らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

至誠惻怛(しせいそくだつ)

2013-03-26 | 雑学

現役時代の同期30名が集合した先日の同期会では、司会者の求めに応じて、詩吟を披露する人や、ハーモニカ演奏をする人、第46回政経文化画人展で「芸術議員連盟副会長賞」を受賞したW君の絵画の話、陶芸で個展を開いたM君など、リタイア後の同期諸君の活動状況が紹介されました。
そのような中で、独身時時代に寮で相部屋だったO君が「至誠惻怛(しせいそくだつ)」と言う四文字熟語を披露してくれました。

「至誠惻怛(しせいそくだつ)」という熟語は初めて聞く言葉だったので調べてみました。
この言葉は河井継之助が幕末期の儒家・陽明学者のひとりである山田方谷(やまだほうこく)に師事した際、方谷から贈られた王陽明(1472-1529年)の一節だそうです。

・山田方谷です(ネットより)


「至誠惻怛」
「至誠惻怛(しせいそくだつ)」の「至誠」は極めて誠実なことで真心を意味し、「惻怛」というのは痛み悲しむ心の意味です。
即ち、この熟語は、まごころ(至誠)と痛み悲しむ心(惻怛)があればやさしく(仁)なれる。そして目上には誠を尽くし、目下にはいつくしみをもって接するのです。心の持ち方をこうすれば物事をうまく運ぶことができると言います。
つまり、この気持ちで生きることが、人としての基本であり、正しい道なのです。
孔子、孟子の教えを会得してなお足らざるところが、この「至誠惻怛」(しせいそくだつ)の教えと解するが良いと。

「山田方谷(やまだほうこく)」
山田方谷と言う名前を初めて聞いたという方が多いと思いますが、この人は幕末、15代将軍・徳川慶喜の主席老中である備中松山藩主・板倉勝静を助けながら、「貧乏板倉(備中松山藩:現岡山県高梁市)」と言われた藩をわずか8年で、財政再建を行うとともに、教育改革、軍政改革等を行った、政治家・実践派の財政家なのです。
また、板倉勝静が主席老中になると、江戸へ出て将軍・徳川慶喜を助け、「大政奉還」の上奏分などを起草した江戸幕府の政治顧問でした。
更に、大正天皇の侍講(じこう:東宮職の進講を司る職員)である三島中洲(みしまちゅうしゅう)や「峠」(司馬遼太郎著)の主人公である河井継之助、宮中顧問官で明治三大文宗の一人である漢文学の泰斗(たいと:その道の権威者)・川田甕江(かわたおうこう)ら優れた人材を育てた教育者であり、幕末期を代表する陽明学者だったようです。

なお、山田方谷の藩政改革は江戸時代の藩政改革で有名な上杉鷹山をはるかに凌ぐ真の改革者とも言われており、後日改めてご紹介します。