イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

私の時間に価値を見出してくれる人と、                                

2013年12月05日 00時05分15秒 | Art (ラメ)

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   この2年、細々とではありますが、日々精進を重ね
     お仕事をさせて頂く中で、書をご注文頂き
      ワークショップやお茶会にお招き頂く中で、
    仕事絡みで依頼されたものの 今をもってしても
        「一体あれは何だったのかしら?」と
  クエスチョンマークがクルクルと頭の中で回る程不思議であり、
 かつ 私にとっては何とも筆舌に尽くし難いスッキリしない
         苦い経験が2件程ありました。
facebookでも繋がっていた方だったので それでも
暫くは
何となくfacebookで繋がっていましたが、時を経ても尚
   喉に小骨が刺さったような違和感は消えず、
「人としてやっぱり違うなぁ」と節々に感じさせられたので
   何も言わず割と最近のことですが、お友達リストから
      そっと 外させて頂き、
その方々とのご縁を
           終わりにさせて頂きました。

これから新たにお仕事を始める方に私のこの苦い経験が
 少しでもお役に立ったらいいな、という淡い思い、そして
  私の思いを浄化させる為にも開示する事にしました。

     その方々は 日頃 facebookなどを通して
       「~はおかしい! 是非を問う!」と、
    正義を問うような発信を
多くされているのですが、
「言
動が伴わないとはこういう方の事を言うんだなぁ~」と、
          思った方々でもありました。

 ある日 男性から facebookの伝言メッセージ欄に
   「○○を書いて欲しい」旨、お願いがありました。
   1度お目にかかっただけなので その方のことは
    詳しくは存じあげないのですが、自由人という
印象の強い方だった為 仕事絡みの依頼もフランクに?
      伝言板を通してされる方なのかな?と
微かな違和感を覚えたものの あ
る大切な方を介しての
          ご縁で出逢った方だった為、
        対して気にも留めず快諾しました。
        最初に納期確認とご要望を伺うと
       かなりの短納期でしたが、私の性格上、
普段から自分に恥じない 納得のいく いい仕事をしたい
        と、思っている故、(アートに限らず)
今回もお引き受けをしたからには 当たり前のことですが、
  いい加減なものはお渡ししたくないと思っていたので、
  神経を研ぎ澄まし、集中し 自身の時間をそこに注ぎ 
納得のいく文字が書けるまで ひたすら書き続けました。
    色々な紙で試し、紙は100枚近くにもなりました。
    その中から これなら、と納得のいく数枚を選び
納期内にお送りしました。到着後、facebookのコメント欄に
 「感激した」旨、お礼の言葉は頂きました。 しかし・・・・・
   依頼をされたご本人、自らが、お申し出になられた
 「お礼は○○(←ある物)でもいいですか?」の言葉は
      残念ながら守られることはありませんでした。
約束が守られなかった事以上にガッカリしてしまったのは、
     お話があった日を入れて
3日程の短納期で
    自身の時間を割き、ご送付したにも関わらず、
  その方なりのご事情も色々あった様ではありますが 
     作品が使われるまで実に半年以上かかり 
 更に「いついつに完成しました」という至極当たり前の?
    肝心なご連絡もないまま、ある時 たまたま 
    その方のfacebookを見て お渡しした作品が
    ある形となって既に使われていたと知りました。

   その後も、何らかの形で きっとご本人の口から
    ご報告が
あるだろうと 思っていたのですが、
     今に至るまで、一切ご連絡はありません。

   後日談なのですが、肝心な、恐らく基本的な?
ご報告がないにも関わらず、何事もなかったように(笑)
私のfacebookの記事に時々イイネやコメントをされるので
本当に驚いてしまいました この方は同業の方ですが、
 ご自身に作品依頼があった場合、私に打診された様な
物々交換という発想はなく ご自身の描いた作品に対し、
 お客様からはその対価として ン万円(ン十万円?)を
     ちゃんとお支払頂いているようです(苦笑)

