アマゾンわんわん日記 2018

復活しました!
のんびりやっていきます。
また よろしくお願いします。

グリーンドリーム

2024年07月05日 | 人間

アメリカ合衆国の永住権(グリーンカード)のことについて、語っている女性の動画を見ました。

それを見ているうちに、思い浮かべた大切な友人の姿。

友人と言うのは失礼かもしれません。

私よりもずっと年上、夫と同じぐらいの年齢の女性でした。

私が仕事を辞め、夫と結婚し、娘を出産した後、夫の仕事関係を抜きに、初めて私そのものを仕事に誘ってくれたのが彼女でした。

「子供さんがいてもいいのよ、一緒に連れてきてくれてもいいわ。」

そうも言ってくれました。

彼女は大学の同級生だった旦那様の呼び寄せで、ブラジルにいらした方でした。

最初の頃はいろいろとやりたいこと、自分のやれること、夢を信じて頑張ってこられましたが、そのうちに私生活も仕事も思うようにはいかなくなって、私が出会った頃にはブラジル生活に夢を持てなくなってきていたころでした。

私が出会った頃の彼女の夢は「退職したら、アメリカに永住するの。そうしてのんびり、好きなように暮らすのよ。」

彼女はアメリカに既に永住していたお姉さんの助けで、アメリカの永住権を取得していました。

そんな彼女は、初めて会った時からうちの娘をとても気に入ってかわいがってくれました。

彼女と私は、その後も様々な仕事のつながりで、親しくさせていただいてきました。

仕事の会合があり、その後「じゃあ、ちょっと呑みに行きましょうか?」なんてことになると、かならず「娘ちゃん連れてきなさいよ!」と言ってくれました。

飲み会の席でも、ずっと娘の相手をして下さりました。

彼女は子供が好きと言うタイプではなく、娘と話をしているのを聞いても、全く子供相手ではなく「飲み友達」的な扱いで、周囲の友人たちはみんな二人のやり取りを聞いては大笑いをしていました。

そんな彼女はうちの夫とはとてもよく似たタイプ。

2人は周囲も認める犬猿の仲でした。

というわりに、行動パターンもよく似ていて、同じ日本食レストランに毎晩のように現れては、火花を散らす間柄でした。

その二人が、娘が生まれてから、娘を話題に少し話をするようになったと聞いて、「子はかすがいだわねー」と、よく冷やかしたものでした。

そんな彼女は夫が旅立つ3,4年ほど前、突然、本当に突然に旅立ちました。

やはりガンだったと聞きます。

病み付いた言う話を聞くこともなく、いきまり「亡くなった」という話を聞きました。

彼女のかわいがっていた犬はどうしたのかな?

そうは思いましたが、彼女が亡くなったというニュースは、本当にそれだけ。

誰も彼女が亡くなったという以外の話はしません。

そういう話をできる人たちも、もういません。

もし元気なら、今ごろはアメリカで自由気ままに暮らしているんだろうな。

「ペケママさん、遊びに来てね。うるさい旦那さんもいなくなったことだし(笑)」なんて言ってくるんだろうな。

テレビを見ながらそんなことを思いました。

みんな、みんな逝っちゃうんだな。

何年か前に思い描いた未来が、みんなみんな夢の世界になってしまいました。

みんな、ずるいな。

空の上では、相変わらず夫と彼女は侃侃諤諤、怒鳴りあいの喧嘩をしているのかな。

これも亡くなってしまった、二人の行きつけの日本食レストランの板前さんの調理場を前にして。

私がそこに行ける日は、いつなのか。

すぐにでも行きたいけれど、でも、まだもう少しこの世界に居なくてはいけない意味もある。

そうも思うのです。

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名残の月

2024年06月27日 | 人間

朝7時少し前、空を見上げると、まだお月様がいらっしゃった。

白みかけた空に、まだ煌々とお月さまがいらっしゃった。

      

お月さま、お月さま。

これから どこにいらっしゃる?

