三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

馬産の歴史記録

2010年03月10日 06時34分37秒 | Weblog



大阪で国内最古の馬の歯の化石が発見された。
魏志倭人伝では、日本には馬は存在しないとされていたそうです。
日本の馬の歴史は5世紀頃、朝鮮半島から馬と乗馬の風習が伝わったとされる。
そういうなかで、
「日本書紀」に「河内馬飼(かわちのうまかい)」と記された集団が、国内で初めて馬を本格的に飼った牧場とされ、府教委は「朝鮮半島から子馬を船に乗せて連れてきたか、生まれた子馬を飼育し、軍馬として増産したとみられ、国内最初期の馬生産の実態がわかる」としている。

というような報道がありました。
馬の生産活動というのは、古代における最先端産業だったと思われるのですが
記録に乏しい歴史部分ではないかと思います。
馬というのは輸入からはじまった様子がかすかに確かめられた。
で、輸入したということはどのようにしたのかという疑問が湧く。
たぶん、筏を組んで朝鮮海峡を渡ってきただろうと思うのですが
そういう航海がその当時になってはじめて可能になったということなのか。
そういった「航海史」という部分でも興味が湧くけれど、
一方で、そういう運搬方法の確立までに至った需要の方にも興味は湧く。
まぁ、普通に考えて戦時における軍馬として、
あるいは平時には農耕用のトラクター機能として、ということでしょう。
この記事に記された「河内馬飼」という集団は、
どういう勢力とビジネス関係を成立させたのか、興味は尽きません。
また、歴史年代的にはヤマト朝廷の成立時期とも重なっている。
たぶん、後の世の鉄砲と同じように、
日本の戦争方式を一変させたには違いないのですが、
このあたりの歴史記述が極めて乏しいのですね。
こういう時代から、ちょっと下った時代には
陸奥の国、青森県地方で馬産経済地域として、「戸」~へ~という
律令体制の変形的な地域呼称までが成立するようになっている。

日本の歴史の中で、馬産が占めている位置って
けっして小さくはないと思うのですが、
そういう馬産の歴史研究をやっても評価されないということなのか、
あんまり見たことがないのですね。
後世の人が現代社会を見るときに、道路とか駐車場とか、
そういうものだけを見て、自動車の歴史を重ね合わせないで論じるみたいな
欠落感が、どうも大きい感じがいたします。
400年代にこうやって馬産が日本国内で成立し、
その後、馬を駆って戦争を行うのに、そう時日はかかっていない。
というか、「河内馬飼」たちは武器商人として
いろいろな勢力に対して、「これを使うと戦争に勝てまっせぇ」と
セールスに努めたものなのでしょう。
いろいろなロマンが沸き起こってくるテーマなんですが、
もっと知りたいなぁと思っておる昨今であります。
<写真は南部氏岩手の岩手山>





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