41 | Weblog
久しぶりにいいお話がきけたなぁ。

長男の高校で俳優の赤塚真人さんの講演会が開かれたのだ。(もう1週間前の土曜の事なんだけどさ。。。)

赤塚さんはウルトラマンシリーズとか山田洋次監督のあの「男はつらいよ」シリーズにも出ている有名な俳優さんだ。最近では映画「たそがれ清兵平」「母べぇ」にも出演されている。お顔を見たら「あ、あの俳優さん!」とすぐわかる。いつも人情味あふれた役柄で暖かい気持ちにしてくれる。

長男の高校の会長さんとお友達だということで今回の講演会が実現したのだった。私としては次男を連れて行きたかったなぁ。学校での演劇を通して普段は無口な次男の以外な一面を発見していらい何とかその芽を伸ばしてやりたいなと思ってたから。でも残念ながら漢検が重なってしまって次男を連れていけなかった。

講演会では赤塚さんの撮影秘話など面白おかしくお話してくださり2時間ずっと笑いが耐えなかった。話し方を聞いているとあの寅さんを彷彿とさせる。初めての 役が死体の役だったことや、オーディションの話、ウルトラマンの話の中で怪人の子どもを妊娠してしまう役とか!役作りとか苦労されたのだろうな。

私にも俳優をしている従姉妹がいるからよくそういう話をきいている。先日は月曜サスペンスで殺される役だったし・・・。(死体の役はむずかしいらしい。)

赤塚さんが俳優をやめようかと悩んだ時、赤塚さんのお母さんはこう話してくれたそうだ。

「お前が辞めたいならやめてもいいよ。でも母ちゃんはあんたが大好きだからTVに出るの楽しみにしてるんだよ。母ちゃんは着物を全部縫い上げるようになるまでに20年かかったんだよ。(お母様はお針子さんだったそうだ。)5年だったらまだ入り口に立ったばかりじゃないか。」赤塚さんはそのときのお母様の励ましがすごく嬉しかったのだそうだ。

また男手一つで2人のお子さんを育てられたお話もされた。中でも息子さんが辛い時期、自分も同じ立場になろうとしたこと、同じように恥をかこうとしたことなど親としてもすごいなと思わされた。

また、裏長屋マンションズという劇団を旗揚げし,活躍されている。

赤塚さんは「僕はプロもアマチュアも問いません。来るものは拒まず。」なんていってらしたけど、私はこの言葉にとても励ましを受けたのだ。

なぜなら私のコンプレックスは音楽大学をでていないこと。アマチュアだということ。その違いについて「現場とキャリアの違いなのよ。演劇学校だったら演劇の理論を学ぶでしょ。料理学校だったら料理の手順を学ぶ。でもそんなこと考えないで料理してるでしょ。現場にいなければわからないこともある。」

今まで私がやってきたことは無駄だったのかなと思っていただけに、それまでに培われたものがあるのだととても励まされたのだった。

講演会の後で懇親会があり少しお話をさせていただいた。(2ショットで写真までありがとうございます!)

演劇に興味のある次男をどんな風にバックアップできるのだろうかと相談したのだった。「子どもの興味のある事にお母さんも興味を持ちなさいよ。それでこんなのあるけど行ってみないなんてさそうのよ。」講演会の後でお疲れだったでしょうにいろいろとアドヴァイスしていただけた。

その後も他のお母さん達の交流なさって本当にサービス精神の豊かなかただなぁと感心してしまったのだった。

裏長屋マンションズの公演は7月3,4日にある。
タイトルは「8・12第2章ー絆(きずな)」。
御巣鷹山の日航機事故でなくなった方々の1人に赤塚さんのご友人がいらっしゃったそうだ。ご友人を偲び、実話を基に赤塚さんが台本を書かれた。

是非行ってみたいとおもう。

場所はJR東海道線二宮駅徒歩7分、二宮町生涯学習センター:ラディアン
詳しくは、裏長屋マンションズのHPで。