三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

敗戦国体制はいつまで続くのか-2

2014年12月28日 06時16分46秒 | Weblog


3日前の続きであります。
戦後70年が経過する来年、いつまで日本人は「敗戦国」という立場に
主観的にも、客観的にも堪えていけるのかどうか
そういう大きな疑問がわき上がってきていると強く思うのです。

投票率が低くて、とか、他野党が選択に値しなかったというような、
タメにするとしか思われない選挙結果への論難があるけれど、
安倍晋三政権が2度にわたって絶対多数を議会で占めたのには
やはりそれなりの、いまの日本人の多数の「民意」が
そこにあると素直に見なければ
およそ、民主主義社会とは言えないのではないかと思います。
棄権が多い、というのは、いまの野党に投票するよりも
問題や違和感はあったとしても、安倍政権の継続の方がまだまともであると
そういうように日本人は判断しているということを証している。
その原因として、わたしとしては、
やはり朝日新聞の問題が気にかかる次第。
結局、朝日新聞をはじめとする「戦後民主派」の姿勢は、
戦後日本を規定しているアメリカ従属国という現実の固定化、
戦勝国からの敗戦国に対する「敗戦国史観」の強固な押しつけを
もっともお先棒として担ぎ回り、そのためには
多少のウソも(!)かまわない、というスタンスだったことに
多くの国民が気付きはじめてきたということだと思います。
そういう勢力が力を持ち続けていた戦後日本のありように、
大きな疑問符がつき始めている。
「戦後政治の総決算」というのは、まさに保守側からの揺り戻し、
敗戦国史観から抜け出したいという希望の表れであると。
このことのきっかけは、中韓両国との最近の関係に帰する。
多くの国民は、敗戦国としての態度を取り続けるのは
アメリカに対してなら仕方ないと思うけれど、なぜ中韓両国に対して
永遠に敗戦国としてのスタンスを取らされなければならないのか、
そのことに日本国民は素朴に疑問を持ち、
繰り返し、そのような強迫的なスタンスを取ってくる両国国家に対して
強い嫌悪感を持つに至ってきたということだと思う。
70年以上も前のことを執拗に言い続ける隣国への嫌悪感は
ある臨界点を超えてきていると思う次第です。
千年間恨みを持ち続けると言い放ってくる隣国に
ほとほと愛想が尽きてきている。じゃぁ、話し合う意味はほとんどない、と。
そして朝日新聞は、そういう両国に対して「敗戦国史観」の押し売りを
目的的に継続してきているのだということが明らかになってきた。
そうでありながら、まともに謝罪しようともしなかった。
で、本質論として、やはり70年も経っても
敗戦国家から免責されることは永遠にないのだろうか、
国家間の条約締結によってすら、そういう戦争関係を清算できないのだろうか、
そのことの論議が必要ではないのか。

こういう状況に対する明確な変化が出てこない限り
言い換えれば、敗戦国史観の刷り込みこそが
民主的でリベラルなのだと押しつける愚に野党側が気付き、
そこから転換して、違うスタンスに立って現政権側に対峙しない限り
何度選挙をやっても、多少のスキャンダルで政権側を攻撃したとしても
たぶん、日本国民は現野党側には政権を委ねようがないのではないか。
こういうことへの野党側の気付きを期待したいのだけれど、
いまのところ、そういう動きはまったく見えてこない。
国民から政権選択の機会を奪っている現状はたいへん残念です。
こういう国家戦略としての本質論議を期待したいと思います。


コメント
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