三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

北上川の水運

2009年02月27日 07時22分27秒 | Weblog



写真は江戸期の仙台藩領土の絵地図。
いろいろな藩の絵地図って言うのが残されているのは、
幕府がその大名の統制のために
詳細な絵図面を各藩に提出を義務づけていたからなのでしょうね。
この仙台藩の図面など、美しくて、またわかりやすい。

図面を見ていて、やはり改めて感じるのは
「陸奥の国」にとっての北上川の重要性。
岩手県北部地域を源流として
石巻付近で太平洋に注ぐ北上川は、太平洋側東北地域のまさに中心。
王朝国家がこの河口にもほど近い多賀城に、遠のみかどを置いたのも自然。
古くからの港町、塩竃は天然の良港といえる位置。
で、この河口から北上川を遡上すると
いくつかの支流と合流する地域に枢要な地域が配置されている。
そのもっとも重要な位置を占めているのが、平泉。
平泉藤原氏の遺跡発掘で発見される遺物の中に、
東海地域の「瀬戸」ものや、北九州地域の陶器、
さらに遠く中国からの輸入陶器などが出てくるのだそうです。
平泉には、中国から来た当時の最高重要輸入品とも言える重要教典も所蔵されている。
この北上川を介した世界的な広がりの交易が活発だったのでしょう。
マルコポーロの「東方見聞録」の時代背景として、
日本東北方地域から産出する豊富な金の記述があったことからも
当時の日本政府とはまた違う直接的な交易が行われていたと思われる。
というか、平家の力の源泉が間違いなく対中交易の結果だったことなどから、
当時の貿易は、正統的政府とは関係なく、実力を持った勢力の私貿易だったのでしょうね。
そうした実力を背景にして国内権力争奪を繰り返してきていた。

そんな背景の中にこの北上川河口地域はあるのですね。
陸上の道よりもはるかに遠距離で、しかも大量の物流をともなった交流の道。
どうもわたしたち現代人は、クルマや鉄道といった物流に
イメージが出来ている部分があるけれど、
歴史的には、そうした陸上交通よりも、
やはり基本的な発展経緯で考えると、やはり水運が大動脈。
水運との関連で、物流のポイントになる地域が
都市として発達してきたのですね。
こういう時代の東北地域というのは、
日本の中でもきわめてユニークな地域として存在していたと思います。

いろいろな想念が起きてくる
絵地図のご紹介でした。



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