歴史民俗博物館の展示より。
縄文時代の土偶のお面の陳列です。
いろいろな表情のお面が作られて発掘され保存されています。
紐が通せるようになっているので、
お面として使用したであろうことは明白。
だからこそ、このように変わった表情をしているのでしょう。
弥生ののっぺりとした、つるんとした埴輪などの表情とは全然違う。
一番上のお面は、以前に一度触れたことがあります。
恵庭付近で発見されたモノのようですが、
表情がなんともいえず哀切で、
まるで、幼くして失った息子のことを想いながら作ったのではないかと
見るものに強く伝えてくるような表情をしていました。
そのほかにも、全国各地でこのように、まさに豊かな表情のお面が作られている。
やはり縄文の社会に、こういうお面を必要とするような習慣があったと推定できる。
地域ごとに表情が違うと言うことは、
作り方が手作りであり、しかも画一的な用途、
たとえばこのお面を使って、お面に人格を憑依させて踊るというような
そういう場面が想定できるけれど、
そういう憑依人格には一定性はなかったと思われます。
なにがしか、「神懸かり」の状態を演じる個体が存在し、
その人物を通して、神の意志を受け取ろうと考えた、
というのが一般的な理解かなぁ、と。
たぶん、かがり火のまわりをこうしたお面の人物が踊りまわり、
周囲を多くの共同体構成員が囲んでいたのではないか。
日常ならざる光景の中で、
いったいどのような呪術的な願いが託されたものか。
残された、このお面の表情の中から、そういう部分を想起するしかないでしょう。
それにしても、縄文期って、
まことに表情豊かで、「個人」を強く意識させるような表現力に満ちている。
たとえば今日に至るまで続く、「なまはげ」のような
そういう始原的なパワーを強く感じますね。
こういうものが、繰り返し、この日本社会の基底から
吹き上がってくるようなことが、たびたびあっただろうと
そんな想いが起こってきます。
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