北海道新聞の社説が最も的を得ていると感じたので、以下に全文を掲載したい。
《海上自衛隊がインド洋で外国艦船への給油活動を再開するための新テロ対策特別措置法が、きょう成立する。
野党が多数を占める参院で否決されたあと、与党は衆院で「三分の二」の力を使い再可決する方針だ。
法案自体は給油・給水活動だけを目的とした簡単な内容だ。しかし、きわめて大きな問題をはらんでいる。
給油支援と軍事活動の線引きのあいまいさ。文民統制の軽視。憲法の平和主義を揺るがす危うさは、さっぱり解消されていない。法案に国民の十分な理解と支持があるとも言えない。
確かに再議決は憲法で認められているが、決してこの法案にふさわしい手法ではない。廃案にして議論を仕切り直しするのが賢明な道だろう。
*文民統制が軽んじられる
対テロ新法案の重大な問題点の一つは、自衛隊派遣について国会の事前承認を省略していることだ。
海自の活動は最初から限定されているのだから、新法の成立をもって国会承認があったとみなしていい。政府はそう説明する。
自衛隊の活動のチェックは厳しすぎるくらいでなければならないのに、この法案では文民統制がなし崩しに緩みかねない。それが心配だ。
海自が撤退する前の活動では、給油量の取り違えや、イラク作戦への油の転用疑惑が大きな問題になった。しかも、いまだに実態がきちんと解明されたわけではない。
そうした反省がありながら、事前承認さえ面倒がるのはなぜか。国民に対する当然の情報公開を避けようという意図が透けて見える。
油の転用を防ぐ手だてとして、日本は給油先の国との間で、テロリストの海上阻止活動に使うと記した公式文書を取り交わしてきた。
ところが米国は今後、使用目的の限定を明記することを拒否している。米軍の活動を制約されたくないからだという。転用を自ら認めているようなものではないか。
それでもなお政府は「海上阻止活動のため」と言い募る。理解しがたい言い分だ。
海外での武力行使を禁じた憲法九条との整合性にも疑問がある。
先日の党首討論で民主党の小沢一郎代表が指摘したように、補給などの後方支援は軍事活動の一環とみるのが常識だ。
直接の戦闘行為がないからといって「武力行使ではない。憲法の問題を持ち出すまでもない」という福田康夫首相の反論は乱暴に過ぎる。
*テロの温床なくす支援を
海自撤退に際して、政府は給油を受けていた他国から早期復帰の要請があると強調した。
しかし、日本の給油量は撤退前、すでにピーク時の十分の一程度に減っていた。いま再び日本が出て行く意味はどれほどあるのだろう。
日本として国際貢献はしなければならないが、それが給油である必要はない。ましてや武力ではない。
民主党は独自の対案を法案として提出した。アフガニスタンの復興支援のため自衛隊や警察官、医師らを派遣するというものだ。民生支援になぜ自衛隊を派遣しなければならないのか。
派遣先となる抗争停止地域の定義や武器使用基準の緩和など、イラク特措法に似た危うさを抱えている。評価できる中身ではない。
そのうえ国会提出は年の瀬になってからだ。議論を深めようにも時間が足りない。国民の選択肢にはなり得なかったということだ。
アフガンの人たちを苦しませる飢えと貧しさ。米国などの武力行使による市民の犠牲が生み出す憎悪。
テロの温床といわれるそうした現実を見据えた民生支援こそ、まさに日本だからできることに違いない。
*再議決は行使せず廃案に
衆院における再議決は憲法五九条に明記された国会のルールだ。憲法は衆院と参院で議決が異なる事態を想定していた。その食い違いを乗り越えるための規定が再議決だ。
あるものは使うのが当然だという意見はあるだろう。だが今回、五十七年ぶりに再議決を行使することが果たして妥当だと言えるだろうか。
自衛隊という実力組織を海外に派遣するに当たっては、国民による慎重な検討と判断が必要だ。最新の各種世論調査では対テロ新法案への反対が賛成を上回っている。国民の理解が広まっているとは言えない状況だ。
その中で一院だけの判断で自衛隊を送り出すことが正しい選択だというのなら、無理がある。国民の支持を得られない「国際貢献」が国益に合致するとも思えない。
「ねじれ国会」の主舞台は野党が主導権を握る参院だと期待された。だが実際は防衛省汚職問題の陰に回り、法案をめぐる政策論議は不十分に終わった。このまま審議の幕が下りれば民意が置き去りにされてしまう。
だからこそ法案を廃案にし、次の通常国会で国際貢献のあり方、自衛隊派遣をめぐる憲法問題などの根本論議を深めていくべきだ。
その積み重ねのうえで外交・安全保障という国の基本政策について国民の合意形成を図っていくことが、与野党に課せられた責務だろう。》(「北海道新聞社説」より)