遠い遠い、海の向こうのあなたの国に、

夜の光りを届けに参ります。

夏の夜、買い物袋を抱えて、駅のデッキから眺めた月。

虫の声を聞きながら、病室の窓から眺めた月。

そして、空っぽの部屋、冷たい空気の中で一人見上げた月。

いつもいつも、私に寄り添っていてくれた。

そう思ってはいるけれど、こうしてたまに名残の月に出会うと、幸せに空を見上げていた夜明けの時間を思い出す。

何の不安もなく、ずっとずっとこの幸せな時間が続くと思っていた朝。

いろいろなことが、波のように押し寄せて、たくさんのものが去って行った。

そして今、一人で見る月。

一人じゃないよ、いつも一緒だよ、とは言っても、やっぱり一人は一人だ。

お月さま、お月さま。

私のかわりに、照らしてください、包んでください。

私の大切な動物たち、大切な人たち、そして大切な思い出たちを。

 

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昔々 あったとさ

2024年06月23日 | 人間

娘が昔のビデオのデジタル化をしています。

といっても、娘がやるんじゃなくて、頼んでやってもらっているんだけどね。

以前高校の同級生グループで「昔のビデオのデジタル化をしようと思うのですが」というような話題が出たことがあります。

多くの方が「やっても見ないよね。」というようなことを言っていたと思う。

私もそう思うのですが、娘としては「自分がどんな人間なのか、見直してみたい。」のだそうです。

第1弾、娘が生まれて退院してきて、たくさんの友人たちがお祝いに来てくれた様子が写っている様子のデジタルビデオが配信されてきました。

娘から送信されてきたのはしばらく前ですが、この週末、ようやく見てみると...

愕然...

映っていた友人たち8人プラス夫と私、計10人のうち、夫を含めて3人がすでにガンで鬼籍に入っていて、2人が現在ガンで闘病中。

お二人ほど現在の様子がわからないのですが、少なくても半分の方がガンに苦しんでいたことがわかります。

それぞれの方の病気の部位は異なりますが、しみじみ、怖い病気だなと思いました。

私にとっては、なかなかつらいビデオとなりました。

     *     *     *     *     *

サンパウロ、乾燥がひどいせいか、とうとうペケママも喉に来ました。

喉が痛くてたまりません。

昨日から、浴びるようにプロポリスを飲んで、喉用のプロポリスを噴霧器のようにの喉にシャッシャと降りかけているせいか、今日はずいぶん楽になりました。

さすがに今日は遠出はせずに、ニワトリ公園で日向ぼっこ。

今朝は寒くてブルブル震えていたので、お日さまがありがたい。

今日もニワトリ公園は人出で一杯。

そんな中に... 脱走ニワトリ1羽!!

人が一杯いても、お構いなしにコケコッコと、時を告げていました。

ここニワトリ公園は、ネコはたくさんいますが、犬は立ち入り禁止なんです。

 ネコは毎日たっぷりご飯をもらいます。

おばちゃんたちが、毎日山ほど持ってくるんですって。

なので、ニワトリになんか見向きもしない。

ただ、今日は犬が入り込んできたとかで、職員総出で大捜索が行われていました。

今日、見たこの箒にペケママ感動。

   ヤシの葉っぱ??

落ち葉がまとわりつかずに、とても良さそうでした。

ダメになっても交換簡単だしね。

一通り楽しんで。今日は早めに退散。

帰り道、インディオの施設で民芸品の販売をしていました。

 真ん中の棒状のものを見て、

思わず足を止めました。

これはpau de chuvaと呼ばれる、インディオの楽器です。

棒を動かすと、まるでサーサーと雨が森の木の葉に当たるような音がします。

昔から大好きな楽器で、実は手作りをしてみたこともあります。

欲しかったのですが、ここはガマン。

物を増やさないというのが、今のペケママの目標ですから。

ということで、適度に減ったお腹を抱えて、今日こそ食べに行ったフェイジョアーダ。

 一人分で、これはいけるかな!と思ったのですが

やっぱりご飯は半分無理でした。

ただ、少し塩気が強かったためか、後になって喉が渇いて麦茶をがぶがぶ飲んでしまいました。

フェイジョアーダでお腹いっぱい、さらに水分でお腹いっぱいになってしまったペケママでした。

 

