前回の続きです・・・
河津桜を見に行く前に海鮮丼を食べようと思ってたお店が定休日だと気づいたのは車の中でした
急いで別のお店を検索して到着したのはいいけど、そこも定休日
それなら、先に桜を見に行こう~と思ったのが失敗でした
お花見をした後、(大分県)津久見市から帰る途中の臼杵市でランチしようということに。
ところが、海鮮が食べられるお店のランチは14時までの所ばかりでした (この時14時前)
お店を探してる時に入った建物(サーラ・デ・うすき)で偶然見かけたのが「うすき紙雛」でした。
古文書の記録によると、天保の改革の頃、臼杵藩は質素倹約のため町の人達は「紙のお雛様」を飾ることしか許されていなかったとされています。
当時の雛は残っていませんが、お雛様の原型である立ち雛を参考に、シンプルで気品ある臼杵らしいお雛様が「うすき雛の会」の手によって誕生しました。(臼杵市観光協会の説明文参照)
数日前にニュースで、うすき雛めぐりを見たばかりだったので、偶然にも見ることができて良かったです。
1つ1つが手作りで色々な柄の和紙で作られたお雛様は、豪華さはありませんが可愛らしく素敵でした
結局、海鮮丼は諦めて、臼杵の郷土料理の黄飯とかやく・きらすまめしが食べられる豊後感動本舗さんで臼杵御膳をいただきました。
黄飯は、くちなしの実を水に浸し、その黄色に染まった水で炊くことで華やかな山吹色のご飯ができます。
黄飯にそえられる「かやく」は、エソなどの白身魚や野菜、豆腐などを煮込んだものです。
紙雛同様、財政難に陥ることが多かった臼杵藩が質素倹約令をひいたので、殿様が贅沢な赤飯の代わりに作らせ、家来にも振る舞ったのが黄飯と黄飯かやくの始まりと言われているそうです。
きらすまめしも黄飯同様、倹約料理として生み出された一品です。
残り物の刺身や魚をおろした後の中落ちを、大豆の搾りかすであるおからをまぶしてかさ増しをしたものです。
臼杵地方の方言で、おからのことを「きらず」、まぶすことを「まめす」と言い、刺身に「きらず」をまめした料理であることから、「きらすまめし」と呼ばれるようになったそうです。
大分名物のとり天と旬のお刺身もついていて、お腹いっぱいになりました。
いつもは、定休日を調べて行くのに、この日に限って忘れてたので遅~いランチになってしまいました。
でもまあ、紙雛も見れたし、普段食べない黄飯なども食べることができたので結果オーライですね
河津桜を見に行く前に海鮮丼を食べようと思ってたお店が定休日だと気づいたのは車の中でした
急いで別のお店を検索して到着したのはいいけど、そこも定休日
それなら、先に桜を見に行こう~と思ったのが失敗でした
お花見をした後、(大分県)津久見市から帰る途中の臼杵市でランチしようということに。
ところが、海鮮が食べられるお店のランチは14時までの所ばかりでした (この時14時前)
お店を探してる時に入った建物(サーラ・デ・うすき)で偶然見かけたのが「うすき紙雛」でした。
古文書の記録によると、天保の改革の頃、臼杵藩は質素倹約のため町の人達は「紙のお雛様」を飾ることしか許されていなかったとされています。
当時の雛は残っていませんが、お雛様の原型である立ち雛を参考に、シンプルで気品ある臼杵らしいお雛様が「うすき雛の会」の手によって誕生しました。(臼杵市観光協会の説明文参照)
数日前にニュースで、うすき雛めぐりを見たばかりだったので、偶然にも見ることができて良かったです。
1つ1つが手作りで色々な柄の和紙で作られたお雛様は、豪華さはありませんが可愛らしく素敵でした
結局、海鮮丼は諦めて、臼杵の郷土料理の黄飯とかやく・きらすまめしが食べられる豊後感動本舗さんで臼杵御膳をいただきました。
黄飯は、くちなしの実を水に浸し、その黄色に染まった水で炊くことで華やかな山吹色のご飯ができます。
黄飯にそえられる「かやく」は、エソなどの白身魚や野菜、豆腐などを煮込んだものです。
紙雛同様、財政難に陥ることが多かった臼杵藩が質素倹約令をひいたので、殿様が贅沢な赤飯の代わりに作らせ、家来にも振る舞ったのが黄飯と黄飯かやくの始まりと言われているそうです。
きらすまめしも黄飯同様、倹約料理として生み出された一品です。
残り物の刺身や魚をおろした後の中落ちを、大豆の搾りかすであるおからをまぶしてかさ増しをしたものです。
臼杵地方の方言で、おからのことを「きらず」、まぶすことを「まめす」と言い、刺身に「きらず」をまめした料理であることから、「きらすまめし」と呼ばれるようになったそうです。
大分名物のとり天と旬のお刺身もついていて、お腹いっぱいになりました。
いつもは、定休日を調べて行くのに、この日に限って忘れてたので遅~いランチになってしまいました。
でもまあ、紙雛も見れたし、普段食べない黄飯なども食べることができたので結果オーライですね