野田総理は消費税の引き上げと社会保障と税の一体改革に不退転の決意で取り組むと言っていますが、今日はその「不退転の決意」と同じような意味でも使われる「背水の陣」の語源について調べることにしました。
「背水の陣」は中国の史記『淮陰侯(わいいんこう)列伝』の故事が語源となっています。
それによると、漢の国と趙の国が激突した井陘(せいけい)の戦いにおいて、漢軍の武将だった韓信(かんしん)は寄せ集めばかりの漢軍の兵士を敢えて川を背にして陣地を構える捨て身の態勢を取りました。
兵法では水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本であり、これを見た趙軍の陳余は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃し、韓信軍に攻めかかりました。
兵力では趙軍が圧倒的に上であったものの、後に退けない漢の兵士たちは韓信の目論見通り決死の覚悟で戦い、見事勝利をおさめたと言います。
この故事から、絶対に失敗できない状態で、覚悟を決めて全力をあげて事に当たる事を「背水の陣を敷く」とか「背水の陣で臨む」と云うようになったものです。
なお、この戦の後には、韓信は捕虜となった趙軍の策士・李左車(りさしゃ)を師と仰ぎ、燕を下す策を尋ねたところ、李左車は恥じ入って「敗軍の将、兵を語らず」という有名な言葉を残しました。
しかし、なおも聞く韓信に対して李左車は、「智者は千慮に一失が有り、愚者も千慮に一得が有る」と愚者の策であると前置きした上で、四つの策を授け、後に韓信は李左車の策を用いて、燕の王を服従させたと言います。