らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

駄獣(だじゅう)の群

2012-02-27 | 時事

今、第180回通常国会が開かれています。
テレビやラジオで聞いていますが、質問や答弁に対して相変わらず野次ったり、原稿を棒読みしたりの答弁でセレモニー的な感が否めません。
100年ほど前の政治も現在とよく似ていたらしく、昨日の読売新聞の「編集手帳」には当時の政治を嘆く次のようなコラムが載っていたのでご紹介します。

以下、「編集手帳」より
 「あはれ、此国(このくに)の 怖(おそ)るべく 且つ醜き 議会の心理を知らずして、衆議院の建物を見上ぐる勿(なか)れ。」
 1915年(大正4年)の読売新聞日曜版に「駄獣(だじゅう)の群」と題した辛辣(しんらつ)な国会批判の詩が載っている。作者は小社の一員だった与謝野晶子。

 「彼等を選挙したるは誰か」と、当時、選挙権のなかった「平民」や女性の怒りが50行の長詩に込められている。
 その内容が100年近く後の今でも結構当てはまるところに、情けなくも驚く。
 「此処に(ここ)に在(あ)る者は 民衆を代表せずして 私党を樹(た)て 公論の代わりに 私語と怒号と罵声とを交換す。」
 現代の選良たちは、先達も同じレベルだったと胸をなで下ろすのだろうか。嗚呼(ああ)・・・・。

 立派な議員も多数存じ上げているので、駄獣(だじゅう)とまで呼ぶつもりはないが、必要と分かっている社会保障改革や消費税の議論など、もっと建設的に進められないもので
 しょうか。
 と嘆いてみても、今は成人全員が有権者。
 「彼等を選挙したるは誰か」と問えば、自分に返ってくる話だ。
 戦前は政治家が信頼を失い、とんでもないことになった。2月26日は歴史を還りみつつ余計な心配が募る。
                                                           (以上 原文通り)

与謝野晶子の長詩「駄獣(だじゅう)の群」はこの後も続いています。
その一部は、
 「彼等を寛容しつつあるのは誰か 此国の憲法は彼等を逐(おう)ふ力無し まして選挙権なき われわれ多数の貧しき平民の力にては・・・・」
  以後、略
なお、駄獣(だじゅう)とは、荷物などを背中に載せて運搬するために利用される使役動物の事です。

政治が100年前と同じでは余りにも情けない。
議員の先生方は「駄獣(だじゅう)」と言われないように、国家国民のための政治を真剣に行って欲しいものです。