三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

「敗戦国」体制はいつまで? -1

2014年12月25日 07時46分52秒 | Weblog


来年は「戦後70年」という区切りの年だそうです。
日本人としては、こういった「区切り」という感覚は社会全体にはない。
けれど、中韓両国ではこういう意識が強いようです。
最近は、アメリカの「進歩派」メディアが相次いで
「日本の右傾化」への警鐘とでもいうような記事を書いている。
日本にとって、もっとも主要に敗れた国・アメリカとの関係が
現代に連なってくる「戦後」の出発点だったことが、
もっとも核心的なポイントであることは言うまでもない。
たぶん、日本人の大多数は、アメリカに負けたとしか思っていない。
間違っても中国に「負けた」と思っている人はいない。
いわんや、日本の一部であった韓国に負けたと思う人はいない。
その「アメリカの対日戦略」がすべてにおいて優先するのでしょう。
これはやむをえない。
しかし、そのアメリカの戦略自体も、転々と変化せざるを得ない。
その時そのときの「アメリカの都合」が最優先されるのだから、
日本としての整合性ある国家戦略は見通せないのは無理がない。
こういう桎梏の中に、「戦後日本」は置かれてきた。

第2次大戦後、戦勝国アメリカは、徹底的に日本をコントロールした。
2度とふたたびアメリカに楯突くような国にしない、
という国家戦略を持って、それを日本に対して発動させてきた。
アメリカは当初、基本的にこのようなスタンスで臨んできたけれど
東西冷戦構造の中で、日本の地政学的な位置は
アメリカにとってもかけがえのないポジションにあることが明白になり、
経済発展というアメを与えたりもしてきた。
共産主義の脅威に対しての「不沈空母」として
実質的な属国としての価値は、
もっとも対共産主義危機の高まった朝鮮戦争後も
一貫して高く推移してきたのでしょう。
そういう体制が一番脅威にさらされたのが、60年、70年の
安保改定時期だったのだろうと思います。
アメリカとして一番怖れたのは、なによりも「反米化」だったのだろうと。
ケネディ次弟が、早稲田の学生相手に民主化は支持するとメッセージし
一方で敵役を岸首相一個に集約して、
親米政権と基本政策を守ったのは、「反米化させない」という
日本の左翼に対する注意深い戦略が成功した証だったのでしょう。
日本の左翼、リベラルという存在は
アメリカに対する態度において、まことに中途半端な存在だった。
それは、反米化しない範囲での単なる「反権威・反自民党」だった。
冷戦終結後、日本の政治で起こったのが、
ほぼ無価値になった社会党の解体だったことが象徴的です。
アメリカの立場から見れば、常に取引をするネゴシエーターは
国内的にはやや腐敗臭を感じる存在である自民党で、
一方の反対陣営には、まったく現実感のないきれいごとしか言わない、
国際政治的には無価値な存在だけを容認してきたと言える。
憲法9条によって国が守られるなどと言う
ユートピア思想を信奉する集団まである状況は、まことにのどか。
やっぱり、基本的にはアメリカが都合の良いように作ってきた政治状況が
今日の日本の政治状況であり、東アジアの情勢である、
というのが基本認識にならざるを得ない。けれど、
そういう国際的桎梏の中では、戦後日本という国家は
まことに絶妙に国家運営をしてきたと言えるのかも知れない。

長くなりました。昨日に続いて、住宅ネタとはまったく違って恐縮ですが、
また明日以降に書きたいと思います。


コメント
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