谷町筋を挟んで四天王寺の向かい側、茶臼山に「堀越神社」があります。
「堀越神社」
この神社は第33代・推古天皇の時代、四天王寺建立と同時期に、聖徳太子が叔父の第32代・崇峻(すしゅん)天皇を偲んで茶臼山に建立したと伝えられ、四天王寺七宮のひとつに数えられる神社です。
大阪では、「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」との言い伝えがあり、古くから親しまれている神社です。
・堀越神社の鳥居です。
「本殿」
堀越神社の主祭神は崇峻天皇です。
名前の由来は、古くから明治中期まで境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、「堀越」という名がつけられたと言われています。
境内には、かつて八軒家の渡辺の津にあった熊野古道の第一王子「窪津王子」が祀られています。
「窪津王子」は四天王寺の正門鳥居近くの「熊野神社」に鎮座していたと伝えられていますが、後に堀越神社に合祀され「熊野第一王子之宮」として現在に至っているそうです。
・堀越神社の本社です。
「太上神仙鎮宅霊符尊神 」
太上神仙鎮宅霊符尊神(だじょうしんせんちんたくれいふそんじん)、地元では親しみを込めて“ちんたくさん”と呼んでいますが、この神様はお守りや御札の元祖の神様だそうです。
陰陽道における天地創造の中心に位置する宇宙根源の神とされ鎮宅霊符は陰陽道最高の護符とされています。
「鎮宅さん」と呼ばれる位ですから、家宅の鎮めは”ちんたくさん”の神功の第一で、加えて健康、家内の親和、家業の繁栄にもご利益があるようです。
法善寺から北へ少し歩くと、道頓堀商店街へ出ます。
大阪・ミナミの代表的な繁華街となっている道頓堀の商店街には、松竹座やカニ道楽、くいだおれ人形、グリコの看板に戎橋(通称ひっかけ橋)など、観光スポットがたくさんあって一日中観光客であふれています。
「くいだおれ太郎」君?
平成20年(2008年)7月に閉店したくいだおれのお店の跡にくいだおれ人形が立っていました。
「くいだおれ太郎」君は2008年7月に旅に出ており、当時留守を守っていたのは「くいだおれ次郎」君でしたが、ここに立っている人形は「くいだおれ次郎」君?それとも「くいだおれ太郎」君が旅から帰って来たのかな?
どちらにしても以前の太郎君程の人気は無いようで、記念写真を撮っている観光客は少なかったです。
・これは2008年7月8日に閉店したくいだおれのお店と旅に出た太郎君に代わって留守番をしている「くいだおれ次郎」君です。(2008.6.19撮影)
「道頓堀」
道頓堀の名前の由来となっている安井道頓(1533~1615)は安土桃山時代の土木家で、豊臣秀吉に仕え、大坂城の築城や掘割開削に貢献しました。
1612年(慶長17年)には南端が掘止めになっていた東横堀川と西横堀川を結んで木津川へ注ぐ堀川の開削が開始されたことに伴い新川奉行に任命されています。
しかし、開削の完成を見ることなく大坂の陣で戦死したため、その後を従弟の安井道卜(どうぼく)や安藤藤次らが引き継ぎ、1615年(元和元年)に完成しました。
当初は新堀とか南堀川、新川などと呼ばれていたようですが、大坂城主の松平忠明が道頓の死を追悼し、また、相当な私財が投じられたことや功績を鑑み「道頓堀」と命名したそうです。
・戎橋から見た「川面の遊歩道・とんぼりリバーウオーク」です。
道頓堀には幕府の都市計画によって南側に大坂中の芝居小屋が集められ、47軒の水茶屋が許可されて長らく日本の芝居の本場として栄えました。
現在、芝居小屋は戎橋近くの松竹座だけですが、飲食店は道頓堀通りの北側にさまざまなジャンルの店が軒を連ね、一年中賑わいを見せています。
更に近年開業した食と芸能のテーマパーク “道頓堀極楽商店街”を始め、川面の遊歩道 “とんぼりリバーウオーク”なども開通し、道頓堀の新たな観光スポットとして人気を集めています。
・戎橋のすぐ西側に掲げられている名物のグリコの看板です。
