三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

いのちを守る家

2011年04月10日 09時01分47秒 | Weblog





ここのところ、ようやく東北のひとたちとの連絡が平常的になってきました。
そこで浮かび上がってきたのは、地震に際して
安全と安心をひとびとに与えた住宅の存在。
写真のグラフは、大震災後、無暖房で2週間以上過ごしたという
仙台市の住宅の室内気温と、外気温のデータです。

この建物はリフォームで断熱を強化して、
Q値で1,47という、次世代基準で北海道レベル1.6も超えた家。
地震の発生直後に停電して、
ライフラインも止まってしまったのですが、
断熱リフォームしたときに、当然耐震性の向上も計っていて
そういう意味では、家具や食器類の散乱といった被害以外はなかった。
暖房も石油によるセントラルヒーティング。
とはいっても、電気がなければ運転は出来ない。
その後、2日目には電気が復旧したけれど、
その途端にテレビの映像で飛び込んできた大津波被害の実態を見て
「自分たち家族だけが暖房して暖かく過ごしている気にならなくなった」
ということで、無暖房での生活を選択したと言うこと。
こういう心理というのは、そうなるものなのだなと実感。
最初の1週間では、最低気温が零下に下がった厳寒になった
18日19日頃に、室温が朝の一番冷え込んだ時間で12度にまで下がったけれど、
その後、日が昇って日射が取得できるようになると
室温は18度くらいまでは上昇していたと言うこと。
この温度は、日本の省エネ基準の室温標準ということですから、
日射を勘案して考えれば、この家は事実上、無暖房住宅といえる。
ことしの3月は例年以上に寒さが厳しく、
とくに東北太平洋側ではほぼ真冬の気候が続いていました。
そういうなかで、やや厚手の着物を着込んでいれば
まったく暖房なしで過ごすことが出来たのですね。

今回の大震災では、
大津波の被害が大変大きかったのですが、
この点では、「どこに家を建てるのか」という問題が
一番の大問題になってくると思います。
そのうえで、たとえば津波の予想される方向に対して
建物を守るような頑丈な構築物を考えるとかの対策もあると思われます。
しかし、その上で、
どのような家を建てねばならないか、と考えれば
ライフラインも途絶するという、今や全員が体験したこの環境の中では
しっかりした駆体としての「断熱性」こそが、いのちを守ると言えると思います。
外気温と同じレベルになってしまえば、
関東以南とは言っても、冬にこうした大震災が襲えば、
ひとが安心感を持っていることは出来ない。
まさに、安全と安心はこういう条件で実現するのだと思います。
大きな教訓になっていくのではないかと思います。
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高校入学式

2011年04月09日 09時51分30秒 | Weblog






きのうは仕事の疲れが一気に出たような感じで
午後6時には限界点という感じでして
家に帰って爆睡。その後、気付いたらちょうど真夜中0時。
まぁ、5時間くらいは寝ていたので、
そこから起きて、本日の講演の資料の最終整理。
そうなんです、これから1時半から札幌市資料館にて
「北海道の住まいを考える会」主催のセミナーで講演するのです。
テーマはリフォームということでいただいたのですが、
やはり、大震災以後はじめての住宅の講演会ですので、
そのテーマも盛り込んだ内容にして、再整理してお話ししたいと考えています。

っていうことで、そっちが先約だったので
本日の坊主の高校入学式は出られません。
詰め襟姿の坊主の姿を見ていながら、
「とうとう坊主も、暴風のような青春期に突入するなぁ・・・」
という思いを禁じ得ませんでした。
写真は、高校の頃の自分の姿であります。
あまりにも恥ずかしいので、写真処理しておきましたが、
いまでも、こういう写真を見ると、まじまじと記憶がよみがえってくる。
高校時代って、ほんとうに時間が重たくて、
カラダは軽やかに動き回っているけれど、
実にいろいろな想念が頭のなかで渦巻いていて
そういう自分の存在を持ちきれないくらいの時間の中にいる。
疾風怒濤、というような言葉が思い起こされる青春真っ盛りですね。
まぁ、出られない分、さきほど車で母親も一緒に送ってきました。
緊張感につつまれた多くの子どもさんたちが道を歩んでいて
本当に、どの子も愛おしい。
こういうなかで、坊主の貴重な時間が始まるのだと
こころのなかで、頑張れ、とエールしていました。
時代は本当に難しく、生きにくい時代だと思う。
でも、だからこそ、若い人たちこそが貴重だと思う。
大震災の映像の中に、こどもたちの姿が見えると、そこだけが
なにか違う。
若さだけが映し出せる、未来の時間がそこに見えて
希望を見いだしたい、という思いを強くさせてくれる。

