三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

築90年和風住宅の食事処

2010年11月15日 06時19分58秒 | Weblog






きのうブログで書いたら、
さっそく建築家・丸谷博男さんからメールをいただきました。
午後3時からふたたび会合があり、
それも札幌の建築家・金田博道さんのご自宅の見学会へのお誘い。
面白そうということで、参加して参りました。
住宅はまことに素晴らしい住宅で、
目の保養を楽しませていただいた次第であります。

で、その後、会食予定であるということで、
早々に帰る予定だったのですが、
日曜日でもあり、参加させていただくことに致しました。
っていうのは、会場が築90年の木造住宅の店舗だというのです。
どうも建築の好きなひとたちというのは
そのへんのツボが共通しているので、
ついつい刺激されてしまうわけなのです。
札幌市東区北7東4ということなのですが、
店の名前を聞き忘れた(笑)。
まぁ、そういうのはそのうちわかるだろうということで、無頓着なんです。
なんともやさしそうなおばあちゃんがいまして、
おいしいごちそうをたっぷり食べさせていただきました。
写真が、北海道の風雪に百年近く耐えてきた住宅を店舗にしている内部の様子。
寒いんだけれど、
気密性にとぼしく、構造材の乾燥度合いは極限的な感じです。
手を掛けて住み続けてきたたたずまいが偲ばれて、
まことに微笑ましい住宅であります。

思うのですが、
「長期優良住宅」という国の施策で
愛着に関する研究とか、長期に亘って維持される人間的側面って、
ほとんど顧慮されることがない。
ひたすら、住宅の性能要件がどうであるとか、
国産木材を利用するというような
いわば「モノ」としての耐久性ばかりを問題としている。
でも、日本の場合、住宅が長きに亘って維持されてきた実際の動機は
「家の存続」という先祖観の部分だったと思うのです。
まずは仏壇があって、神棚もあるという
神聖空間が装置されていることが、
無言のプレッシャーになって、いま生きている人間に
「次の世代に受け継がせていかなければ」という使命感を与えていた。
常識的に考えれば、生活レベルの発想では
そういった部分であったと思うのです。
ところが、現代の「縦割り」官僚の世界では、
みごとに「モノ」だけにこのことを矮小化して、それも深遠に論議する。
こころを論議せず、モノだけ論議する、っていうような
パラドックスが存在していると思います。
現実に北海道で90年建ち続けてきた住宅は
ごらんのような家内部の空間性があって、はじめて可能になってきた。
そんな気がしてなりません。
いちばん初めに論議しなければならないのは、
どうもこういう日本的家意識から、なにを学び取るか、
ということなのではないでしょうか?
そういう論議がないと、結局、日本人の心に染みこんでいかないと思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする