らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「絵馬」の由来

2012-02-19 | 雑学

この時期、多くの受験生が合格の祈願で、或いは合格の報謝で神社仏閣を訪れ、絵馬を奉納しているのではないでしょうか?
今日は「絵馬」の由来について調べました。

絵馬とは、いろいろな祈願または祈願成就の感謝の証しとして神社や社寺に奉納する馬の絵を書いた額のことです。
かつて、馬は神や霊の乗る神聖な動物だと考えられており、それで馬を神社に献上して、五穀豊穣を願ったと言われています。
しかし、本物の馬を献上することは大変なことだったので、次第に作り物の馬(馬形)や板を馬の形に切り抜いた「板立馬」が納められるようになり、更に、「絵に描いた馬」も奉納されるようになって「絵の馬」、つまり「絵馬」と言われるようになったそうです。

現在では、馬以外の絵も描くようになり、様々な図柄が考え出されているようです。
例えば、禁酒の祈願のために「杯に錠」、絵を禁欲の誓いにする「錠物(じょうもの)絵馬」が有名になり、他にも、腫れ物やイボをタコが吸ってなおるよう願いを込めた「タコ」が描かれた絵馬など、ユニークな絵馬が数多く見られるようになっています。

・馬の絵以外の絵馬です。(ウィキペディアより)






「四六時中」の語源

2012-02-18 | 雑学

『四六時中(しろくじちゅう)』と云う言葉があります。
これは「一日中」「と云う意味から転じて「いつもとか、常に」という意味でも使われますが、今日はその由来について調べました。

「四六時中」と云う言葉は、掛け算で4×6=24の、一日24時間を表している言葉なのです。
元々は、1日の時刻を「子の刻」「丑の刻」など、干支の十二刻で表していた江戸時代からの『二六時中』からきているものです。

即ち、当時は日の出から日の入りまでを昼、日の入りから日の出までを夜として、それぞれ昼夜6つに分けて、一日は「十二時(とき)」としていました。
そのため、旧暦では2×6=12で、『二六時中』という表現を使っていたそうです。
それが、明治6年以降に『太陽暦(新暦)』が採用されて一日を24時間で表すようになってから、4×6=24の『四六時中』と云うように変わったそうです。

当初、誰が言い出したのかは不明ですが、洒落た言い方を考えたものですね。


ヨーグルトにインフルエンザの予防効果あり

2012-02-17 | 時事

インフルエンザの患者数が過去の年間ピーク211万人を超え、依然として猛威をふるっています。
そんな中、1月下旬に「インフルエンザの予防にヨーグルトの乳酸菌が効果的」と云う内容を、テレビの情報番組などが伝えたところ、今そのヨーグルトの品薄状態が続いているそうです。

このヨーグルトは、「1073Rー1乳酸菌」が入っている「明治ヨーグルトR-1]で、報道によれば、2010年9月7日~2011年3月18日までの約半年間に、佐賀県有田町の小中学生1904人が「R-1乳酸菌」を含むヨーグルトを毎日食べたところ、隣接する伊万里市、武雄(たけお)市、嬉野(うれしの)市の3市と比べてインフルエンザの感染率が激減しました。
特に武雄市の小学生の累積感染率が10・48%だったのに対し、有田町の小学生は0・64%にとどまるなど明らかな違いが出たと云われています。

このブームは、この調査結果が先月下旬に複数のテレビ局の情報番組の中で紹介されて一気に火がつき、明治ヨーグルトでは「R-1」シリーズの今年1月から2月の出荷量が前年同期の5倍となり、別のヨーグルトの生産を中止して増産しているそうですが、原材料に限りがあって注文に応え切れていないそうです。
なお、「1073R-1乳酸菌」は、ヨーグルトを作るために使用されるブルガリア菌のひとつで、多糖体を多く産生することが特徴だそうです。

乳酸菌などが菌体外に作り出す多糖体をEPSと呼び、EPSは生体に対して免疫機能を活性化することが分かっているそうで、新聞によれば、東大の伊藤教授は、インフルエンザの予防まで出来るかは分からないが、乳酸菌は腸内環境を整えて免疫力を高め、症状を軽くする可能性はあると言っています。

また、免疫学に詳しい人間総合科学大学の藤田紘一郎教授は乳酸菌がインフルエンザ予防に役立つことはわかっているので、乳酸菌によって腸内細菌のバランスが良くなると、NK細胞(免疫細胞の一種)が活性化して、インフルエンザにかかりにくくなるので、『R-1乳酸菌』だけでなく、他の乳酸菌でもいい」と説明しているそうです。

乳酸菌で腸内環境を整えて、インフルエンザに対する免疫力を高めては如何でしょうか?