さて、そろそろまとめ上げて、出掛けたいと思います。
ではでは。
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新住協Q1.0性能、次世代へ

2011年04月08日 07時57分11秒 | Weblog






今朝、起きたら、ふたたび東北での大きな余震と言うこと。
びっくりいたしました。
石巻在住の仙台のスタッフから、高台に避難して
家族揃って無事です、という安心情報。
けさは現地、暖かいようで、その点はよかったということ。
しかし、今朝のニュースでは今回の余震、といっても
M7.4というのですから、十分以上に大型地震ですね。
広範に停電のようで、再び心配です。
本当に、不安な状況が続きますね。

安全安心、という住宅に求められるものが
強く、クローズアップされてきていると感じます。
きのうは鎌田紀彦先生を迎えて、札幌で新住協会員向けのセミナー開催。
暖房エネルギーの、次世代省エネ基準からの半減を目指してきた
これまでの運動の浸透や、環境性能の目標レベルの向上に対応して
あらたな目標ターゲットを定めていこうという試みです。
その場合、一番大きなポイントは、
一般ユーザー目線で考えたら、やはり安全で安心、ということではないのか。
この安全安心、ということの本質の中に
暮らしや健康、いのち、というものもあり、
そして、必要なエネルギーについての考え方というものもある。
このような考え方が息づいている住宅性能が求められている。
今後、5月の京都での全国大会を結節点にして、
こういった方向性がみえてくるものと思われます。

断熱性能の向上を基本にして、
暑さ寒さから身体を守り、いかにエネルギーフリーな循環型を作れるか。
そういう志向性を打ち出せたらと祈念いたします。
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震災特別号企画 etc

2011年04月07日 09時05分18秒 | Weblog







いま、大車輪で準備を進めているのが
「東北の住まい再生」という企画。
大震災を受けて、さまざまに困難にさいなまれている東北の住まいの現状に対して
そのメンテナンスとか、リフォームの考え方、
故障したときの住宅設備機器の注意ポイント、
これから家を建てるときの留意ポイントなどを
わかりやすくまとめて、無料配布誌として、
広く東北6県で配布していこうという企画です。
基本的な経費は、全国の住宅関連企業様に協賛していただいてまかない、
もし、残余分が出れば、チャリティとして募金するというものです。
東北6県の県庁にお伺いして、
バックアップをお願いして回った次第ですが、
なんと、昨日、福島県庁様から「後援」の申請書類が届き、
様式を整えて申請する段階とのご案内を承りました。
まさに身の引き締まる思いがしてきます。
福島県はとくに、地震・大津波と引き続いた災害から
さらに、原発危機の現地として、
2重にも3重にも厳しい状況にさらされている中、
このようなご支援をいただき、言葉もないほどの気持ちでおります。
なんとか、この企画が日の目を見られるように
祈るような思いで、日々の作業に当たっております。

さて、本日は新住協の今後の基軸になってくる
ポストQ1.0住宅についての勉強会が開始されます。
発表から5年、ひとつの節目を迎えて
さらに今後の、住宅に求められるものを考えていく道筋が
どのような形のものになっていくのか、
きわめて興味深い動きが始まるといえるでしょう。
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宮城町と宮城野

2011年04月06日 07時07分28秒 | Weblog







きのう、ある振り込みについて
トラブルの存在が確認できました。
先日、ある振り込みを行ったのですが、
それが届いていないという。ありゃりゃ、であります。
銀行カードでの振り込みで、たまたま、記録紙も保存していなかった。
で、銀行にお願いして調べてもらったところ、
なんと、送付先の金融機関の支店名が、一字違いだったことが判明しまして、
あわてていたのか、わたしが振り込みを間違えたのですね。
間違えたのは「宮城町」支店で、
正しい方は、「宮城野」支店だった。
で、やむなく、昨日再度、送金したのですが、
今度しっかり確認したら、
「ミ」で始まる支店名の一覧表示で、3行表示され、
その3行目左端に
「宮城町」支店があって、
「宮城野」支店は、2行目の右端にあった。
その表示距離もけっこう離れていたので、比較対照できなかったのですね。

どうも、人間の視力認識では、左から見るクセがあるらしく、
わたしは、左側から支店名を探して、
「宮城町」という支店名を
「宮城」という認識時点で、すっかり、
「あぁ、ここだ」
っていう認識識別を行って、それを受け入れて行った。
で、その後、振込先確認で、
氏名表示が出るハズなんだけど、記憶では、そこが飛んでいる。
再度入金してみたところ、そこには個人名がカタカナ表示されているので
ここで再度、確認は出来るハズなんですね。
時間がなくて、しかも「宮城」で信じ込んでいたので
そこらへんをスルーして行ってしまったようです。
しかも、確認すべき記録紙も失ってしまっている。
2重3重に情けない事態であります。むむむ。

