三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【乱世・影丸の絶句「遠くから来て遠くまで行くのだ」】

2019年12月15日 06時29分31秒 | Weblog
先日ブログを書いていて、
なにげにいただいたコメントで強く響いてきた言葉があった。
ここ3ヶ月以上明治初年の北海道住宅の始原期に取材した
「日本の住宅2.0」の原初を探る、みたいな「歴史の根掘り」作業に
集中してきている。住宅と自分との証しのようなことかもと。
それなのに時折「マグロ勝手丼」みたいなブログも書く。
そういう様子を「三木さんはどこに行こうとしているのか(笑)」
みたいなコメントをいただいてしまった。
これがひどく自分自身のなかで「不意を突かれた」部分があったのです。
そのコメントをいただいたのが、高校時代のわたしをよく知っている方。
一気に、自分の出発点のようなことにタイムスリップ。

で、この言葉「どこにいくのか」フレーズの原点マンガ読書体験。
自分にとってこれが決定的なフレーズだったことに気付いてしまった。
それが上のマンガシーンであります。
白土三平「忍者武芸帳・影丸伝」最終シーンに近い影丸の死直前の絶句。
影丸は、戦国時代の民衆蜂起、本願寺顕如などの政治勢力を存立せしめた
大きな民衆の時代への怒りのマグマを組織化して
マンガらしい超人的な働きで信長、絶対支配権力と正面から戦う
まさに1960年代の「ヒーロー」そのものを仮託したキャラ。
顕如の謀略でとらえられた影丸の処刑は信長の到着を待つことなく
影丸のさまざまな忍術の準備が整わないうちに、立会人・森蘭丸のもと
拘束即日に5頭の牛に鎖を繋いでの「五体の分解」という
残虐そのもののカタチで行われた。
その処刑直前、「無声伝心の法」で森蘭丸に伝えられたのが、
「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ」
という辞世絶句だったのです。
当時は69-70年安保闘争に向かって若者たちの心理が高揚していた。
左翼運動の主張が自分自身で本当に考えたものであるかどうかは
そう深くは考えることはなかったけれど、
しかし、生き方として「美的」であるかどうかから判断すれば
このような絶句を残して刑場の露と消えた生き様に、
マンガフィクションとはいえ、強いインパクトを受けていた。
たぶん「理よりも美」の日本人的「心性」に深く根ざしているのでしょう。
「遠くまで行くんだ」というフレーズは、当時を生きてきた人間には
臓腑のなかにしまいこまれたような感情を呼び覚ます。
この作品発表当時にはこの作品に対して「唯物史観がどうのこうの」という
作品評までが大真面目に語られていた(笑)。
その評自体は左翼的に利用する意図があきらかで嫌悪させられますが、
しかし作品へのリスペクトはいまも変わらない。

書棚の奥深くに眠っていたマンガ本から
そのシーンを50年以上経って再読したくなって引っ張り出した(笑)。
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