開運商品を売りつける手口に要注意!

2012-02-16 | 消費者問題
今日は悪質商法の中で最近被害が増えている「開運商品を売りつける手口」について、国民生活センターHPよりご紹介します。

「開運商品を売りつける手口」
開運ブレスレットや数珠の購入をきっかけに次々に商品を勧誘する典型的な手口は以下の通りです。
1.雑誌広告などを見て、「願いが叶(かな)う」開運ブレスレットや数珠をハガキなどで申し込む
2.開運ブレスレットや数珠が送られてくる
3.商品に同封されていた手紙に、「使い方を説明するので電話をかけてください」と書いてあり、指示にしたがう
4.電話で話をしているうちに、業者に悩みを打ち明ける
5.「あなたには自殺する運気がある」、「霊がついている」などと言われて、運気を改善するためにと新たな開運商品(祈祷サービス、霊石など)を勧誘される

「相談事例」
雑誌広告を見て「願いが叶う奇跡のブレスレット」を電話で申し込んだところ、商品が届き、同封されていた説明書に「間違った使用方法をされると力が発揮できないので電話をしてください」と書いてあったため業者に電話をしました。
その電話で悩みを聞かれたので答えていたら、「あなたには霊がついているので除霊が必要だと言われた。
チベットで除霊をする必要があるが、ご自身で行けないのなら、高名な先生が代わりに行く」と言われ、そのための費用130万円を現金書留で送った。
現金書留の上限が50万円なので、送金の際窓口で聞かれたら「書類があるので分厚くなっている」と言うように指示された。
送金後再度電話があり「チベットで除霊の最中、5名の先生のうち3名が倒れた。とても強い霊がついているので、さらに除霊をする必要があり、追加費用110万円が必要」と言われた。
お金を下ろそうとしたところ、金融機関が不審に思い警察に行くように助言された。
だまされたことに気づいたので、全額キャンセルしたい。

「問題点」
(1)脅迫的なことを言って開運商品を次々と購入させるなど勧誘方法が悪質である
(2)業者に電話をかけさせられ、不意打ち的に勧誘されている
(3)追加で勧誘された商品について、法定書面が交付されていない、書面に不備がある
(4)商品を破棄するよう指示され、心理的にクーリング・オフをしにくくするよう仕向けられている
(5)「返金保証」がついているにも関わらず返金に応じない
(6)不安に付け込まれて高額な契約をさせられている

「消費者へアドバイス」
(1)お金を支払ったから運が開けるというわけではないと理解すること
(2)不意打ち的に電話で勧誘されても、すぐに契約しないこと。購入する気がなければきっぱり断ること
(3)クーリング・オフ期間内であったり、法定書面の交付がされていない場合や不備がある場合はクーリング・オフの申し出をすること
(4)不安をあおるような方法で次々に商品を勧誘されたり、業者が解約に応じない場合は、すぐに消費生活センターに相談すること
(5)勧誘時に恐怖を感じることがあれば、警察にも相談すること

国民生活センターでは、開運商品をめぐるトラブルの未然防止、拡大防止のため、消費者に注意を呼びかけています。
詳細については下記国民生活センターHPをご参照ください
   http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20120202_1.pdf




月とスッポン

2012-02-15 | 雑学

少しは似ているが、実は比べものにならないほどひどく違っていることの例えに「月とスッポン」と云う諺があります。
この諺から、昨年10月31日の衆院本会議の代表質問で、自民党の小渕優子幹事長代理(当時)が小渕元総理と野田総理には「似て非なる」もの、即ち、「月とスッポン」以上の違いがあると正していたのを思い出しました。
そこで今日は、「月とスッポン」について調べました。

月とスッポン、どこが似ているのかお分かりですか?
中国ではスッポンの事を「団魚(だんぎょ)」と言い、日本でもスッポンの異称として団魚と云う言葉が使われています。
「団」とは、広辞苑によれば、①丸い事、丸い形 ②ひとかたまりになって集まること などと説明されているように、丸いという意味があります。
この事から「スッポン」は丸い。つまり、月もスッポンもどちらも丸いという点で、少しは似ていますが、見ての通り、実はその違いが非常に大きい事の例えからこの諺が生まれたようです。