  この一件を通し、色んな事を学ばせて頂きました

     もう1件は、あるお茶会で知りあった女性から
 「ある物にプリントする為の文字をかいて頂けませんか」
   という、打診メールを頂き、即日 快諾しました。
     2通目のメールにはその方が属されている、
 ある会の踊りに使う旗に 書いた文字をプリントしたい、
     という内容でしたが、後日開かれる会合で
         仲間にも相談したいということや、
  数日後に写真店に行くので別途詳細をお話します、
        ということなどが書かれてあり、
   「
その後 またご連絡します。」ということでした。
       しかし、その後 何のご連絡もなく、
   それから間もなくして、その方のfacebookには、
   書で書かれた 大きな旗とイベントで披露された
      踊りのお写真が共に掲載されていました。
驚きというより「えっ?」という脱力感が勝っていました。
 お逢いした限りでは、筋を通す方と感じていたので、
     こういう形でご自身の答えを見せるとは、
 「でも やっぱり ちょっと違うよねぇ~」と思いました。
 2通目のメール以降、プツリと
ご連絡がなかったので、
会合で皆さんのご意見を纏めた結果?
私への依頼は
 無しになったんだろうな、とは思っていたのですが、
   一言断って下さればいいのに、この様な形で
  見せられるとは、正直とても嫌な気持ちでした。

 書くことは私にとって一部であり 得意分野であり、
 お金を頂くという事は苦手な性質(たち)なのですが、
     曲がりなりにもお仕事として意を持って
     看板を挙げさせて頂く様になってからは
プライドが許さないとか、そうした類のことからではなくて、
        先述した 苦い経験があった故、
       お仕事としてお引き受けした場合は、
       そこに向けて割く時間の対価として
     お代はちゃんと頂こう、と決めていました。

   その場で1枚、パッと書いた物を 気持ちのままに
         差し上げるということとは違い、
      先述した方に そうさせて頂いたように
     この女性から正式にご依頼を頂いた場合は 
お引き受けしたからにはインスピレーションで書を書くのとは
 また違い、ご希望に沿う形で納得のいくまで書いて、
        お渡しすることを考えていました。

カウンセリングなど、癒しのお仕事に就いていらっしゃる方も
    そうだと思いますが、
セッションという形を取り
        ご自身の時間を提供する時 
       そこには対価が生じると思います。

同じ様に作品が完成する迄に私の時間も注がれます。

    最初に「書を書いて頂く事は可能ですか?」
というメールを頂き 次にもう少し詳しいメールを頂く中で 
あれ?と思う事がありました。2通のメールにはいずれも

 お金に関してのご質問やお話しはありませんでした。

 ご本人で
はない為、その方の真意は測り兼ねますが、
 共通の友人を介し お茶会で会った人(→私)なので、
   文字を1~2文字チョチョッと書いて貰うだけだし、
        お金は必要ないだろうな、と
   思っていらっしゃるのかしら?と思われたのか?
   片手間で趣味でやっていると思われたのか?
     定かではありませんが、意地悪ではなく、
       私の真意をご理解頂く為にも 後日、
   「ご要望がある場合 ご予算もご相談下さい。」
       という内容のブログを更新しました。

   憶測に過ぎませんが、そのブログをご覧になり、
  「shokoさんに書いて貰うにはお金がかかるんだ」
   と、思われ 無料で書いてくれる方に改めて
    その後依頼されたのかな、
と 思いました。
 会合での話し合いの結果、皆さんのお考えは異なり
   または 好む書体があったのかもしれませんが、
    いずれにしても、うやむやにしたままにせず
     人としてちゃんとお断り頂きたかったです。

        私から「是非書かせて下さい」と、
申し出た話ではありません。今迄も
そういうお願いを
    他の方にしたことはありません。
色々なご事情で
     お断りになることも 勿論 あり得ますし
私は長年スポーツをしていたので断られたからといって
ショックを受けたり落ち込んでしまう様な事もありません。
    
  「敢えて断らなくても 後日 自分のfacebookに
   新しい旗をupすれば、こういう事だったのね、と
    きっとshokoさんも理解してくれるだろう。」
      というような発想だったのでしょうか? 
      そのやり方に 全く誠意は感じられず 
   「そりゃないよ」と思い、その時 私の中には
        嫌悪感しか残りませんでした。

