先日、現役時代の同期会で久しぶりに大阪へ出かけたので、17日から市内の神社や史跡をご紹介しているところですが、6回目の今日は「四天王寺」をご紹介します。
「石鳥居」
四天王寺のこの鳥居は、元は木造でしたが、鎌倉時代の永仁2年(1294年)に四天王寺の別当であった奈良・西大寺の忍性(にんしょう)によって石の鳥居に建て替えられたと伝えられています。
その後、室町時代・江戸時代に補修されており、当時のまま残っているのは柱だけだそうです。
お寺に鳥居?
奇異に感じますか?
実は元来、鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたものであり、神社に限ったものではないそうです。
・この石鳥居は、吉野の銅の鳥居、安芸の宮島の木の鳥居と並んで日本三鳥居の一つに数えられており、重要文化財にも指定されています。
鳥居中央に掲げられている扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 お釈迦さまが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』の意です。
更にこの額は箕の形をしており「チリトリ」のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を表していると言うことです。
「四天王寺」
四天王寺は1400年前の推古天皇元年(593年)に建立されました。
『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後、その誓いを果すために建立したと伝えられている、日本初の本格的な仏教寺院です。
・手前から金堂、五重塔、仁王門と一直線に並んでいます。
「西大門(極楽門)」
この門は極楽浄土への入口とされ、彼岸の中日には石鳥居の西側の海に沈む夕日を拝する聖地として、多くの人々の信仰を集めてきました。
往時は鳥居のすぐ外まで海で、ここから西海に沈む夕陽を拝し、その彼方にある極楽浄土を想ったと言われています。
「五重宝塔」
度重なる戦火転載により焼失しましたが、その都度再建を重ねました。
現在の塔は昭和34年(1959年)に8度目の再建がなされたものです。
塔の高さ39.0m、本瓦葺、鉄筋コンクリート造りですが、木造建築の優美さを伝え、飛鳥時代の創建当時の姿を再現しているそうです。
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたことから、この塔を「六道利救の塔」と言うそうです。