三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

駒形どぜう

2011年04月30日 07時30分39秒 | Weblog





「ここらへんなら、駒形どぜう!」
っていうことで、浅草での食事はどじょうに決定いたしました(笑)。
どじょうなんですが、
ここでは、どぜう、というように書く。
口語と文語表現に違いがあった時代の名残なんでしょうか?
まぁ、そういうのはどっちでもいいんだけれど、
「確かこの辺だったよなぁ・・・」
っていうときに、なじみのあるこの「どぜう」看板をみつけると
面白みがこみ上げてきて楽しい。
お店の由来は・・・

「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。
初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、
18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。
当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、
また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、
店は大勢のお客様で繁盛したと言います。
初代が始めたどぜう鍋・どぜう汁に加え、二代目助七がくじら鍋を売り出すなど、
商売はその後も順調に続きました。
嘉永元年(1848年)に出された当時のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』には、
当店の名が記されております。
やがて時代は明治・大正・昭和と移り変わり、関東大震災、第二次世界大戦では
店の全焼という被害を受けます。
しかし多くのお客様のご支援と先代の努力もあって、
江戸の味と建物は現在の六代目へと引き継がれております。
<お店のHPから>

っていうことであります。
ドジョウは、十分に泥を吐かせて、
臭みを大量のネギで抑えて食べるのが常道。だったんでしょうか。
店の能書きでは、
「一昔前までは田んぼや川で手軽に取れたどぜう。でも農薬で河川が汚染されはじめた昭和30年代から天然物の入荷数が不安定になり、予約客を取れない事態も起こるようになりました。そこでお客様にいつも変わらぬ味と安心をご提供できるよう始めたのが養殖です。どぜうは汚い水の中で生きると思われがちですが、きれいな水といい餌がなければ、良いどぜうは育ちません。当店のどぜうの生産地は大分など、自然と水が豊かな土地。酸素と微生物をたっぷり含んだ清らかな水の中で、安全で美味しいどぜうを大切に育てています。」
っていうこと。
お店は、大広間のような板の間に置かれた板がテーブル。
それをはさんで座布団が敷かれていて
鍋などをつついて食べる。
お酒の似合う料理で、クルマの運転役のわたし以外は
ふたりで、1升近く飲んでいましたね。
大変おいしくいただけた次第であります。
コメント
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