そこで冒頭の小渕元総理と野田総理には「月とスッポン」以上の違いがある事を指摘した小渕議員の質問をご紹介しておきます。

(参考)
「小渕議員代表質問の要旨」
『総理が民主党の代表に就任された時、多くのマスメディアが私の父、小渕恵三と野田総理がよく似ていると報じました。(中略)
確かに、総理に就任した際の環境、状況はよく似ているかもしれません。国会は「衆参ねじれ国会」。喫緊の課題として当時は金融危機が立ちはだかっていました。
野田総理も「ねじれ状態」の中で総理に就任され、東日本大震災の復旧・復興、さらに円高対策などやるべき課題は山積しています。状況という点では極めて似ているかもしれません。
また「冷めたピザ」と言われた父と「どじょう」を自認される野田総理、私は総理のお人柄をよく存じておりませんが、もしかしたら人柄も似ているのかもしれません。

しかし、野田内閣が発足して早くも二ヶ月が経とうとしています。この二ヶ月で何か具体的な成果を挙げたものがあるでしょうか。
小渕内閣は発足して二ヶ月後には金融再生法を成立させるなど一気呵成に最優先課題で結果を出しています。
かたや課題山積の中、不完全内閣という理由で国会を開かなかった野田内閣。スピード感という点でも格段の違いがあります

政治家にとって、とりわけリーダーにとって何が重要かと言えば、国家国民のためにすべてを投げ打つ、熱い思いと覚悟、そして決断力ではないでしょうか。
平成10年7月31日、内閣総理大臣就任後、最初の談話において父は、「内外共に数多くの困難な課題に直面する中、わが身は明日なき立場と覚悟して、この難局を切り開いていく決意であります」と語りました。
比べるまでもないことです。野田総理と小渕総理は幾つかの点を挙げただけでも「似て非なる」ものどころか、天地ほどの差があるということをはっきり申し上げておきたいと思います』

確かに「平成おじさん」でしか目立たなかった小渕恵三氏ですが、総理就任後の小渕氏と消費税引き上げに固執する野田総理とでは政権運営や国家観に「月とスッポン(雲泥)」ほどの差があるかもしれません。


「バレンタインデー」日本での由来と変遷

2012-02-14 | 伝統行事

今日は「バレンタインデー」です。
「バレンタインデー」の起源は古代ローマの殉教者バレンタインを祭る祭日ですが、今日は日本における「バレンタインデー」の起源と変遷について調べました。

「起源」
日本におけるバレンタインデーの起源には諸説あるようです。
その一つは、
1.1936年(昭和11年)に、日本初の新聞広告を掲載した神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)が起源とする説です。
  洋菓子店モロゾフは同年2月12日付けで、東京で発行されていた英字新聞 『ザ・ジャパン・アドバタイザー』へ 「あなたのバレンタイン(愛する方)にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告
  でチョコレートを贈ることを提唱しました。
そして、もう一つの説は、  
2.1958年(昭和33年)、伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートカンパニーと云う会社がバレンタインキャンペーンセールを行い、日本で初めて百貨店販売をしたことが起源であるとする説です。
  このキャンペーンは3日間開催され、その間に売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけだったそうです。

「変遷」
その変遷は以下のように広まり、現在では全国的な行事とななって個人消費を盛り上げています。
3.1960年代にはお菓子メーカーや百貨店がバレンタインデーを積極的に売り出すようになり、バレンタインデーの発展期となりました。
  即ち、1960年(昭和35年)には森永製菓が新聞広告などマスコミを通してバレンタイン企画を行い、チョコレートの販売促進を図り、1965年(昭和40年)には伊勢丹が、そして1968年
  (昭和43年)にはソニープラザがバレンタインフェアーを開催しています。

4.1970年代前半には小学校高学年から女子高生の間でバレンタインデーのチョコレートが急速に広まり、この頃になって漸くバレンタインデーが定着してきたようです。
  当時は、お菓子メーカーが主導となって広まっていったので手作りチョコはほとんどなかったようです。

5.1980年代にはホワイトデーと義理チョコが定着してきました。
  1977年(昭和52年)に、福岡県の和菓子屋・石村萬盛堂が“バレンタインデーのお返しにマシュマロを”ということでマシュマロデーというのを始め、それをキッカケに1979年(昭和54年)に
  なると他の菓子店がホワイトデーという名称で普及を図りました。
  そして、1984年(昭和59年)にはホワイトデーが定着し、それとほぼ同時進行に、義理チョコという概念が登場しました。

6.現在では女性同士がチョコレートを贈りあう “友チョコ”がバレンタインデーの主役となっており、更に、男性から女性にチョコを贈る「逆チョコ」なども登場しており、バレンタインチョコレート
  も多様化しているようです。

さて、起源は兎も角、今日は世界各地で、「恋人たちの愛の誓いの日」とされている日です。
恋人同士、恋人に近いお友達同士、そしてご夫婦同士、チョコレートや花などを贈って愛を語りあってみては如何でしょうか?



