このブログを開くのも久しぶり。ちっとしんどい毎日だった。
11月に新しい仕事に就いたがなかなか仕事が覚えられず。そんな中、母に病気が見つかった。
たまたま、糖尿病の状態が悪く、そのうえ、帯状疱疹が出たので検査を勧められ、11月末に検査を受けたのだった。CT,超音波の画像から膵管が開いている、腫瘍マーカーの値も高い、膵炎、良性の腫瘍もしくは悪性の腫瘍の疑いがあるので大きな病院で再検査を勧められたのだ。
私は付き添いで一緒に医者の話を聞いていたが、正直うろたえていた。医者が母の兄弟姉妹の病歴を聞いていたからだ。つまり癌家系どうか。そう問われれば癌家系である。母の弟3人、姉2人、皆癌でなくなっているのだ。
母はとても元気だ、83歳になっても同居を断り、一人でくらして、何でも自分でやって生活してきた人だ。どうか癌であってほしくないとねがった。それは母も同じだったろう。再検査をしなければ何とも分からないとその日は2人で明るく世間話をしていたが、きっと不安だったにちがいなかった。
12月中に大きな病院、またCT、MRI, PETCTなどの検査をうけ、膵臓がんがあるらしいとわかった。膵臓がんは見つかったときは手遅れという状態もあるというが、母の場合は手術で切除が可能ということだった。
しかし、大きな手術である。膵臓頭部、十二指腸、胆のうの切除というものだった。医者の説明を受けながら胸が苦しくなっていた。こんなに高齢になってこんな大きな手術をしなくてはならないなんて!母がとても小さく見えかわいそうでしかたなかった。
今月4日に入院、15日に手術だったのだが、手術の前に再度説明を受けた後、母は見るからに不安がっているのがわかるので、私は小さなノートに聖書の御言葉を3つほど書いた。その御言葉は私自身励まされて支えとなった言葉だったから。聖書の言葉はいやかもしれないけど、せめて支えになればとの思いだった。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしはあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書41章10節)
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えるられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(コリント人への手紙第一10章13節)
「胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれたものよ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。私は背負って救い出そう。」(イザヤ書46章3~4節)
また病室で小さく歌った讃美歌の歌詞も母は書いてくれというのでこれも書き記した。
「主にまかせよ、汝が身を。
主はよろこびたすけまさん。
忍びて春を待て、雪は解けて、花は咲かん。
まことなる主の手にただ任せよ、汝が身を。」
母はこの御言葉と讃美歌の歌詞をありがたいといい、驚いたことに母はこの御言葉を覚えようとしていたのだった。
よく御言葉には力があるといわれる。聖書の言葉は神様の言葉だ。
私自身恐れがあるときに自分の心と裏腹に聖書の御言葉が水がわき出るようにすっとあふれだしてきて、心の支えになることがあったのだ。
大雪が降った次の日、母は御言葉とともに手術に臨んだ。
手術は無事終わり、手術直後は苦しそうで心配だった。また、手術後よくみられる症状らしいのだが、幻覚を見ていたらしく(術後せん妄というらしい)現実とごちゃ混ぜになっていたがそれも1週間程度でなくなり、経過は順調。
今は早期離床と言って手術後3日目からもう歩く練習をしていた。痛みで起き上がることもままならないのに大丈夫なのかと思ったが本人は歩けたことでそれが自信につながっていくみたいである。
しかし、ボーっとしていたり、笑わない、辛そう。お腹切ったんだものね。それは痛いに決まってる。
7日目から水がのめるようになり、10日目から食事、術後たくさんの管がつけられていたが、それもだんだんはずすことできてくると表情もどんどん明るくなっていく、今日は手術から12日目管も1つになり母は自分で動けることがうれしそうだった。手術する前の母の顔だった。
母に施された医療に対してすごいなと思うが、母の回復力もまたすごい、というより人間の生きる力とでもいうのだろうか。
そして母は時折、言うのである、御言葉に励まされ支えにしていたと。
あの時御言葉をノートに記して本当に良かった。本当に御言葉には力がある。
そしてたくさんの方の祈りによって支えられた。Face Bookでも、Mixiでも。皆さん、本当にありがとう。
そしてひきつづき、母の回復のために引き続き癒しの御手があるようどうかお祈りをお願いします。