〽 包丁一本 晒に巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん 哀しいだろが
ああ 若い二人の
想い出にじむ法善寺
月も未練な 十三夜
ご存知、昭和35年に大ヒットした藤島桓夫の「月の法善寺横町」の歌詞です。
今日は法善寺をご紹介します。
「法善寺横丁」
法善寺横丁はミナミの繁華街にありながら、静かななにわ情緒を漂わせている横丁ですが、元々この地は浄土宗天龍山法善寺の境内で、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展し、戦後盛り場として復活したそうです。
長さ80m、幅3mの2本の路地が東西に伸びる横丁内には、老舗の割烹やバー、お好み焼き、串カツ店などがならび、東西両端にある門にそれぞれ掲げられた「法善寺横丁」の文字は、西は藤山寛美、東は3代目桂春団治によって書かれたものだと言うことです。
・西側入り口の看板です。
「法善寺」
法善寺は難波にある浄土宗の寺院で、山号は天龍山、ご本尊は阿弥陀如来です。
そのほか水掛不動(西向不動尊)や金毘羅堂などがあり、特に水掛不動は有名です。
当寺院は千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれ、千日前という呼び名はこの寺院の門前に由来しています。
「水掛不動」
戦前にはお供えの意味で、命の元になる大切な水を供えていただけだったそうですが、有る時、女の人がお不動様に縋(すが)る思いで「水掛不動さん、願いを叶えて下さい」と水を掛けたのが始まりで、その時より水を掛けて祈念するようになったようです。
・全身苔に覆われている水掛不動です。
「不動明王」
不動明王は不動尊ともいい、大日如来の教令輪身(きょうれいりんしん)であって、火焔を背にして右手に剣を取り、左手に縄を持って憤怒の姿をしています。
不動明王の前で盛んに祈祷が行われるのは、不動明王には大威力があって難を除き、魔を降伏し、念ずる人の(祈願者の)どんな願いでも、すべての人にわけ隔てなく利益を与えてくれるからと言われています。
「夫婦善哉」
法善寺の横にあるぜんざいのお店です。
この店ではぜんざい一人前を2つの椀に出すことから夫婦善哉と言うようになり、織田作之助がこのお店や法善寺を舞台にして書いた小説・「夫婦善哉」で有名になりました。
このお店は文楽の太夫・竹本琴太夫こと「木文字(きもんじ)重兵衛」という人がはじめた「お福」という名のお店だそうで、一風変わった店と評判だったようです。
何が変わっていたかと言うと、このお店では一人前を注文すると二杯のお椀に分けて善哉が出てきたからです。
「なんで二つや」と聞かれると、店を切り盛りしていた重兵衛の妻「こと」と娘「かめ」はニッコリ笑って、「おおきに。めおとでんね」と答えたといいます。
実際は、二つのお椀に分けた方がたくさん入っているように見えると考えたからなのですが、これが大当たりし、その後の「夫婦善哉」へと繋がっていったそうです。
・織田作之助の小説「夫婦善哉」のモデルとなったお店です。
松尾芭蕉は三重県伊賀市生まれで、世界的に知られた日本史上最高の俳諧師の一人と言われています。
その芭蕉が病に倒れ、51歳と言う若さで亡くなったた終焉の地が大阪の御堂筋です。
松尾芭蕉は晩年の元禄7年(1694年)5月に九州へ向かうつもりで江戸から大津、京都、故郷の伊賀上野、奈良、生駒を経て2度目となる大坂の地を踏みました。
当時大坂には2人の門人が俳壇をにぎわしていたが、相互に円満を欠くところがあり、それを取り持つための来坂でした。
出発時から体の不調を訴えており、住吉神社に祈願するなどしましたがその効果なく、その後、発熱下痢を伴い、花屋仁右衛門方離れ座敷に病臥しました。
そして回復することなく10月12日夕方、門人たちに見守られながら51歳の若さで亡くなりました。
・御堂筋の本線と側道の間のグリーンベルトに「芭蕉翁終焉の地」の石碑が立っています。
芭蕉は亡くなる前の約1ヶ月を大坂で暮らし、各地を観光したり俳句会に出たりしていました。
最後の句となった
