8月9日の東京新聞「時代を読む」欄で、浜矩子さんが新型コロナウィルスとの闘いの中で出てきた新語について書いている。
「ソーシャルディスタンス」では社会的に疎遠な関係を求めているかのようと。「フィジカルディスタンス」というべきと指摘。
「リモートワーク」も、「リモート」には「疎遠」のニュアンスがある。「わずか」も。
「ウィズコロナ」も、「コロナと一緒」というと我々とコロナはお仲間?とも。
カタカナ語が氾濫するなか、不正確な言葉が広がるのはいただけない。
8月9日の東京新聞「時代を読む」欄で、浜矩子さんが新型コロナウィルスとの闘いの中で出てきた新語について書いている。
「ソーシャルディスタンス」では社会的に疎遠な関係を求めているかのようと。「フィジカルディスタンス」というべきと指摘。
「リモートワーク」も、「リモート」には「疎遠」のニュアンスがある。「わずか」も。
「ウィズコロナ」も、「コロナと一緒」というと我々とコロナはお仲間?とも。
カタカナ語が氾濫するなか、不正確な言葉が広がるのはいただけない。
コロナウィルスへの対応として、次々といろんな行事が中止となり、公共施設が閉館となった。その予定も当初の3月16日までが3月末までとなった。
予定していたコンサートも2つ、中止に。3月18日の都響のドヴォルザークのチェロ協奏曲、3月28日の東京都民族芸能大会で木場の「木遣り唄」、檜原の「笹野の式三番」など楽しみにしていたが残念。
公民館での練習も中止。体育館も休館。図書館も閲覧はダメなどなど。
どうも、大勢でわいわいするような行事だけでなく、一律中止、休館とは。
そこまでの必要性はあるのか。