旋盤や大きな機械を見て、萌~となるのはやはり、男の子に生まれるべきだったのか(笑)
出典:明治村HPより
日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発された。明治5年(1872)に開業した新橋ステンショ(停車場)には、停車場本屋、乗降場、荷物庫、荷物積所、石炭庫、機関車庫、機関車修復所、御雇外国人官舎等が造られた。この中の機関車修復所が、ここに遺る新橋工場である。
現在、この建物は二棟が並んだ大きなものになっているが、はじめ新橋に建設された時は一棟だけで、大正のはじめ大井町への移設の際に拡張された。その際他から転用された鋳鉄柱等には「明治十五年東京鉄道局鋳造」と銘が鋳出されているが、これは明治10年代に早く舶来品を模して国産化が始められたことを物語る。
鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建設された。中空鋳鉄柱の両側にツバを出して壁板を取り付け、又、鉄筋など細い鉄材で小屋組トラスを組み上げる等、鉄造プレハブ建築物としても重要なものであり、またきわめて単純で構造力学の理にかなったものである。