『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』は、
病に臥した花屋仁右衛門方離れ座敷で死の4日前に詠まれたものだそうです。
芭蕉が亡くなった御堂筋の旅宿・花屋仁右衛門方の離れ座敷の跡地は、御堂筋の拡幅により現在は御堂筋の中になっており、本線と側道の間のグリーンベルトに石碑が立っています。
先日、現役時代の同期会が催され、大阪へ行くことになったので、市内の数か所の神社や史跡を訪ねました。
今日から数回に分けてご紹介します。
1回目の今日は天王寺区下寺町にある「新選組 大坂旅宿跡」です。
「新選組 大坂旅宿跡」
新選組は幕末期、近藤勇に統括された京都を本拠とする武士集団で、京都守護職であった会津侯・松平容保(まつだいらかたもり)に所属し、政敵である長州毛利家の志士たちと戦い、元治(げんじ)元年(1864年)の池田屋事件、禁門の変などで大きな軍功をたてました。
その新選組は元々、畿内に滞在する将軍徳川家茂の護衛と大坂を含む長い海岸線(摂海:せっかい)の防衛に携わるため江戸より西上し、当初より将軍の大坂城滞在の時等は度々大阪に出張しています。
慶応元年(1865年)5月、将軍家茂の3度目の西上に合わせて新選組は大坂市中取締りを命じられており、その際に使用した宿所の一つがこの萬福寺だそうです。
・石碑が立っている萬福寺山門前です。
萬福寺の現存の建物の内、庫裏(くり)や山門などは幕末期のもので、往時をしのぶことができます。
・萬福寺本堂です。
・148年前の江戸末期を想わせる萬福寺の山門と塀はまるで映画のセットのようです。
福岡で桜の開花発表がありましたが、春の到来とともに各種の花々が咲き始めました。
先日から我が家の花を取り上げていますが、今日は鉢植のクリスマスローズが咲いているのでご紹介します。
・赤とピンクの花を咲かせたクリスマスローズです。
クリスマスローズ」は、学名をヘレボルス(Helleborus)と言い、キンポウゲ科、クリスマスローズ属の多年草です。
原産地はヨーロッパから西アジアで日本には明治初期に渡来しました。
花色はピンク、緑色、赤、紫、黄色、白色と豊富にあり、草丈は30㎝~40cm、花茎の先に広い鐘形の花をうつむき気味に咲かせます。
クリスマスローズの名前は、12月のクリスマスの頃に咲くバラに似た花と言うことから付けられたといわれており、本来は原種の「ヘレボルス・ニゲル」だけを指して呼びますが、2~3月に咲く「レンテンローズ」と呼ばれているオリエンタリス(和名ハルサキ)という品種も含めて、一般的に「クリスマスローズ」の名前で呼ばれているようです。
・現在、赤色と白色の2品種を鉢植えしており、これは別の鉢に植えている白色のクリスマスローズです。
今日は、庭に咲いている「ローマンヒヤシンス」の花をご紹介します。
「ヒヤシンス」の原産地はトルコ、地中海沿岸で、日本には1863年にフランスからチューリップと共に渡来したそうです。
そして、「ローマンヒヤシンス」は「ヒヤシンス」と同じくユリ科ヒヤシンス属の球根性多年草で、フランスで改良された「ヒヤシンス」の園芸品種です。
・ローマンヒヤシンスは草丈が低いこと、花が小さくまばらにつくことなどが特徴です。
ヒヤシンスにはダッチ系とローマン系があり、単にヒヤシンスと言えばダッチ系を指します。
(特徴)
・ダッチ系…・・一本の茎にたくさんの花が付いてボリュームがあり豪華ですが、球根は自然に分球しにくく増えにくい品種です。
・ローマン系…一本の茎に付く花の数は少ないですが、ひとつの球根から数本の花茎がでます。球根は自然分球しやすくよく増えます。
・花茎2㎝、漏斗型の筒部の長さは1.5㎝、葉の長さは15㎝ほどの小さな花です。
(参考)これが一般的にヒヤシンスと呼ばれているダッチ系の品種です。
ツナ缶
昨日は刺身についてご紹介しました。
刺身に欠かせないのがマグロですが、このマグロは刺身以外に缶詰でも売られています。
先日、NHKの番組「あさイチ」で “ナメちゃいけない! ツナ缶パワー”と題して「ツナ缶」の活用特集を取り上げていました。
