らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「不肖」の使い方に注意

2017-07-24 | 雑学

謙虚、謙遜が美徳とされる日本では、謙遜のつもりで使った言葉が誰かを巻き込んでしまうことがあるので注意が必要です。
例えば「不肖(ふしょう)」と言う言葉ですが、自分を謙遜して使ったつもりが、自分を指名した人をさげすますことがあるのです。

不肖(ふしょう)」という言葉は、「不肖、田中太郎、一生懸命務めさせていただきます」という風に「私のような未熟な人間ではありますが」という謙遜のニュアンスで用いられると思います。
しかし、この言葉は使い方を誤るとその控え目な意味合いが消えてしまうことがあります。
今日は「不肖(ふしょう)」の本来の意味について調べました。

「不肖」とは、広辞苑によれば、 ①(似ていない意)父に似ないで愚かなこと。また、師に似ず劣っていること。
                    ②愚かなこと。取るに足りないこと。
                    ③運の悪いこと。惨めなこと。
                    ④自分の謙遜。
と説明しています。

辞書が示すように「不肖」の本来の意味は、①の親や師匠の才能を受け継がず愚かな子(弟子)であるという意味なのです。
また、自分自身のことを言う場合のみ④の自分の謙遜の意味として「未熟である」という用い方もします。
従って、例えば、親が「不肖(ふしょう)の息子ですがよろしくお願い申し上げます」という表現を使用すると、とても違和感があります。

というのは、先ず、不肖という言葉は自分自身を控えめに表現するときに用いるわけですから、その意味にはならないこと。
次に、「親である私の才能を継ぐことなく、このような子ではありますが」という自画自賛になってしまうことです。
但し、親が自身の才能を自負しているのであれば誤りとは言えませんが・・・。

このように自分の子や弟子を控えめに表現する場合には「不肖」という言葉を用いず、男性の場合は「愚息(ぐそく)」、女性の場合は「行き届かない娘ですが」とか「不束(ふつつか)な娘ではありますが」といった言い回しが用いられるのが一般的です。

ただし、「行き届かない」「不束な」という表現自体も、「女性は身辺周囲の方への気配りができて当然」という前提で用いられている言葉なので、状況によっては女性蔑視の差別になってしまう可能性もあるので、この言葉の使用にも注意が必要です。

また、会議やパーティ等で紹介されたとき、或いは指名されたときも「不肖」は用いないようにした方がよいようです。
例えば、披露宴やパーティーの司会者として指名された方が、冒頭、「司会は不肖、私、山田が務めます」という表現を用いることがあります。
この場合、「不肖」という言葉は自分自身の未熟さを伝える場合には用いることができるので、この表現は誤りではありません。
ただ、このような場面で自分自身の謙遜のつもりで不肖を用いると、「こんな未熟な人間を司会者に指名するような人もどうかしてますよね」と解釈されて、司会者に自分を指名した人までもさげすめてしまうことになってしまうのです。

謙遜も度が過ぎると周囲の人の価値を相対的に押し下げてしまうことになります
謙虚が美徳であるとされる日本ではへりくだることは必要ですが、謙遜のつもりで使った言葉が誰かを巻き込んでしまっていないかどうかを意識する習慣は身につけておいた方が良いのかもしれません。