らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

土丸城跡

2014-03-29 | 地元紹介

昨年10月、熊取町指定史跡の「雨山城跡(あめやまじょうあと)」と泉佐野市の「土丸城跡(つちまるじょうあと)」がともに、一体の山城「土丸・雨山城跡」として、国の史跡「日根荘遺跡(ひねのしょういせき)」の一部として追加指定されました。
そこで先日、この両城跡に上って来たのでご紹介します。

「雨山・城の山(じょうのやま)」
正面左が「雨山」、右が「城の山(通称土丸山)」です。
今回は城の山(土丸城跡)から尾根を伝って雨山城跡を巡るルートで、自宅からは徒歩で3時間余り、距離にして10キロ余りのハイキングコースとなります。

・左側の高い山が314mの雨山、右側が287mの「城の山(土丸山)」です。


・土丸山の登山道です。整備されていないので歩きにくい山道でした。


「小富士山」
通称、佐野富士または泉州富士と呼ばれる標高260mの小富士山です。
泉州に富士山があるとは全く知りませんでした。
言われてみれば小さな富士山にも見えます。

・土丸山の南に位置している小富士山です。


「テングチョウ(天狗蝶)」
土山城跡に上る途中の登山道の枯葉に紛れるように舞い降りていました。
テングチョウは、チョウ目タテハチョウ科テングチョウ亜科に分類されるチョウの1種で、和名は成虫の頭部が天狗の鼻のように前方に伸びることに由来します。
テングチョウ亜科は全世界に10種類ほどが知られていますが、日本に分布するのはこの1種類だけだそうです。

・枯葉と同じような色をしているので分かりにくいのですが、同行したTさんが見つけて教えてくれました。



「土丸城由来」
ここに立てられている説明板によれば、土丸城は天平元年(729年)泉佐野市日根野にいた豪族日根野氏によって築かれたと考えられる。
同3年、高師泰(こうのもろやす)は吉野の行宮をおかすにあたって日根野時盛にこの城の警固を命じた。
同8年、楠木氏一族、橋本正督が時盛をおってこの城に入り、尾根続きの雨山になわ張りを拡げたいわゆる雨山城である。



「土丸城跡」
土丸城跡は土丸山(城ノ山)の頂上付近にあり、槌丸城とも書かれる中世の城址です。
この地は、紀州と和泉を結ぶ往環道に位置し、戦略上重要な土地であったことから、この城では楠木正勝や細川頼元、山名義理、橋本正高など、有名な武将が活躍していたそうです。

元和年間の土丸城絵図には、本丸、二の丸、三の丸や守備兵の宿泊小屋などが描かれていますが、近世的城郭のイメージで描かれたものといわれています。
今も山上には、龍王神社や顕彰碑、古井戸、武者かくしなどが残されています。
また、谷をへだてて相対する雨山には雨山城跡(熊取町)があり、土丸城を雨山城の出城と考え、二つ合わせて雨山城と呼ぶ場合があるようです。



・土丸城跡から眺めた泉佐野市日根野の町です。