《海上自衛隊がインド洋で外国艦船への給油活動を再開するための新テロ対策特別措置法が、きょう成立する。
野党が多数を占める参院で否決されたあと、与党は衆院で「三分の二」の力を使い再可決する方針だ。
法案自体は給油・給水活動だけを目的とした簡単な内容だ。しかし、きわめて大きな問題をはらんでいる。
給油支援と軍事活動の線引きのあいまいさ。文民統制の軽視。憲法の平和主義を揺るがす危うさは、さっぱり解消されていない。法案に国民の十分な理解と支持があるとも言えない。
確かに再議決は憲法で認められているが、決してこの法案にふさわしい手法ではない。廃案にして議論を仕切り直しするのが賢明な道だろう。
*文民統制が軽んじられる
対テロ新法案の重大な問題点の一つは、自衛隊派遣について国会の事前承認を省略していることだ。
海自の活動は最初から限定されているのだから、新法の成立をもって国会承認があったとみなしていい。政府はそう説明する。
自衛隊の活動のチェックは厳しすぎるくらいでなければならないのに、この法案では文民統制がなし崩しに緩みかねない。それが心配だ。
海自が撤退する前の活動では、給油量の取り違えや、イラク作戦への油の転用疑惑が大きな問題になった。しかも、いまだに実態がきちんと解明されたわけではない。
そうした反省がありながら、事前承認さえ面倒がるのはなぜか。国民に対する当然の情報公開を避けようという意図が透けて見える。
油の転用を防ぐ手だてとして、日本は給油先の国との間で、テロリストの海上阻止活動に使うと記した公式文書を取り交わしてきた。
ところが米国は今後、使用目的の限定を明記することを拒否している。米軍の活動を制約されたくないからだという。転用を自ら認めているようなものではないか。
それでもなお政府は「海上阻止活動のため」と言い募る。理解しがたい言い分だ。
海外での武力行使を禁じた憲法九条との整合性にも疑問がある。
先日の党首討論で民主党の小沢一郎代表が指摘したように、補給などの後方支援は軍事活動の一環とみるのが常識だ。
直接の戦闘行為がないからといって「武力行使ではない。憲法の問題を持ち出すまでもない」という福田康夫首相の反論は乱暴に過ぎる。
*テロの温床なくす支援を
海自撤退に際して、政府は給油を受けていた他国から早期復帰の要請があると強調した。
しかし、日本の給油量は撤退前、すでにピーク時の十分の一程度に減っていた。いま再び日本が出て行く意味はどれほどあるのだろう。
日本として国際貢献はしなければならないが、それが給油である必要はない。ましてや武力ではない。
民主党は独自の対案を法案として提出した。アフガニスタンの復興支援のため自衛隊や警察官、医師らを派遣するというものだ。民生支援になぜ自衛隊を派遣しなければならないのか。
派遣先となる抗争停止地域の定義や武器使用基準の緩和など、イラク特措法に似た危うさを抱えている。評価できる中身ではない。
そのうえ国会提出は年の瀬になってからだ。議論を深めようにも時間が足りない。国民の選択肢にはなり得なかったということだ。
アフガンの人たちを苦しませる飢えと貧しさ。米国などの武力行使による市民の犠牲が生み出す憎悪。
テロの温床といわれるそうした現実を見据えた民生支援こそ、まさに日本だからできることに違いない。
*再議決は行使せず廃案に
衆院における再議決は憲法五九条に明記された国会のルールだ。憲法は衆院と参院で議決が異なる事態を想定していた。その食い違いを乗り越えるための規定が再議決だ。
あるものは使うのが当然だという意見はあるだろう。だが今回、五十七年ぶりに再議決を行使することが果たして妥当だと言えるだろうか。
自衛隊という実力組織を海外に派遣するに当たっては、国民による慎重な検討と判断が必要だ。最新の各種世論調査では対テロ新法案への反対が賛成を上回っている。国民の理解が広まっているとは言えない状況だ。
その中で一院だけの判断で自衛隊を送り出すことが正しい選択だというのなら、無理がある。国民の支持を得られない「国際貢献」が国益に合致するとも思えない。
「ねじれ国会」の主舞台は野党が主導権を握る参院だと期待された。だが実際は防衛省汚職問題の陰に回り、法案をめぐる政策論議は不十分に終わった。このまま審議の幕が下りれば民意が置き去りにされてしまう。
だからこそ法案を廃案にし、次の通常国会で国際貢献のあり方、自衛隊派遣をめぐる憲法問題などの根本論議を深めていくべきだ。
その積み重ねのうえで外交・安全保障という国の基本政策について国民の合意形成を図っていくことが、与野党に課せられた責務だろう。》(「北海道新聞社説」より)