三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

倉本聰・富良野グループ公演「帰国」

2011年06月13日 07時16分29秒 | Weblog







きのうは富良野で、富良野グループの舞台公演
「帰国」を観劇して参りました。
私はこの舞台ははじめて見た次第ですが、
何度も全国キャラバンなども行われているという人気公演。

お話しのあらすじは、第2次世界大戦で
まったく展望のない戦争で、未来を奪われて「英霊」として
南海で海の藻屑になった旧日本軍兵士が
終電が去ったあとの東京駅に列車で帰国したという設定の、
ほんの寸時の日本社会との邂逅を描いたものです。
意図のわかりやすいテーマであり、
事実、ストーリーもそのように展開していくので、
ある意味では予定調和的な、そのようなものとして観ていたのですが、
不覚にも、もと恋人との邂逅を果たした兵士のふたりの会話のあたりで、
涙が流れはじめまして、
大団円に向かって、止まりませんでした。
この戦争によって、戦闘員170万人超、非戦闘員40万人が犠牲になった。
東京は大空襲によって焼け野原になった。
そして、多くの「英霊」たちは、南海に身を漂わせてしまった。
そうした風景が、今回の大震災の経験と重なって、
日本という国が、いくたびもこうした運命にさらされることかと、
そんな思いが募ってしまったのかも知れないし、
単純に、操を守りつづけた恋人女性との邂逅のシーンに
どれほどの「失われた日常性」が存在したのかと、
思いを致したのかも知れません。
かつての戦争では、そうした局面に外交を持って行ってしまった
そういう戦争指導、国家指導体制の問題がいちばん論議されるべきだけれど、
しかし、今回の震災とその後の「指導体制」の問題を見るに付け、
この国の指導体制は、根源に於いて変わっていないのではないかと
深く悲しみが襲ってきたのかも知れません。
そういう「日本」に対して絶望する気持ちが強いのだろうか。

いい芝居を観ると、こころがリフレッシュする気分になる。
そういう意味では、こんないい舞台を、こだわり続けて
富良野から発信し続けている倉本さんと、そのグループに感謝します。
楽しかったです、ありがとうございます。
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