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サンパウロの青

2024年06月19日 | 人間

サンパウロの空は青いなー、としみじみ思います。

現在はサンパウロは乾季だそうで、毎日真っ青な空が美しく広がっています。

ブラジルに来て32年になります。

何度かサンパウロに住む機会はありましたが、実現しないままできました。

長いブラジル生活の中での初めてのサンパウロ暮らしです。

ブラジルに来て最初に住んだ街は、リオデジャネイロでした。

リオデジャネイロの空も青かったけれど、街中には高いアパートが立ち並び、周囲を高い山に囲まれていたせいか、サンパウロほど広い空は見られませんでした。

それでも、空の青、海の青が美しい街でした。

次に思い出すのがブラジル東北海岸部の街、レシフェ。

美しい海岸の広がるこの街の空は、いつも波しぶきがかかったような、白んだような青空でした。

マナウスの空は広かったけれど、いつも雲がかかったような気がします。

森が多く、湿気のためか空気が重く、空が青くても抜けるような青空と言うよりは、地面にのしかかるような青空でした。

ちょっと油断すると、空気中の湿気が集まって、地面めがけて落ちてくるような、そんな重い青空でした。

今、お出かけから家に帰る途中、バスの窓から見るサンパウロの青空は、どこまでも青く、青く、広がっています。

高く高く、広がっている青空です。

その青空を見るたびに、思うのです。

どうして私はここにきてしまったのか。

ここまで来てしまったのか。

私はどこの青に帰りたいのか。

この先、そう長くない年月、自分がどういう青空の下で生きていきたいのか、よく考えていきたいと思い始めました。

 

 

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お相撲談義

2024年06月03日 | 人間

朝起きると、ラインにグループチャットが入っていることに気がつきました。

大学のクラスメートのグループです。

日本に戻ると、何年ぶりでも集まってくれるメンバー。

その中の一人の友人がテレビの番組で、ブラジルで相撲に熱中する家族を取材した番組を見たという投稿をしていました。

おばあちゃんが自宅のガレージ?に土俵を作って、近くの子供たちを集めて相撲を教え始めたのだとか?

実際に番組を見ていないので、内容は詳しく分からないのですけどね。

そんな中で今お気に入りのお相撲さん談義。

友人達の今一番気になるお相撲さんは...

須賀川市出身初の関取 大相撲「白熊関」 / 須賀川市公式ホームページ 二所ノ関部屋所属の力士 白熊関

福島県須賀川市出身です。

友人の一人の教えていた学校に在籍していた生徒さんだったそうです。

サイトで調べたら、どのサイトでも「笑顔がチャーミング」と書いてありました。

白熊 優太 - 力士プロフィール - 日本相撲協会公式サイト 25歳 これからが楽しみなお年頃です!

最近、贔屓の力士さんが次々に引退してしまい、すっかり相撲を見ることから遠ざかってしまったペケママでしたが、また相撲を見る楽しみができました。

次は夏場所?

楽しみですねー。

     *     *     *     *     *

友人が初夏の安達太良山を楽しんできたとのこと。

山の空気をおすそ分けしてくれました。

 

一度は登ってみたい、安達太良山。

途中までロープウェーがあるそうなので、登るのはそう難しい山ではないそうです。

ただ、栃木から行くには車がないとやや行きにくいのが難点です。

 次回はぜひこんな風景を見に行きたい

智恵子の焦がれた安達太良山の空を見に行きたいです。

 

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待ってました!!

2024年05月17日 | 人間

4月初めにサンパウロに旅行に来ることになっていた、マナウスの「髪切りや師匠」。

マナウス訪問の直前に、次々にご家庭に困難なことが起こり、サンパウロ訪問が延び延びになっていました。

それが、先日「サンパウロに行きます!!」との連絡が。

師匠ご自身も体調不良で入院なさっていたぐらいなので、心配なのですが「どうしても、今行きたい!!」と、行きたい熱がMAXになっているみたいです。

というわけで、火曜日の夜、無事に「リベルダージのホテルに入りました。」との連絡がありました。

ちょうど水曜日は私はフリーの日。

朝9時にホテルロビーで待ち合わせをしました。

約束の10分ぐらい前になったら、連絡を入れようかなとのんびりと構えていたら、そとから賑やかな話し声が。

師匠と同行の義妹(ご主人の妹さん)さんが、すでにホテル前のフェイラに行っていたらしく、野菜を詰め込んだビニール袋をぶら下げて戻って来たようです。昨夜遅くに着いたのに、パワフル!!

