◎体験とは言えない体験に耐えられるかどうか
2. 悟りを目指す求道冥想
これまでのセラピー瞑想については、「精神療法と瞑想 心を解くセラピー&メディテーションガイダンス 宝島編集部/編 JICC出版局」を参照してきたが、セラピーではない悟りを目指す求道冥想については、これまでどおり準備冥想と本番の悟りに至る冥想を述べる。
OSHOバグワンは、多数の準備冥想を発案・紹介しているのだが、それでストレス発散やカタルシス、頭の想念・思考の掃除をやることが多い。そうした技法と究極に至るヴィパッサナーや只管打坐、クンダリーニ・ヨーガなどの技法を同列には論じられない。
そして何よりも大事なことは、自分自身が究極と言う体験とは言えない体験に耐えられるかどうかということであって、それを無視して、瞑想技法の種類と効果だけを論じるわけにはいかない。
またクンダリーニ・ヨーガ系(古神道、道教内丹、チベット密教、西洋錬金術等)などは段階があるが、只管打坐は段階なくいきなり窮極に到達する。また冥想といえば、坐相ポスチャーだが、意識状態が坐相を決めるという側面があり、その姿勢を自分ではとったと思っても正確に求められる坐の姿勢をとれたかどうかは別である。その一方でその坐相の効果の絶対性というものもある。
参考:【Overview of the meditation 冥想の全体像】
(1)冥想の準備
(a)柔軟体操(柔軟体操)
(b)食事・嗜好品(食事・嗜好品)
(c)呼吸法(呼吸法)
(d) マインド・コントロール対策
(2)単体冥想のいろいろ
(a)イメージ・トレーニング(観想法)
(b)気功、導引
(c)ハタ・ヨーガ
(d)カーマ・ヨーガ(性愛冥想)
(e)ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)
(f)占星術
(g)マントラ禅
(h)只管打坐
(i)クンダリーニ・ヨーガ
(j)丹田禅
もちろん冥想法には、宗派による区分もある。一例として、クンダリーニ・ヨーガ系のカバラ瞑想では、観想法である「イメージ形成」「イメージ想起」に加え、「神の姿勢」という椅子上の坐法があり、呼吸法もある(参照:魔法修行/W.E.バトラー)。この冥想法は西洋魔術、魔法と呼ばれるが、これもいくつかの冥想技法の集合体ではある。どこの宗派のそれも大方冥想技法の集合体であって、宗派に関係ないマインドフルネスとかフルフィルメントであっても冥想技法の集合体である。
ところで、このように準備冥想メニューや窮極に至る単体冥想メニューを並べてみたが、ホテルの朝食ビュッフェよろしく、自分の気に入った冥想メニューばかりやってはならない。いろいろな宗派の「いろいろな行法を混ぜてはいけない」(魔法修行/W.E.バトラー/平河出版社P60から引用)のだ。
同様に、日蓮が、禅天魔、念仏無間、真言亡国、律国賊と他宗派排撃を言っているのは、「いろいろな行法を混ぜてはいけない」から南無妙法蓮華経を専一に唱えなさいと言っているだけのことである。禅にも、念仏にも、真言にも・律にも覚者は出ているし、それが証拠に日蓮直筆の曼荼羅に天照大神が記載されているのは、そのような消息である。どの宗派においても、その宗派の冥想技法一本でやりなさいと言うものだ。
準備冥想であっても単体冥想であっても、人をトランスに導き不安定にさせる可能性がある以上は、悟った正師の指導を受ける必要があるのは言うまでもない。
2. 悟りを目指す求道冥想
これまでのセラピー瞑想については、「精神療法と瞑想 心を解くセラピー&メディテーションガイダンス 宝島編集部/編 JICC出版局」を参照してきたが、セラピーではない悟りを目指す求道冥想については、これまでどおり準備冥想と本番の悟りに至る冥想を述べる。
OSHOバグワンは、多数の準備冥想を発案・紹介しているのだが、それでストレス発散やカタルシス、頭の想念・思考の掃除をやることが多い。そうした技法と究極に至るヴィパッサナーや只管打坐、クンダリーニ・ヨーガなどの技法を同列には論じられない。
そして何よりも大事なことは、自分自身が究極と言う体験とは言えない体験に耐えられるかどうかということであって、それを無視して、瞑想技法の種類と効果だけを論じるわけにはいかない。
またクンダリーニ・ヨーガ系(古神道、道教内丹、チベット密教、西洋錬金術等)などは段階があるが、只管打坐は段階なくいきなり窮極に到達する。また冥想といえば、坐相ポスチャーだが、意識状態が坐相を決めるという側面があり、その姿勢を自分ではとったと思っても正確に求められる坐の姿勢をとれたかどうかは別である。その一方でその坐相の効果の絶対性というものもある。
参考:【Overview of the meditation 冥想の全体像】
(1)冥想の準備
(a)柔軟体操(柔軟体操)
(b)食事・嗜好品(食事・嗜好品)
(c)呼吸法(呼吸法)
(d) マインド・コントロール対策
(2)単体冥想のいろいろ
(a)イメージ・トレーニング(観想法)
(b)気功、導引
(c)ハタ・ヨーガ
(d)カーマ・ヨーガ(性愛冥想)
(e)ソーマ・ヨーガ(薬物冥想)
(f)占星術
(g)マントラ禅
(h)只管打坐
(i)クンダリーニ・ヨーガ
(j)丹田禅
もちろん冥想法には、宗派による区分もある。一例として、クンダリーニ・ヨーガ系のカバラ瞑想では、観想法である「イメージ形成」「イメージ想起」に加え、「神の姿勢」という椅子上の坐法があり、呼吸法もある(参照:魔法修行/W.E.バトラー)。この冥想法は西洋魔術、魔法と呼ばれるが、これもいくつかの冥想技法の集合体ではある。どこの宗派のそれも大方冥想技法の集合体であって、宗派に関係ないマインドフルネスとかフルフィルメントであっても冥想技法の集合体である。
ところで、このように準備冥想メニューや窮極に至る単体冥想メニューを並べてみたが、ホテルの朝食ビュッフェよろしく、自分の気に入った冥想メニューばかりやってはならない。いろいろな宗派の「いろいろな行法を混ぜてはいけない」(魔法修行/W.E.バトラー/平河出版社P60から引用)のだ。
同様に、日蓮が、禅天魔、念仏無間、真言亡国、律国賊と他宗派排撃を言っているのは、「いろいろな行法を混ぜてはいけない」から南無妙法蓮華経を専一に唱えなさいと言っているだけのことである。禅にも、念仏にも、真言にも・律にも覚者は出ているし、それが証拠に日蓮直筆の曼荼羅に天照大神が記載されているのは、そのような消息である。どの宗派においても、その宗派の冥想技法一本でやりなさいと言うものだ。
準備冥想であっても単体冥想であっても、人をトランスに導き不安定にさせる可能性がある以上は、悟った正師の指導を受ける必要があるのは言うまでもない。