で、振り込んでしまったお金は、口座番号だけは正確な、別の支店の
まったく存じ上げない個人の方の口座に入金になっている。
これから、銀行さんにお願いして、
先方の方に事情を説明していただいて、返金に応じていただくように
お願いする必要があるそうです。
落とし物、という扱いにはならないそうで、やむを得ない。
先方の方が、それを拒まれたら、まぁどうしようもないのだそうです。
当たり前ですね。

わたしも、長く人間をやってきて、
こういう間違いを起こしたのは、今回が初めて。
認識力の衰え、感覚の鈍磨を深く深く、痛感させられた次第。
お恥ずかしい限りの大失敗でありますね。
貴重な教訓として、ながくこころに留めさせていただくという
そういう授業料として、潔く諦めたいと思っています。
やはり、高齢化というのは、間違いなく一歩一歩、近づいている。
そういうことを神様がわたしにきつく申し渡した、ということだと思います。
深く反省して日々の暮らしを大切に、慎重に、過ごしたい。
まぁ万が一戻ってきたら、ありがたく感謝の心で対処したいと思います。
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ボタンの取れた学生服

2011年04月05日 06時48分05秒 | Weblog






坊主は、いまはわが世の春。
高校には入学が決まったけれど、まだ授業は始まらない。
のばし放題の羽根安めというところですね。
まぁ、厳しい状況の続く日本、こういった日々を送っている人間もいる。

で、学生服を高校用のものに新調させられるので
(どうなんでしょうね、まだ使えそうなんだけど、もったいないなぁ)
古い中学生時代のものがお役ご免になった。
で、よく見てみたら、ボタンがなくなっている。
前の5つはもちろん、袖口の小さいヤツもなくなっている。
さては・・・。
どうせこういう質問は、オヤジが聞いても「あぁ・・・」くらいしか、反応はない。
そこで、カミさんに聞いてみた。
むふふ、そうらしいんですね。
奇特な女の子が、持っていってくれたらしいんです。
確認すると、2名の子らしくて、
「え、じゃぁ、残りの3コはどうしたんだ?」
「それがね、残りは男の友だちにとられたんだって」
「え、え、え~、残っても困るからってかぁ?」
「わっかんない(笑)」
っていうようなことだそうであります。
まぁ、別にそういう趣味がある風ではなく、
お茶目ないたずらなんでしょうか。

こういう風習、わたしたちのころには存在しなかったか、
わたしがスルーされていたのか。
まったく記憶がないのですが、いまは盛んに行われているのですね。
まぁ第2ボタンが、一番の本命なんだそうですが、
坊主の場合は、2つ取られたので、どっちに第2が取られたのか、
どうでもいいのはもちろんだけれど、多少、気にはなる(笑)。
で、3番目以下は、友人たちと言うことだそうです。
こういう年代には、やっぱりこういうことが最大の関心事。
それでいいと思いますね。
そういう普通の日常が展開されていることは、最大の幸福ですね。

でもまぁ、授業も始まる前の入学前、
父子でけっこう、話を致します。
大人として話す、というふうに言い渡しているので、
それなりにディープな話もしておりまして、オヤジとしては
世代の違いを知ることがたいへん面白くて有意義な部分が多い。
父ちゃんも昔の学生時代のことを思い出して、
少し若返る気分にもなりますね(笑)。
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ゆるんだ表情の日本人

2011年04月04日 07時42分31秒 | Weblog




会社スタッフ通勤のために賃貸住宅が必要と考えて
仙台市内の物件を調査しておりました。
いろいろな思惑が働いて、いまは賃貸住宅の賃料価格が高騰しているようです。
政府支出の増加への思惑からなのか、
いろいろな動きが見られているようです。
それ自体への考え方はいろいろにあることでしょうが、
そうやって日常は動き始めるものであり、
ともなって経済は回り始めていくのでしょうから、
一概にどうこう言える問題ではないと思います。

きのう書いたブログ「戦時的危機管理能力」について
ある読者の方からコメントをいただきました。
この方は、海外居住の方でよく拙ブログにコメントをいただく方です。

「ざっと日本の政治家の顔を思い出してみて、
危機管理の出来るような、戦時采配の出来るような人の顔が思い浮かびません。
ジャングルでひとり取り残されても、
この人なら生きて帰ってくるだろうと確信できるような人、
持って生まれたリーダー質のある人、
そんな「面構え」が頭に浮かびません、残念ながら。<中略>
日本に帰るたびに、電車の人ごみなどで日本人の顔を見つめてしまうのですが、
世界でも稀に見るほどの
「ゆるんだ」表情だと思うのは私だけでしょうか・・・」

