詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

僕の大好きな山之口獏という沖縄詩人

2008年01月28日 | 日記
少し前に、故郷沖縄へと数十年振りに帰ったこの詩人の映像を見た。宮沢賢治・金子光晴同様に関東大震災が詩作の出発点の詩人だ。方言の訛がきつかったので、何度か死ぬ目に会ったのではないかと思う。(関東大震災後に約一万人の朝鮮半島の人々、中国人、ドモリや訛のきつい人々が、「君が代」が上手く歌えず自警団に撲殺されたという・・)


  「紙の上」  山之口獏

戦争が起きあがると 
飛び立つ鳥のように 
日の丸の羽をおしひろげ
そこからみんなで飛び立った
一匹の詩人が紙の上にいて 
群れ飛ぶ日の丸を見あげては 
だだ だだ と叫んでいる
発育不全の短い足 
へこんだ腹 
持ちあがらないでっかい頭
さえずる兵器の群をながめては 
だだ だだ と叫んでいる
だだ だだ と叫んでいるが 
いつになったら「戦争」がいえるのか 
不便な肉体 どもる思想 まるで砂漠にいるようだ
インクに渇いたのどをかきむしり熱砂の上にすねかえる
その一匹の大きな舌足らず 
だだ だだ と叫んでは
飛び立つ兵器の群をうちながめ 
群れ飛ぶ日の丸を見あげては 
だだ だだ と叫んでいる


 『ミミコの独立』

 とうちゃんの下駄なんか
 はくんじゃないぞ
 僕はその場を見て言ったが
 とうちゃんのなんか
 はかないよ
 とうちゃんのかんこをかりてって
 ミミコのかんこ
 はくんだ と言うのだ
 こんな理屈をこねてみせながら
 ミミコは小さなそのあんよで
 まな板みたいな下駄をひきずって行った  
 土間では片隅の
 かますの上に
 赤い鼻緒の
 赤いかんこが
 かぼちゃと並んで待っていた


  『座蒲団』 山之口 獏

土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすすめられて
楽に坐ったさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界がさびしいよ

  
   「世はさまざま」

人は米を食っている
僕の名と同じ名の
獏という獣は
夢を食うという
羊は紙も食い
南京虫は血を吸いにくる
人にはまた
人を食いに来る人や人を食いに出掛ける人もある
そうかと思うと琉球には
うむまあという木がある
木としての器量はよくないが詩人みたいな木なんだ
いつも墓場に立っていて
そこに来ては泣きくずれる
かなしい声や涙で育つという
うむまあ木という風変わりな木もある


   「がじまるの木」

ぼくの生まれは琉球なのだが
そこには亜熱帯や熱帯の
いろんな植物が住んでいるのだ
がじまるの木もそのひとつで
年をとるほどながながと
気根(ひげ)を垂れている木なのだ
暴風なんぞには強い木なのだが
気立てのやさしさはまた格別で
木のぼりあそびにくるこどもらの
するがままに
身をまかせたりしていて
孫の守りでもしているような
隠居みたいな風情の木だ


  「底を歩いて」

なんのために
生きているのか
裸の跣で命をかかえ
いつまで経っても
社会の底にばかりいて
まるで犬か猫みたいじゃないかと
ぼくは時に自分を罵るのだが
人間ぶったぼくのおもいあがりなのか
猫や犬に即して
自分のことを比べてみると
いかにも人間みたいに見えるじゃないか
犬や猫ほどの裸でもあるまいし
一応なにかでくるんでいて
なにかを一応はいていて
用でもあるみたいな
眼をしているのだ

どのマスコミを言わないがー二重取りの詐欺だと思う

2008年01月28日 | 政治
ついさっきのニュースでも、五百数十億円の道路特定財源で駐車場を作って、そこに国土交通省官僚が天下りしては私物化して、料金を自分たちの懐へと。
これは「高速道路民営化」と同様の、天下り先の確保と税金・料金の二重取り詐欺とも呼ぶべき悪質な官僚犯罪だと思う。

以前民主党が高速道路の無料化を唱えた時には、新しい高速道路建設のために高額な料金が必要だという話だったのだから・・それならば、高速道路建設費用は高速道路料金を回すだけでいいのではないのかと思う。
何故税金を使って、天下り官僚たちの懐をさらに肥やしてやらなければならないのか?

道路特定財源やガソリン税等の暫定税率は、税金と料金を2重に懐に入れる詐欺行為であり、さらに一万数千キロの高速道路建設とその料金を懐に入れては、次々と国土交通省官僚の高速道路関連会社への天下りを助長する行為だ。