部屋にお野菜を置いてきて、さあ、「サンパウロ スーパーマーケット探訪ツアー」の始まり始まり。

最初はメトロに乗って、韓国スーパーへ。

師匠が来たらばっちりガイドしようと、準備訪問もしておいたのに...

ペケママ、あっさりメトロの出口間違えた。

慌てるペケママ。

師匠一行に「戻ればいいだけじゃない、戻れば!!」と励まされ、一からやり直し。

今度は無事に韓国スーパーに到着。

入った瞬間から目の色が変わる師匠と義妹さん。

いろいろ見比べながら、買い物かごに品物を入れていきます。

ペケママは入り口で待機。

その後は、キムチやさん、古着屋さんをハシゴ。

古着屋さんをもっと見たいということで、メトロに乗ってペケママ行きつけの古着やさんにご案内。

その後、リベルダージに戻り、お昼を頂いた後、お昼を食べたレストラン併設のスーパー、仏具やさん、食器やさん、健康食品やさん、リベルダージの韓国スーパーと精力的にお買い物。

夕方、日が傾いた頃、ようやくひと段落。

お茶をしてお別れしました。

その後も師匠はガチ中華系スーパーで、望みの「蒸し器」をゲット。

「どうやって持って帰るんですか??」と心配するペケママに「大丈夫よ、袋は一杯持ってきているから!!」

恐らくDAISO、日系スーパーなどでもお買い上げになったことでしょう。

見ているだけでも、話を聞くだけでも、楽しい師匠の「サンパウロ旅」でした。

今度は8月に私がマナウスに行って再会します。

師匠の話の端々に、「伝助コロナ」の話が出てきて、本当にうれしかったです。

「もう、コロナのやんちゃぶりには、困ってしまう。」と言いながら、実は師匠ご夫妻に超甘やかされている様子。

伝コロのために、「新居」を新築したというから、恐れ入りました。

「早く引き取りに来てくださいね」と言いながら、私に「アパート暮らし」を勧める師匠。

「アパートだとコロナは無理ですよね。」と言うと、

「そうよー、コロナは活発だから~。」と師匠。

答えが思いっきり矛盾していますってば。

丁々発止のやり取りが、楽しく、また頼もしい師匠&師匠ご家族です。

くれぐれもお体に気を付けて。

8月の再会を、楽しみにしています。

 

 

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花風景

2024年04月30日 | 人間

週末、日本の母や妹たちとグループチャットをしました。

母と末妹が口をそろえて「今、家の庭がとても見事なのよ!!」

末妹が写真も送ってくれました。

   

昨年5月末に、夫に先立って旅立って行った実家の父が、長年丹精していた自慢の「サツキ」の花々。

今は末妹が引き継ぎ、大切に世話をしてくれているおかげで、今年も見事に花を咲かせました。

 大型連休前、田んぼには水が入り、

実家の周りでは、すっかり田植えの準備が整いました。

昨年、夫はとてもつらい想いで、この風景を見ていたのかと思うと、心が痛みます。

 夫と散歩に出かけた、その風景はそのまま。

今年も変わりなくそこにあります。 

昨年はそこにいた夫と私が、今はそこにいないだけ。

今日はブラジルは4月29日。

私が日本からブラジルに発った、その日でした。

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ペケママ新章

2024年04月12日 | 人間

桜の花と見紛うような、あざやかなピンク色の花。

ピンクイッペーかしら?

結構長く咲いています。

というわけで、今日からペケママ、60の手習いです。

そのためには、広いサンパウロ市内をあっちからこっちへ。

バスやメトロの公共交通機関が整っているので、ありがたいです。

今日はいつもとちょこっと違う路線のバスに乗ってきたら...