というものでした。
読んでいて、まことに正鵠を穿っている、と呆然としました。
海外生活が長い人たちの目線で見て、
現代の日本および日本人というのは、このようであったのかと
思い知らされます。
震災発生直後の、菅直人さんの挙措動作を見ていて
まさに身体言語として、悲痛な叫び声を発していたと思っています。
そしてそれは、わたし自身も含めたあの時点までの多くの日本人のものであった。
あの時点までの日常で、あれだけの巨大な衝撃を受け止めなければならない、
その厳しさが、菅直人さんの不安げな動作に直接表現されていた。

しかし、きのう書いてから考え直す部分もありました。
こういう部分は仕方ないのかも知れない。
状況は、すべての人間を変えていくものかも知れないということです。
正直になんの準備もなく、こういう状況に突き落とされて
それに必死に対処する中から、
新しい状況を切り開く考え方や、行動様式が生まれてくるのではないか。
そういうプロセスでは苦しみや矛盾も発生するけれど、
平成的平和日本から、危機管理に対応できる後期平成日本へ、
生まれ変わっていけるものが、いま出てきているのかも知れません。
そういう風に信じて生きていくしかないのではないでしょうか。
ただ、アメリカ在住の友人から、
インターネットに流れている、原発危機に苦しんでいる
福島県南相馬市の市長さんの悲痛な状況報告のビデオを紹介され、見ました。
自主避難勧告という平成的平和日本の法秩序による市民生活安全性概念が、
現場でいかにして破綻しているか、
きわめて鋭く、突きつけられていると感じました。

福島県南相馬市の市長さん発言
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戦時的危機管理能力

2011年04月03日 07時22分15秒 | Weblog






菅直人さんという人は、今のこの情勢の中で、
日本の危機管理の責任者ということになるのだけれど、
わたしたちは、そういった自覚を持ってこの方を選んだのだろうか?
まぁ、一義的には、民主党の党首選挙によって
かれは鳩山さんの後を追って現職に就いた。
鳩山さんは、明確に「政権交代」という目標を掲げて民意を問い、
正統性を持って権力を奪取した。
その後のトップの交代については、民意を経ているとは言えない。
代議的に、民主党党首選挙が行われ、
その正統性に於いて、かれはいま、政権の座に就いている。
交代の経緯から言えば、政治とお金の問題で
直接的には鳩山政権は行き詰まったのであり、
菅直人さんというのは、
そういった側面から押し上げられてなったということだろう。
その後の小沢一郎との代表選挙でも、基本的には
そういった側面から支持されたようだ。
かれは、市民運動家出身であり、
折に触れて、故・市川房枝さんの墓に詣でるパフォーマンスを見せる。
菅直人という政治家の資質とはそういうものだと思う。

そういった平成的な政治的価値観世界から、
かれは総理大臣になったのだけれど、
いま、未曾有の大震災のただ中にわたしたち社会はいる。
戦争による大量破壊にも似た状況を呈している東北太平洋岸地域があり、
進行的危機として、福島原発の問題がカタストロフ的にある。
繰り返し語られる言葉に、戦後の焼け野原と同様の、
というフレーズ通りの光景が、今進行している事態なのだと思う。
戦争と違いがあるのは、一方にほとんど被災しなかった、
平成的平和を維持し続けている日本社会が同時に存在しているということ。
戦争的な危機管理対応が求められている一方で、
それへの対応が、平時的なマニュアル管理に基づいて進行している。
どうも、現在進行している「危機」の本質はここにあるように思われる。
民主的な国家の政治は、そのトップの選び方は
まぁこれはこれで、やむを得ないとは思うけれど、
これから、日本は復興させていかなければならないときになる。
いまの菅直人政権というのは、基本的には
平時における社会調整型の権力であり、そういう意味では、
本来、いま日本が必要としている資質に於いて選択されていない。
誰がやっても、基本的には同じような対応になる部分では
今の権力構造でいいとは思うけれど、
戦時並みの危機管理が要求されている、という価値判断に於いて、
早急に権力の選択を行って欲しいと思う。
その結果がもう一度、菅直人になってもいい。
そのような価値尺度に於いての選択という明示が必要だ。

