らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

姑息と卑怯

2017-07-14 | 雑学

「姑息」。この漢字は「こそく」と読みます。
失礼しました。どなたもよくご存知ですよね。
ではその本来の意味をご存知でしょうか?
「姑息な手段」のように表現されますが、「卑怯」と同じような意味に捉えている人が案外多いようです。

ある調査によれば、「姑息」を「ひきょうな」という意味と考えている人が70.9%、本来の意味とされる「一時しのぎ」とこたえた人は15.0%となっているそうです。
姑息が「卑怯」や「ケチ」の意味で用いられるのは「姑息な手段(その場しのぎの手段)でごまかそうとする」など、よくない場面で用いられる言葉であることや、こざかしいことや生意気な意味の「小癪(こしゃく)」と音が似ていることから、その混同によるものと考えられているようです。
「姑息な人間だ」と人を罵るときに用いられることの多い「姑息」という言葉ですが、「姑息」には「卑怯」や「ケチ」という意味はありません。

広辞苑を調べると、「姑息」とは、(姑はしばらくの意)一時の間に合わせ。その場のがれ。と説明しています。
一方、「卑怯」とは、(「比興」の当て字という)①心が弱く物事に恐れること。勇気のないこと。臆病。②心だての卑しいこと。卑劣。と説明しています。

辞書が示すように、「姑息」とは「その場しのぎに何かをする」、「一時の間に合わせに物事をする」という意味です。
たとえば大怪我をして出血がはなはだしいとき、病院に到着するまでの間にガーゼや包帯で止血をすることがありますが、これが「姑息な方法」の正しい使い方なのです。
根本的な解決にはならずとも、間に合わせに何かを行う仮の方法や手段のことを言い、会話では「とりあえず」という言葉で使われる感覚が「姑息」なのです。

「姑息の由来と故事」
「姑息」がどうして「とりあえず」とか「一時のまにあわせ」という意味になったのでしょうか?
「姑」にはしばらく、「息」にはやむ・しずめるという意味があるので、「しばらくその場をしずめる」というのが熟語としての成り立ちとなります。
そしてその由来は、「礼記」の故事にある孔子の門人・曽子の言葉からです。

病床にあった曽子は、自分の寝台に身分と合わない上等なスノコを敷いていました。
お付きの童子にそのことを指摘された曽子は息子の曽元にスノコを取り替えるよう命じます。
曽元は父の病状の重いことを考慮し、明朝、具合が良くなったらにしましょうと答えます。
それに対し曽子は、お前の愛は童子に及ばない、と次のように言いました。 

「君子の人を愛するや徳を以もってす。細人の人を愛するや姑息を以もってす」と。
 意訳:君子たる者は大義を損なわないように人を愛するが、度量の狭い者はその場をしのぐだけのやり方で人を愛するのだ。

その場にいた者たちは曽子を抱え上げてスノコを取り替えますが、彼は間もなく亡くなってしまいました。
曽子は一時しのぎの配慮に従って生き長らえるよりは、正しいことをして死ぬ方がよいと考えたのです。

この故事が「姑息」の由来です。
「姑息」には「卑怯」という意味はありません。
間違わないようにしたいですね。