三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

中小零細同族企業いじめ

2006年10月11日 00時56分52秒 | Weblog

ここのところ、いろいろとやりきれない思いがしています。
会社法というのが変わってきて、どうも霞ヶ関の官僚さんたちは
中小零細企業というのは、存続に値しない存在で、
徴税の立場からは、市場からなくしてしまっても構わないと
考えているのではないかと思えるのです。
とくに一般的に多い、同族企業に対する偏見としか思えない税制の変更には
本当に憤りを感じます。
役員給与と会社利益を合計して800万円から3000万円の場合、
同族企業に限って、厳しい税法を適用するというのです。
たぶん、この網で、ほとんどの同族中小企業が入ってしまいます。
あまりマスコミも取り上げませんが、実質的な大増税です。

役人さんたちは、自分たちの頭だけで世間の仕事のことを考え、理解しているのでしょう。
会社とか仕事とかは、ただひたすら金だけのことを考えてやっている行為であって、
社会的な役割とか、技術の育成・存続を
個人が、知り得た技術をいろいろな従業員教育などを通して
存続させてきているのが、中小企業の役割の大きな部分だ、などとは考えもしないのでしょう。
もちろん中小零細企業の経営者にも、個人としての欲得は当然、あることでしょう。
しかし、現在進められている、中小企業への攻撃を考えると
中小企業の存続や、従業員の雇用の確保、技術の延命、発展、
さらには、社会存在としての役割を果たすための事業継承の円滑な仕組み作りなど、
まじめに経営として考えることが、だんだんバカらしく思えてきます。

ようするに、そういうように考えるよりも、
資本主義的に、会社を「売りやすくして」、本当に「高値で」売り払って、
しまったほうが、苦しい思いをして存続させるよりも
国の経済政策の方向性としては、理にかなっているというワケなんですね。
結果として、技術は存続せず、志よりも目先の欲得が優先し、
さらには、永年その道一筋に努力する、ということをバカにする社会を作り、
安定した雇用についての、中小零細企業経営者の努力をあざ笑うかのようです。
どんな仕事にも、こういう個人の思いがあって、はじめて社会的に存続している、
というようなことについて、霞ヶ関の役人さんたちには
なんの痛痒もないのでしょう。
ちょっと前の、バカバカしい法律・電気製品のリサイクルに関してのもの、
あれはマスコミがこぞって話題にしたことで、お蔵入りしましたけれど、
今回の中小零細企業いじめは、歴史に残るくらいの
官僚機構の独善性の表れだと思います。

ほんとうに同族企業はなくなった方がいいのでしょうか?
なぜ、資本構成のことだけをもって、会社に差別をつけるのでしょうか?
一般的にいえば、他人には迷惑をかけられないから、同族で資本を作って
世間に迷惑をかけないように、個人が考えた事業領域の社会的発展を
世に問う、というのが資本主義・企業家精神の本質だと思うのです。
一方で、大企業への優遇は、あらゆる局面でまかり通っているのが現実です。
たぶん、官僚のみなさんは、中小零細同族企業は、
その存在自体が、脱税の温床なのだ、それが日本の99%の企業の実体なのだ、
という風に思っているのでしょう。
この税法では、日本の企業活力を削ぐことは間違いありません。
まじめな個人創業など、バカの骨頂ということになってしまいます。

はたして、それで、いいのでしょうか?
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