戦時的危機管理能力なんて、日本の政治家で歴史的に言って、
どういう人物か、といっても、ちょっと想像力が浮かんでこない。
日露戦争時の桂太郎内閣というようなことになるのだろうか。
日英同盟の締結を基礎にして、圧倒的軍事力を誇ったロシアを破った意味では
成功したとも言えるけれど、
その後の、賠償交渉で国民の不評を買って退陣した。
それ以前と言うことになれば、
それこそ、徳川家康くらいまでさかのぼることになるけれど、
あれは、国内政治の延長としての国内戦争であって
国民国家時代になっての戦争指導など、
日本の政治は、まともに経験したことがない。
しかし、これからは、「危機管理」ということが
大いに問題になってこざるを得ないのは、明らかだと思う。
戦後の安定した社会は、たまたま日本列島が地震に於いて静穏期だったからだ、
という説が大きくなってきている。
これから、連鎖的に各地で地震的災害は頻発すると覚悟すべきだと思われる。

<写真は縄文的平和社会・三内丸山のジオラマ>
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東北の現状、今後

2011年04月02日 20時49分54秒 | Weblog






当社の仙台のキャップが、東北6県を縦断しています。
青森から秋田、岩手、山形、福島、宮城の各県庁を訪問してきました。
今回の震災は、まさに太平洋沖という名称の通り、
東北関東の太平洋側に被害が集中しており、
青森県・秋田県・山形県は、交通の途絶やガソリンの枯渇などは
大きく影響が出ていますが、この段階ではかなり落ち着いた印象とか。
それに対して、岩手に入って、県庁を訪れた途端に、
まさに戦場並みの緊張感につつまれていたといいます。
顧客先を訪ねて太平洋側にはいると、
まさにその爪痕の生々しさに言葉も出なくなるという報告。
日本海側と太平洋側とで、まったく雰囲気が違った世界になっている。

4月11日から内閣では
「復興会議」を開催予定だそうで、
それには、岩手・宮城・福島の各県知事が出席予定だそうです。
漁村の生業の喪失、平野部での農地の塩害。
気の遠くなるようなプロセスがこれから、一歩ずつ始まっていくのでしょうか。

きょうは、久しぶりに気分が重くて
なにをするにも、かなり気力が落ちてしまった。
ついにブログの継続記録も断念しようかと思ったのですが、
やはり、気を入れ替えて、書いてみました。
ここんところ、仕事でも書き続けなので、
やや、自分の中から吐き出しすぎで、バランスが崩れているのかも知れませんね。
ということで、ようやく書いた次第です。遅れて申しわけありません。
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「人間」ということば

2011年04月01日 07時23分37秒 | Weblog






きのうはカミさんが出張に出まして、
夕食を坊主のために作って、親子の対話であります。
で、ふと坊主から、
「父さん、脳はどうして心をつくったの?」
「こころというのは、人間だけにあるのかな?」
というたいへん根源的哲学に関わる真っ正面からの質問であります。
内心、おおぉ、というところでありますが、
そんなことから会話をはじめました。

こころの問題については、
以前、海を群れ泳ぐ魚群において、1匹のサカナが死んで
その遺体が海の底に落ちていくのを、
多くの魚群が、まるで悼むかのように、
その魚体を取り囲んで、群れ泳いでいる様が映像で流れていたことがあり、
そんな話をしておりました。
わたしも高校の頃、そんなことを考えていたことを思い出しました。
「心的現象論序説」という吉本隆明さんの本を読んでいた経験があります。
まぁ、高邁な哲学なので、さっぱり理解は出来なかった記憶がありますが、
そういうことに興味を持つのは、わかります。
で、話の結論が出るわけもなく、
「人のことを、人間っていうのは、どういう意味だと思う」
っていうような話になって、わたしは記憶が途切れてしまった(笑)。
情けなくも、ソファで睡魔に襲われてしまったのですね。

中国語でも、朝鮮語でも、
「人間」という表現を使うのだそうです。
この人間ということばは、仏教的観念がそこに反映しているようです。
一方で、欧米的世界観では、
キリスト教の影響が強く、人間というのは、
神が、自らに似せて作りたもうたものであり、
ほかの生き物を「支配する」、という考えが強いのだそうです。
そういう考え方とは、アジア的な世界観はかなり違いがある。
人間ということばからは、
関係の中の社会的存在、という側面が強く意識されている。

今回の震災に際して、世界がある種の驚きを持っていたことに、
大きな略奪や暴動などといった社会不安は発生していない、
という点が大きかったのではないかと思います。
そういう点、こういった側面の認識が
わたしたち、アジア的感覚がきわめて特徴的なのか、と
思い至る部分があります。
<写真は、1200年前くらいの北海道島でのくらしのジオラマ>
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