写真は先日取材した仙台の住宅の居間の様子。
施主さんが、無機的な空間へ、強いこだわりを持っていたという。
年代的には団塊の世代よりも少し若いくらい、
50歳前後という年代なのですが、こういう
コンクリートと金属、ガラスという素材に対して、
ある意味では感受性が芽生えてきたビジュアル世代ということなのか?
やっぱり団塊以上の年代では、こういう志向性は少ないと思います。
なぜなんでしょうか?
まぁ、空間としては、こういう背景のなかに点景のように
緑が、観葉植物であったり、借景としての隣家のみごとな庭木であったり、
強い存在感で、あしらわれているので、
正しく言えば、自分たちも含めて、有機的なものを
際だたせてくれるようなインテリア空間、ということなのかもしれません。
それをもっとも、感じさせるような背景として無機的な素材を
生かして使っていると言うこと。
でも、そうであっても、やはりこういう無機的な素材に対する
親和感というのは、この年代くらいから、ハッキリと出てくるのでしょうか。
わたしなんかも、そうした年代に属していて、
自分のこととして考えてみると、やっぱり、近未来的な都市感という
そういうような感覚がベースにあるのだと思います。
無機的な素材の冷たさが、なにか心地よいシャープさに見える、みたいな。
もっといえば、全部木を使ったような空間の持つ、
重さに対してみれば、軽快感に満ちているような感覚を持ちます。
それでいて、こういう無機的な空間は
光とか、陰影感、自然の移ろいとかもシャープに感じられる部分があります。
そういうことからすれば、素肌にそういう変化が直に伝わってくる感覚もありますね。
この家でも、一般的な家よりも、つよく日射感を感覚させられたものです。
ただし、こういう空間のなかで、暮らし続けるとなったら、
さて、どういう心理になるのか、すこし不安感を抱くかも知れません。
ちょうど現代の時間感覚そのもののようでもあるかも知れませんね。
などと、いろいろな想念を呼び起こさせてくれる家でした。
そういう意味からすれば、インテリアとしては、ある種、完成されたようなものとも言えます。
ミスマッチであったり、不釣り合いであると、
なんとはなく、居心地の悪さばかりがこころに残る場合もありますからね。
いろいろな素材を使って家って、形作られていくわけですが、
それらのハーモニーって、実に大切です。
インテリアは、それを毎日使う人の、こころのバックグラウンドなんですよね。
それを論議しないで、住宅は考えられません。
みなさん、どんな感想をお持ちでしょうか?