三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

献体

2006年02月17日 05時46分44秒 | Weblog

身近な人が最近亡くなりました。
急な病気で、脳幹中央部の血管から出血したので
部位が悪かったということで、外科的な処置の施しようがなく、
倒れてから、一度も意識が回復することもなく
そのまま、眠るようにこの世を去っていった。

本人は、70を超えた頃に前立腺ガンを患ったけれど
手術が成功して、その後何年も延命できたことに感謝の念を持っており
その恩返しがしたい、という強い希望を持っていた。
手術は札幌医大で行い、そこで「献体」希望者を求めていることを知った。
献体、というのは医学研究のために
死亡直後、できれば24時間以内の新鮮な人体を
今後の医療研究のための研究実験素材として、凍結保存するもの。
適時、解凍して手術の練習などに使用されるのです。
かれは、これに自分の体を提供したわけです。

ただし、まさかこれほど突然に自分の死期がくるとは想像していなかったので
この献体について、十分な準備とかはしていませんでした。
遺された家族のものたちも、その希望と登録の事実は知っていたけれど
実際に、どのような手続きがあって、また葬儀はどうなるのか
というような事柄はまったく不明でした。

「葬式は、できないらしい・・・」
ということが判明したのは、いま、まさに死期が迫っていたとき。
緊急のことに対応するのが精一杯の時期なので
詳しく調べることも出来ないまま、
24時間以内の「早期献体」として、遺体を札幌医大に搬送しました。
それから、はじめて僧侶と連絡が付いて
葬儀のことを相談したワケなのです。
遺体など、本人のものがなにもない場合、葬儀は出来ない
と、告げられたのです。
やむを得ず、葬儀は献体が遺骨となって遺族の元に返ってくるまで
先に延ばされることになりました。
しかも、その時期は4月はじめまでわからない、ということ。
役所がらみらしく、その年度内に使うか翌年度に使うことになるか、どうかで
締めが違って、その上、8月に合同慰霊祭を行うので、そのあとにならないと
遺族に遺骨を引き渡せない、ということなのだそうです。
結果としては、ことしの9月になるか、来年の9月になるか
はっきりするのが、年度を超えた4月上旬。

あとで知ったことによれば、遺体の一部、たとえば髪の毛などでもあれば
何とか葬儀は出来ると言うことのようでしたが、いずれにせよ、相談した時点では
遺体は搬送し終わったあと。
ずいぶん迷ったり、どうしようか、と気も揉んだのが事実ですが
しかし、すこし落ち着いてきて、
よく考えてみると、ひとの死、ということについて
また、そのあとの約束事などについて、冷静に考える機縁になったな、と思えています。

形式的な約束事をこなしているだけでは
たぶんあまり考えることがなかったようなことについて
いろいろと自分たちで思案を巡らせたり出来たというワケなんです。
遺族としてできることとして、手紙を多くの知人に送ったのも、そうしたひとつ。
往った故人の思いや、遺された家族の心情を
形式にとらわれることなく、率直にあらわして送ったのです。
形の決まった葬儀などでは、それをこなすことだけで精一杯になりますが、
手紙ではけっこう、自由に思いの丈を表現できたといえます。

こういう体験を家族にさせることで
自分の死を、個性的な死として深く印象させた、というのが
故人のほんとうの真意だったのかもしれない、と思えています。
ちょっと変わった死、だけれども、個人の尊厳は十分に感じる死のかたち。
静かな日々が戻ってきて、そんな思いを感じる次第です。 合掌。
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