番組の中で、「ツナ缶」の活用について街の人の声を紹介していましたが、街行く人たちの殆どが、
・「ツナマヨ以外の組み合わせがない」とか、
・「オイルたっぷりの汁に困る」など、いろいろと悩みを訴えており、意外とツナ缶をうまく活用できていないとのことでした。
そこで今日はツナ缶の上手な活用法をご紹介します。
と言っても、料理が全くできない小生にはそれは無理な事なので、NHK番組の「あさイチ」へのリンクを張りました。
この番組では、例えば、沖縄の「ツナ缶をダシ代わりに使用している」や「ツナときゅうりの白あえ」、「ツナ缶汁を使ったドレッシング」などのスゴ技を紹介していますので、料理に関心のある方は是非アクセスして見てください。
参考になると思います。
NHK番組、
「あさいち」http://www.nhk.or.jp/asaichi/2013/03/05/01.html
刺身
今日は刺身について調べました。
「刺身の始まり」
刺身の原形は鎌倉時代に始まったといわれています。もともとは魚を薄く切って生のまま食べる漁師の即席料理でした。
その頃はまだ醤油がなかったため、膾(なます)にして食べたり、ワサビ酢やショウガ酢で食べていたようです。
室町時代に入り、醤油の誕生と普及にともない、現在のようにわさび醤油をつけて食べるようになりましたが、醤油はまだまだ高級品であったため、刺身は身分の高い人々しか食べる事のできない高級な料理でした。
一般庶民に刺身料理が広まったのは、醤油が庶民にも普及した江戸時代の末期からで、江戸では刺身を専門に扱う「刺身屋」という屋台も出るほど流行したそうです。
現在では代表的な日本料理として世界中に知られているところです。
「刺身の語源」
刺身という言葉は、もともと赤身白身問わず様々な種類の魚の切り身を皿に盛り付ける際に、魚の種類を区別しやすくするため、その魚のヒレを切り身に刺して出した事に由来していますが、次第に本来のヒレを刺す風習がなくなり「刺身」という名前だけが今に残ったと言われています。
「刺身とお作り」
新鮮な魚の切り身を生で食べる刺身は、関東地方では「お刺身」、関西地方では「お作り」と言われています。
「刺身」の事を「切り身」と言わないのは、武家時代に「切る」という言葉が人を「切る」に繋がるという事で忌み嫌われていた事に由来しています。
また関西では、「刺身」という名前も「身を刺す」に通じ縁起が悪いと言うことから「お作り」と呼ばれるようになったようです。
「つまの語源」
刺身の盛り付けに欠かせない「つま」の語源は、主となる料理の傍に置かれることから、夫婦の関係に見立てて「妻」と言われるようになったそうです。
この「つま」は、刺身に添える大根や大葉、海藻などの事ですが、これは盛り付けを美しく見せるためと、毒消し(口の中を洗う)という意味があります。
刺身を口に運ぶ前に大根のつまを醤油を付けずに食べると、口中に残っている他の料理の味を消し、刺身の味を一層引き立たすという役割があるようです。
菖蒲(アヤメ)と言えば5~6月頃に咲く花ですが、冬から早春にかけて咲く品種に「カンザキアヤメ(寒咲きアヤメ)」があります。
今日は我が家に咲いている「カンザキアヤメ(寒咲きアヤメ)」をご紹介します。
「カンザキアヤメ(寒咲菖蒲・文目)」はアヤメ科アヤメ属で地中海の東部海岸から西アジアが原産地です。
アヤメと同じように乾燥した土地でも生育をする事から、近年は鑑賞用として庭に植える人が増えているそうです。
・真上から撮影したカンザキアヤメの花です。
草丈は20㎝~30㎝で、初夏に咲くアヤメの半分以下と短く、「三寸アヤメ」とか「チャボアヤメ」とも言われるようです。
「カンザキアヤメ」は基部にアヤメ状の筋目模様が入り中心部は黄色で内花被片3枚は卵形で直立しています。
花は葉よりも丈が低く小形であまり目立ちませんが、花色は淡い紫色をしており、清楚で大変美しいです。
(参考)
これは平成22年5月13日のブログに掲載した初夏に咲くアヤメです。
上の「寒咲きアヤメ」と比べると花弁の網目模様はよく似ていますが、花びらの紫色が濃く、草丈も40~50cmと長くなっています。。