    お二人に関して 何故 こういう気持ちが
   ずっと くすぶり続けたのだろう?と思った時、
  このブログをupした後に、その理由が判りました。
それは冒頭でも触れた様に、色々な方々がご覧になる
     facebookなどで、企業の諸々に関して、
       または食に関して、他にも色々と
    「~はおかしい!」と、訴えられ、拳を掲げ、
 語弊があるかもしれませんが、~を暴くというような
 多くの方を煽るような発信が見受けられることが多く、
     私はそういう手段方法は好きではない為、
そういう記事に関してはイイネもコメントもしませんでしたが
   その様に 普段から、社会の色々なことに対し
   疑問に思うことを活字にしてらしたにも関わらず、
 無かった事にはさせまいと、発信されている方々が
 ご自分から発した、個人的な約束は いとも簡単に
  無かったことにしてしまえるという、矛盾でした。

         その方々にとっては 恐らく
      取るに足らないことだったのでしょう・・・・
     確かにあった遣り取り、心通わせた瞬間を
  無かった事にされてしまったことは とても悲しくて
 
とても嫌だったんだと、自分の気持ちに気づきました。

  広義の意味において、お金が関わる事に関しては
    誰しも、切り出しにくい事の様に思われます。
    なので
相手に余計な気を使わせない為にも
        依頼する側が、最初に切り出す、
      確認をされるというのが、
私はですが、
          とても大事な気がします。

    予算の都合があれば、正直に相談したり、
    お金に関しては とても難しいことですが、
       爽やかに話したいと思います。

 今回の件が、昔からの近しい友人になら性格的に 
      お金は頂かなかったかもしれません。
 お金を頂く事が心苦しくなってしまうほうなので・・・。

 そしてもし最初のメールでお金の話をして下さったら、
その方との関係性はまだ築けてはいなかったものの、
例えお代を頂戴したとしても、友人の友人という事から
     仮に自分の時間を沢山注いだとしても
     ささやかな額しか頂かないつもりでした。

    穿った見方になってしまうかもしれませんが
   打診した方が 書に向ける(注ぐ)私の時間を 
     もし、大事に考えて下さっていたのなら、
持ちつ持たれつの様な特別親しい間柄ではないので
   ごく自然に 「お願いできますか?」と同時に
    お金のご質問もまた出た気がするのです。

「2文字だし好(よし)
みで無料で書いてくれるだろう。」

    少なからず、2度やりとりしたメールからは
     そんな思いを 感じ取ってしまった故に、
先述した最初の苦い経験があったので 後日ブログで 
「書を書かせて頂くご依頼にはお金が発生します。」と、
         開示するに至りました。

「お話をしながら、申し訳ないのですが、状況が変わり
   無料で書いてくれる人が見つかりましたので、
    今回はご免なさいね。」の一言で察せます。
  そして私はそういう点は サッパリしているので
   勿論、何のわだかまりもなく 全然OKでした。

    先述した方同様、こういう事がありながらも 
    この数か月、
時~々、facebookにイイネ や 
    コメントを頂きましたが、宙ぶらりんな関係を
   そのままにしているのも不自然に思えたので、
   お友達リストからそっと削除させて頂きました。

          私、いつも思うんです。
      
目に見える物、お金を出して買った物を貰う事以上に
  自分のなにがしかの為に 親身になり、寄り添い、
       1日24時間という限られた時間、
    その人にとっての貴重な大切な時間を割き、
       自分に分けてくれたという事こそが
         より尊いのではないかなと。

なので 私はですが、自分のことを思い 時間をかけ
   手紙を書いてくれたり メールを下さったり、
その方が自分の為に 注いでくれる時間そのものが
 何にも代えがたく 本当に有難いと思っています。

   私の時間を大事に思い 考えてくれる方は、
 私の価値もまた、大事に思い 考えてくれている、
          そんな風に思います。

  目には見えないものに、形として残らないものに
 そして、相手が自分に向けてくれた かけてくれた 
寄り添ってくれた気持と 時間への感謝を忘れずに、
私もまた大切な相手の為に自分の時間を使いたい
本当の意味で想いあえたら素敵だなって思います


       皆さんは 大丈夫でしょうか?

貰う事受け取る事が当たり前になってはいませんか?

       物に限っての断捨離のみならず、
        そこに利用とか 計算だとかが 
       チラチラと見え隠れしているような
 どこか心がスッキリしない様な 意味をなさない関係は
  スパッと断って行く、ということもまた、健全なる
      心の断捨離のような気がしています。

   嘘で塗り固めた関係を 維持し続けること程
  無駄な時間はないと 年齢的にも思っているので
        対人関係における断捨離は
        案外得意かもしれません(笑)