わたしの趣味生活の中で大きいのが古寺社探訪。
全国を旅していて、やはりその土地で、どんな神様が祀られてきたか、
そういう部分というのが、どうもその地域地域の基本旋律だと思う次第。
まぁ神様なので、特段生々しく伝わってくるモノではありませんが、
その地域の倫理観や、感受性のありかを示してくれる。
みんな同じように見えて、実は見ていると奥深い部分も感じてくる。
そういう発見があることが、無上にうれしくもなる。
で、福島というのはこれまであんまり宿泊機会がなかったので、
ホテルの人に、喜々として聞いてみた。
「この辺で神社と言えば、どこなの?」
っていう問いに、しばらくは全くの無言。
「え~~、福島に神社ってあるのかなぁ」
こっちこそ、え~~、であります(笑)。
で、早朝散歩前にインターネットで検索して、ここがと特定したのが
福島護国神社であります。
「護国神社」というのは、全国各地にあります。
きわめてエスニックな文化である神社というものの
ある一面をよく表している存在だと思います。
まぁ、創建はそんなに古くはないでしょう。由緒書きによると
遡ること約130年。当社の前身である招魂社は、
明治天皇の思し召しにより明治12(1879)年10月4日に造営されました。
戊辰の役に従軍した殉国者で相馬・田村・会津の招魂場に祀られていた御霊と、
西南の役に殉じた管内人の御霊が最初に合祀されたのがはじまりです。
それ以来、国難に殉じた御霊を合祀されてまいりました。
創建当時は官祭信夫山招魂社と命名され、
のちに指定官祭福島招魂社と改称されました。
昭和14年には内務大臣指定の官祭福島県護國神社となり、現在の名となったのです。
現在の社殿はこの時代の昭和12年に建てられたものです。
っていうことですから、新しい神様。
福島という町自体、明治戊申戦争のときに、会津を攻撃する政府軍の
駐屯基地になってからの街ですから、新しいのは当然なのですね。
そういう経緯があるので、福島県という県の名前も、この土地から名付けられた。
完全に薩長政府軍側の落下傘的な、占領軍総司令府ですね。
写真のように、まだ神域の樹木も熟成しておらず、
どこか人工空間的な印象がぬぐえませんでした。
なにより、神域の奥側に金網というのはいかにも不粋なのでは・・・。
こういった創建伝承を聞くと、むしろ会津の悲運というような
判官びいきにこころが向かっていくのは、仕方ないことかなぁ・・・。
さて本日は、早朝から仙台へ移動。
住まいと環境東北フォーラムの年末例会と、今年初の「忘年会」出席。
いよいよ、押し迫ってきてあとことしも一カ月ですね。
今月もいろいろとあちこちと出張が続きそうですが
体調管理に気をつけて、最後の月を乗り切りたいと思います。