三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

古民家の木組み

2007年11月24日 06時39分15秒 | Weblog


写真は仙台市郊外の、というか、山形寄りの山中にある古民家内部。
次号、東北版リプランで掲載する安井設計工房さんの事例です。
こういう古民家再生の仕事というのは、
いわゆる「建築作品」としては見方が難しいのだろうと思います。
古民家再生というのは、愛着と伝統的なものへの人間性の発露の部分が大きい。
誰が見ても、こういう古民家の佇まいは圧倒的に美しいけれど、
それを「住み続けることが可能なように」再生させるのは、
そう簡単なことではない。
とくに、温熱環境を現代の考え得るもっとも良い状態まで高めて
建物を外科手術した後、さらに長い年月の時間の中に戻してやるのは
現代の建築技術自体が試されるようなテーマ。
そこには、現代の建築が求めるようなテーマ性、
「近代的自我の表現」というようなものは感受しにくい。
ただし、そういう手足を縛り込んだような状態から、
建築技術者として、もっとも良い建築としての機能性の実現と
それを可能な限り、美しく仕上げたい、という格闘がかいま見えてくる。
伝統を理解し、先人たちに深く思いをいたしながら、
しかし、最先端の技術をそこに織り込もうとする
意志の力強さというような部分が見えてくるものだと思います。

こういう工事でも絶対に手を触れられないのが、木組み部分。
木を、その特性を活かしながら交差させて、あるいは貫通させたり
あるいは組み合わせの断面を考えて構造が持つように工夫する。
丁寧に外していくと、考えられないような断面の組み合わせが表れたりするそうですが、
主体構造に関わる部分は、関与できないようです。
また、縄で緊結させている部位などは、
いったんほどくと、2度と元には戻せないと思われるので、
慎重に状態を観察して、ほぼ既存の状態を保持するのだそうです。
基本的には、大きな茅葺き屋根の耐荷重をやわらげることが、
構造への最大の延命処置と考えられると言うこと。

というようなことなのですが、
しげしげと、そのような木組みの様子を見ていると、
そういう部分に込められた建築技術者としての先人たちの仕事ぶりが
まざまざと甦ってきて、感慨が深いものがあります。
木は二酸化炭素を成長の時間の中で体内に貯え続け、
建築材料になっても、この建物のように200年以上、保持し続けてくれます。
さらに、この再生工事は、その時間を延ばして、
たぶん、100年以上の長い時間を超えて存在し続けていく。
21世紀の今日、建築が求められていることについて、
ある意味ではもっとも直接的な回答を示しているのではないか、と思われます。

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