11月に新しい仕事に就いたがなかなか仕事が覚えられず。そんな中、母に病気が見つかった。
たまたま、糖尿病の状態が悪く、そのうえ、帯状疱疹が出たので検査を勧められ、11月末に検査を受けたのだった。CT,超音波の画像から膵管が開いている、腫瘍マーカーの値も高い、膵炎、良性の腫瘍もしくは悪性の腫瘍の疑いがあるので大きな病院で再検査を勧められたのだ。
私は付き添いで一緒に医者の話を聞いていたが、正直うろたえていた。医者が母の兄弟姉妹の病歴を聞いていたからだ。つまり癌家系どうか。そう問われれば癌家系である。母の弟3人、姉2人、皆癌でなくなっているのだ。
母はとても元気だ、83歳になっても同居を断り、一人でくらして、何でも自分でやって生活してきた人だ。どうか癌であってほしくないとねがった。それは母も同じだったろう。再検査をしなければ何とも分からないとその日は2人で明るく世間話をしていたが、きっと不安だったにちがいなかった。
12月中に大きな病院、またCT、MRI, PETCTなどの検査をうけ、膵臓がんがあるらしいとわかった。膵臓がんは見つかったときは手遅れという状態もあるというが、母の場合は手術で切除が可能ということだった。
しかし、大きな手術である。膵臓頭部、十二指腸、胆のうの切除というものだった。医者の説明を受けながら胸が苦しくなっていた。こんなに高齢になってこんな大きな手術をしなくてはならないなんて!母がとても小さく見えかわいそうでしかたなかった。
今月4日に入院、15日に手術だったのだが、手術の前に再度説明を受けた後、母は見るからに不安がっているのがわかるので、私は小さなノートに聖書の御言葉を3つほど書いた。その御言葉は私自身励まされて支えとなった言葉だったから。聖書の言葉はいやかもしれないけど、せめて支えになればとの思いだった。
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしはあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書41章10節)
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えるられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(コリント人への手紙第一10章13節)
「胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれたものよ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。私は背負って救い出そう。」(イザヤ書46章3~4節)
また病室で小さく歌った讃美歌の歌詞も母は書いてくれというのでこれも書き記した。
「主にまかせよ、汝が身を。
主はよろこびたすけまさん。
忍びて春を待て、雪は解けて、花は咲かん。
まことなる主の手にただ任せよ、汝が身を。」
母はこの御言葉と讃美歌の歌詞をありがたいといい、驚いたことに母はこの御言葉を覚えようとしていたのだった。
よく御言葉には力があるといわれる。聖書の言葉は神様の言葉だ。
私自身恐れがあるときに自分の心と裏腹に聖書の御言葉が水がわき出るようにすっとあふれだしてきて、心の支えになることがあったのだ。
大雪が降った次の日、母は御言葉とともに手術に臨んだ。
手術は無事終わり、手術直後は苦しそうで心配だった。また、手術後よくみられる症状らしいのだが、幻覚を見ていたらしく(術後せん妄というらしい)現実とごちゃ混ぜになっていたがそれも1週間程度でなくなり、経過は順調。
今は早期離床と言って手術後3日目からもう歩く練習をしていた。痛みで起き上がることもままならないのに大丈夫なのかと思ったが本人は歩けたことでそれが自信につながっていくみたいである。
しかし、ボーっとしていたり、笑わない、辛そう。お腹切ったんだものね。それは痛いに決まってる。
7日目から水がのめるようになり、10日目から食事、術後たくさんの管がつけられていたが、それもだんだんはずすことできてくると表情もどんどん明るくなっていく、今日は手術から12日目管も1つになり母は自分で動けることがうれしそうだった。手術する前の母の顔だった。
母に施された医療に対してすごいなと思うが、母の回復力もまたすごい、というより人間の生きる力とでもいうのだろうか。
そして母は時折、言うのである、御言葉に励まされ支えにしていたと。
あの時御言葉をノートに記して本当に良かった。本当に御言葉には力がある。
そしてたくさんの方の祈りによって支えられた。Face Bookでも、Mixiでも。皆さん、本当にありがとう。
そしてひきつづき、母の回復のために引き続き癒しの御手があるようどうかお祈りをお願いします。