三十六計逃げるに如(し)かず

2012-02-13 | 雑学

“三十六計逃げるに如(し)かず”と言う故事があります。
これは、「作戦はいろいろあるが、困った時には逃げるのが最良の策であると云う意味で、形勢が不利になった時はあれこれ策を練るよりも逃げて身の安全を保ち、後の再挙を図るのが最上の策である』と云う中国の故事です。
今日はこの故事にある「三十六計」について調べました。

「三十六計の由来」
「三十六計」は、古代中国の兵法で用いられた三十六種の計略のことです。
宋の将軍 檀道済(だんどうさい)は北魏(386年~534年)への北伐の際、歴城まで達するも兵糧不足となり、逃亡者や士気の衰えが出始めていました。
やむなく檀道済(だんどうさい)は撤退を決定しますが、宋軍の損失を最小限にとどめるための策を練ります。
それは、枡に砂を盛って米のように見せ、また余った兵糧を地面にばら撒き、兵糧が豊富にあるかのように偽装したのです。
これを見た北魏軍は、宋軍の兵糧が尽きていないと思い込み、伏兵を懼(おそ)れて追走してこなかったといいます。
そこで檀道済は宋軍を悠然と退却させました。
後世になり、この出来事を南斉(479~502)の将軍である王敬則の「檀公の三十六策、走ぐるは是れ上計なり」の句に基づいて作られたもので、この「三十六計逃げるに如かず」の語源とは直接関係ないそうです。

参考までに、兵法の「三十六計」の一つに、自国が圧倒的劣勢の場合に用いる奇策に「美人計(びじんけい)」と言う策略があります。
これは、土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く、いわば色仕掛けの策略だそうです。
この策は、“人間は快楽に弱いもの。相手の望みのものを与えたら、苦痛な仕事にやる気を失くしていく。”ことを狙っているものだそうです。

驚きましたね。中国では圧倒的に劣勢となると色仕掛けによる策略もあったのですね。
そう言えば昔、中国が仕向けた女スパイに日本の某首相が関わっていたことが週刊誌で話題になりましたね。
中国は油断出来ない国ですね。



トマトに中性脂肪を抑える物質あり

2012-02-12 | 時事

一昨日のテレビで、画期的なニュースを報じていました。
このニュースは、トマトに中性脂肪を抑える物質があることが確認されたと言うもので、将来はメタボリック症候群の予防に効果が期待されるそうです。

報道によれば、京都大の河田照雄教授のグループがマウスを使った実験で、トマトに含まれる物質が血液中の中性脂肪量を抑制することが確認されました。
この物質は、脂肪酸に似た「13―oxo―ODA」で、肝臓で脂肪を燃焼させる役目を担うたんぱく質の働きを高めているらしいとのことです。

河田教授らは肥満のマウスを使って調べたものですが、人間に例えると、血液検査で「脂質異常が正常値に戻った」と診断できる計算になるそうであり、この効果は毎食時、トマトを2個食べるか、コップ1杯(200ミリ・リットル)のトマトジュースを飲むことで得られるようです。
なお、ダイエット効果を確認するには更に実験を重ねる必要があるとも報道されていましたが、高脂血症を気にしている皆さんには朗報ですね。

今年はトマトが熱くなりそうです。
日頃から、出来るだけトマトやトマトジュースを摂取するよう心掛けては如何でしょうか?


熊野古道を歩く(その5)南部梅林

2012-02-11 | 趣味

“熊野古道を歩く”シリーズは今日が最終回となります。

熊野古道から東に3~4㎞離れたところに日本一とも言われている「南部(みなべ)梅林」があります。
私たちの一行は「三鍋(みなべ)王子」に参詣の後、地元に住んでいるOBに案内してもらい、その梅林に立ち寄ることにしました。

