らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

大阪散策(その4)三光神社

2014-03-25 | 地元紹介

大阪に出かけたついでに、目的地までの道すがら、「大坂冬の陣から400年」に関連する場所巡りをしてきましたが、今日はその最終回として三光神社をご紹介します。

「三光神社」
三光神社は反正天皇の時代の創建と伝えられ、天照大神・月読命・素盞鳴命を祭神とし、境内末社に仁徳天皇・武内宿彌・野見宿彌・主守稲荷を祀っています。
旧地名が姫山または嬪山と呼ばれていたことから「摂津名所図会」には姫山神社となっていますが、1908年(明治41年)境内にあった中風除けの神として広く知られた「三光宮」を合祀して現在の社号になったそうです。


 
「本殿」
ここに掲げられている案内板によれば次のように記されています。
創建は第18代反正天皇(約1600年前)の御代と伝えられ、創建以後、神職として奉仕された武内宿弥(たけのうちのすくね)の末裔たる武川氏が86代にわたって奉仕された。
この地は元大阪城の出城、偃月城(えんげつじょう)の在りし所にして、慶長、元和の大坂合戦の頃、真田幸村ここに陣し、本城よりここに至るまで、地下に暗道を設け、今なおその痕跡を本殿階下に止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり。(一部転記)



「寿老神」
当神社の境内に「武内宿彌社」があります。
これは武内宿彌が景行、成務、仲哀、応神、仁徳の5代の天皇に棟梁之臣・大臣として244年にわたり仕え、国政を補佐したとされる伝説的人物と言われており、日本一の長寿であった所から「七福神」の一神の寿老人に重ね、当神社では寿老神として祀られているものです。



「真田の抜け穴」と「真田幸村の陣中指揮姿の銅像」
公園のすぐ隣にある三光神社には堂々たる真田幸村の像と「真田の抜穴跡」といわれている洞窟があります。

・真田幸村の像と左側が「真田の抜け穴」です。


「真田の抜け穴」
「真田の抜け穴」といわれる洞穴です。
これは、真田幸村が此の地に偃月城(えんげつじょう)と名付ける塁を定め、大坂城よりここに至るまで地下に暗道を設けたと言い伝えられている抜け穴です。
この地は宰相山と呼ばれる一角にあり、真田幸村が「大坂冬の陣」の時、大坂城の出丸(真田山)を築いたところとされています。

・真田の抜け穴の内部です。