三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

ゆるんだ表情の日本人

2011年04月04日 07時42分31秒 | Weblog




会社スタッフ通勤のために賃貸住宅が必要と考えて
仙台市内の物件を調査しておりました。
いろいろな思惑が働いて、いまは賃貸住宅の賃料価格が高騰しているようです。
政府支出の増加への思惑からなのか、
いろいろな動きが見られているようです。
それ自体への考え方はいろいろにあることでしょうが、
そうやって日常は動き始めるものであり、
ともなって経済は回り始めていくのでしょうから、
一概にどうこう言える問題ではないと思います。

きのう書いたブログ「戦時的危機管理能力」について
ある読者の方からコメントをいただきました。
この方は、海外居住の方でよく拙ブログにコメントをいただく方です。

「ざっと日本の政治家の顔を思い出してみて、
危機管理の出来るような、戦時采配の出来るような人の顔が思い浮かびません。
ジャングルでひとり取り残されても、
この人なら生きて帰ってくるだろうと確信できるような人、
持って生まれたリーダー質のある人、
そんな「面構え」が頭に浮かびません、残念ながら。<中略>
日本に帰るたびに、電車の人ごみなどで日本人の顔を見つめてしまうのですが、
世界でも稀に見るほどの
「ゆるんだ」表情だと思うのは私だけでしょうか・・・」

というものでした。
読んでいて、まことに正鵠を穿っている、と呆然としました。
海外生活が長い人たちの目線で見て、
現代の日本および日本人というのは、このようであったのかと
思い知らされます。
震災発生直後の、菅直人さんの挙措動作を見ていて
まさに身体言語として、悲痛な叫び声を発していたと思っています。
そしてそれは、わたし自身も含めたあの時点までの多くの日本人のものであった。
あの時点までの日常で、あれだけの巨大な衝撃を受け止めなければならない、
その厳しさが、菅直人さんの不安げな動作に直接表現されていた。

しかし、きのう書いてから考え直す部分もありました。
こういう部分は仕方ないのかも知れない。
状況は、すべての人間を変えていくものかも知れないということです。
正直になんの準備もなく、こういう状況に突き落とされて
それに必死に対処する中から、
新しい状況を切り開く考え方や、行動様式が生まれてくるのではないか。
そういうプロセスでは苦しみや矛盾も発生するけれど、
平成的平和日本から、危機管理に対応できる後期平成日本へ、
生まれ変わっていけるものが、いま出てきているのかも知れません。
そういう風に信じて生きていくしかないのではないでしょうか。
ただ、アメリカ在住の友人から、
インターネットに流れている、原発危機に苦しんでいる
福島県南相馬市の市長さんの悲痛な状況報告のビデオを紹介され、見ました。
自主避難勧告という平成的平和日本の法秩序による市民生活安全性概念が、
現場でいかにして破綻しているか、
きわめて鋭く、突きつけられていると感じました。

福島県南相馬市の市長さん発言
コメント
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