・南部梅林の入口です。


「みかへり坂」
みかへり坂は昔から「鼻崎の道」と呼ばれてきた大変狭い道でした。そこで地元の有力者や住民たちが拡張工事をすることにしました。
拡張工事が完成して、それを祝う記念の観梅の式典に、紀州徳川15代当主で貴族院議員の徳川頼倫公が招かれました。
徳川頼倫公はここからの眺めがいたく気に入られ、馥郁(ふくいく:良い香りが漂う様)と香る梅花を時の経つのも忘れて愛でられたそうです。
この時に、徳川頼倫公が「みかへり坂」と揮毫されたことから、この坂を「みかへり坂」と呼ぶようになり、坂の上り口に石碑を建てたそうです。

・南部梅林の入り口の坂が「みかへり坂」です。


みかえり坂から梅林の入り口までは、梅に関する歌が20首程紹介されていました。
その内の2種についてご紹介します。
   
   「春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日(はるひ)暮(くら)さむ」 山上憶良(万葉集 巻5-818)
   
(意訳):春になれば一番先に咲く 我が家の梅の花を 私ひとりが眺めて 長い春の日を 暮らすのか



   「雪の色を 奪いて咲ける 梅の花 今盛りなり 見む人もがも」 大伴旅人(万葉集 巻5-850)

(意訳):雪の色を 奪って咲いている 梅の花は 今満開だ 見る人もあればよいのに



梅の花は漸く咲きかけたところでした。
売店の人に尋ねたところ、今年は開花が1週間から10日ほど遅れているとのことでした。



「南部梅林」
南部梅林」は南部川に沿って広がるなだらかな山の斜面に見渡す限りの梅林が続いており、『一目百万、香り十里』と称されるように、名実ともに日本一を誇る梅林です。
2007年現在、約7万本から8万本の梅が栽培されており、期間中の入場者数は、年平均5万人と言われています。
この南部梅林を始め、みなべ町一帯の梅林は全て果実採取のための産業用であり、本来は観光目的ではないそうです。

この地区の梅栽培は、江戸時代に田辺城主(後の紀伊田辺藩)として入封してきた紀州藩附家老安藤家が梅の栽培を奨励したことからのようであり、その後、日本有数の梅林へと拡大していき、現在に至っているそうです。

・手前の家屋の向こう側に見える丘一帯が南部梅林です。咲いていれば『一目百万、香り十里』が実感できたと思います。 残念!





熊野古道を歩く(その4)三鍋王子

2012-02-10 | 趣味

“熊野古道を歩く”シリーズ4回目は「三鍋(みなべ)王子」をご紹介します。

千里王子からJRの線路沿いに進み、高架をくぐって南部峠(みなべとうげ)のゆるやかな上り坂を登りきると石仏があり、そこから峠を下り、南部川をわたって南部駅の方へ向かう街路の傍らに三鍋王子(みなべおうじ)があります。
途中、「紀州梅干館」に立ち寄り工場見学を試みましたが、生憎、当日は工場は休みでした。ここでは梅干しの販売もしておりメンバーの中には高価な梅干しを購入した者もいました。
なお、「みなべ(三鍋、南部)」の地名の由来は、2kmほど沖合いに鹿島という島がありますが、この島の形が3つの鍋をひっくり返したように見えることから、と伝えられています。

「丹川(河)地蔵」
丹川(河)地蔵は三鍋王子社参道の前にあることから、熊野詣の人々はここで暫しの休憩をとったものと考えられているそうです。


「丹河地蔵の大銀杏」
説明板によれば、地蔵堂境内にある銀杏は昭和49年に和歌山県の文化財に指定されています。
当時の推定樹齢は約300年で、地蔵堂の文献上の初見とほぼ一致しているそうです。幹回胸高約4.3m、根周り7mで樹勢は衰えを見せず、毎年たくさんの実がなるそうです。



「三鍋(みなべ)王子」
三鍋王子は熊野九十九王子の中でも由緒ある王子社のようです。
この王子社は、天仁2年(1109年)藤原宗忠の「中右記」をはじめ、建仁元年(1201年)の後鳥羽上皇の「熊野御幸記」など多くの文献に記されており、鹿島、須賀社と共に南部三社と称せられ立派な社殿(現鹿島神社本殿)が建立されているそうです。



「小栗(おぐり)井戸」
常陸国の小栗判官は悪者に毒酒を飲まされ、医薬効なく、歩行さえできなくなりましたが、熊野の峰の湯が卓効あると聞き、妻・照手姫の献身的な介添えで車に乗せられて熊野に向かいました。
その途次、照手姫がこの井戸から水を汲んで判官に飲ませたと伝えられている井戸ですが、現在は水はなく、埋められて石の枠組みだけとなっています。
なお当地には、小栗判官が通った道が小栗街道と名付けられて今も残っているそうです。