 交通事故に遭遇。バイク事故みたいよ。

地面に倒れていた人、足を動かしていたから、大丈夫とは思うけど...

明日の朝も4時起きで頑張ります。

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疑って ごめんね

2024年02月29日 | 人間

グラウンド犬たちにご飯をあげに行って、汗びっしょりになって部屋に戻りました。

いや、やっぱり蒸し暑さ、半端ないわ。

エアコンをつけっぱなしにして出かけたので、涼しい部屋に入ってほっと一息。

ふと、携帯電話を見ると、娘からメッセージが入っているわ。

なんでしょう?

見てみると、なんだか名簿みたいなものが写った写真が...

娘からのメッセージを読んでみると、「マラソン雑誌のバックナンバーを見ていたら、1982年のリオのマラソンの資料の中に、お父さんの名前を発見してしまった!!」とのこと。

 よくよく写真を見ていると、綴りは間違っているものの、確かに夫の名前だわね。

夫の昔の写真を整理していたら、確かにマラソンの写真は出てきたけれど、まさか本当に本気で走っていたとは...半信半疑だったのよね。

ごめん、ごめん。

夫にお線香をあげて、ていねいに謝っておきました。

     *     *     *     *     *

さて、娘はマナウスに引っ越してきた8歳の時に、歯の矯正を始めました。

鮫も驚くような2枚歯娘だったからね。

実質的な矯正は4年ほどで終わったのですが、その後も定期的に歯医者さんに通院し、メンテナンスを続けていました。

大学に入学して一時歯医者さんからは足が遠のいたのですが、最近また歯医者通いを復活。

今年に入り、親知らずを4本抜きました。

その後、また矯正をするということで、このたびマウスピースを新調。

 まるで宝石のような扱い!!

昔、これを作るための歯形取りで、口の中にシリコンのようなものを入れるため、吐いてしまったという苦い思い出がある娘、今回はコンピューターの3D技術でつくったのだそうで、大感動していました。

よほどの苦い思い出だったのね。

でもね、大人になってからでも、確かに年齢にあった矯正って必要だと思うわ。

ペケママも顎が狭くなってきているのか、昔はきちんとそろっていた前歯がどんどん出っ歯になってきてしまっているの。

おまけに、歯が動く時期があるのか、時々すごく痛いし。

矯正よりなにより、まずは歯医者に行かなくちゃね。

年齢にあった身体的なメンテナンスの必要性を、ひしひしと感じるペケママなのでした。

 

 

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旧友1

2023年08月01日 | 人間

懐かしい友人たちが訪ねてきてくれました。

夫も親しかった友人たち。

あの頃はみんなでビールを開け、一緒に笑いあった友人たち。

夫の病気のためとはいえ、会えてとてもうれしかった。

 たくさんの自家製お野菜と地ビール

お土産もうれしかったけれど...

何よりうれしかったのは、久しぶりの懐かしいお話。

お酒を飲んでいるわけでもないのに、あの盛り上がり!

お土産に頂いたたくさんのお野菜と地ビールは、あっという間にペケママのお腹の中へ。

 かぼちゃの種を炒めました。絶品!!

懐かしい友達に会えたことは もちろんうれしかった。

友人たちが、私が退職を決め、そしてマナウスの生活を整理することがどれほど大変だったかということを理解してくれたことが本当にありがたかった。

でも、それ以上にうれしかったのは、友人たちとの写真をマナウスの元職場の友人に送ったところ...

「この 一番つらい時期に、大切な友人たちの力をもらえたのは 素晴らしいこと。そんな友人たちに恵まれたのは、あなたがそう努力したからですよ。」

というメッセージを送ってくれたこと。

自分が大変だったと人に言いふらそうとは思わないけれど...本当に大変だった。

そのことを「大変だったよね。」って共感してくれる。

それはやはり同じ空気の中で仕事をしてきたから。

こうしてつらい時に尋ねてくれる友人を持てたこと、そのことを一緒に喜んでくれる友人を持てたこと、本当にありがたいことだと思います。

そしてそれは、もちろん私一人のことではなく、夫と共にあることだと。

わかっています。

なので、夫にも感謝しなくてはね。

ありがとう!

 

 

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