「沖縄密約をあばく 記録 沖縄密約情報公開訴訟」
1971年に日本とアメリカの政府間で沖縄返還協定が調印され、1972年5月15日に沖縄が本土に復帰した。
変換をめぐる日米間の交渉で、核兵器をいつでも持ち込めるという密約が存在していたことが後に明らかになった。密約を結んだ当の佐藤栄作首相が「非核三原則」を確立した功績でノーベル平和賞を受賞しいたが、のちの選考委から「最大の失敗だった」と述懐されたという。
別の密約がある。米軍基地の復元補償費400万ドルを「アメリカが支払うように見せかけて、実は日本が負担する」という密約があった。毎日新聞の西山記者が入手し、社会党の横路議員が国会に提出した電文に関し、西山記者が国家公務員法違反で逮捕された事件で有名になった。
同じ時期、アメリカではニューヨーク・タイムズ紙がベトナム戦争に関する政府の機密文書を内部協力者の協力ですっぱ抜いたことで、政府が裁判所に掲載中止を求めたが、アメリカの最高裁は、「政府の秘密は、政治の誤りを永続化させる」とメディア側に勝利の判決を出した。
その後、次々と密約文書が明らかになった。400万ドルの密約文書交換の当事者でイニシャルサインをした吉野文六氏は西山事件での法廷に立ったときは「存在しない」と証言したが、「死ぬ前に本当のことを言おう」と北海道新聞に存在を明らかにした。
密約文書を「存在しない」とする政府に対し、2009年に「沖縄密約の情報公開請求訴訟」を25人の原告団と30人の弁護団によって提起された。
東京地裁の杉原則彦裁判長がすごかった。「交渉相手のアメリカ側に公文書があるのだから、当然日本側にも、それに対応した文書があるはずとの原告の主張は十分に理解できる。これらの文書がないというのであれば、なぜないのかについて被告は合理的に説明してほしい。また、原告らの主張する密約がないというのであれば、アメリカ側の文書はどういうものと理解すればよいのか、十分に説明してほしい」と国に求めた。一審判決は「密約文書を開示するよう」命じた。
ところが最高裁は....。