「五体不満足」でも有名な乙武さんが、銀座のイタリアンの店で入店拒否されたこと。
ご本人のつぶやきから始まり話題になってますが。
どうして
「事前に車椅子であることを告げておかなかった乙武さんが悪い」
「いや、車椅子客に対応しなかった店側が悪い」
…と、「犯人はどっち」傾向になるんだろ? また、
「乙武氏は影響力大の有名人なんだから、店名晒して批判したら店は潰れる。ナンセンス!」
なんて声こそがナンセンス。
お店側はこれを契機に、車椅子使用客への対応を真剣に考えて実行したら、
イメージアップにもつながる。だから、考え直す良いチャンスなのだ。
練習したら良いと思う。
40キロ位の人を抱えて二階に引き上げられるように。
店のスタッフは二人とも男性というから、可能なはずだ。
また、お客さんに男性がいたら、介助をお願い出来るような下地(ムード)も常々作っておく。
「お客様だから、障害者の介助をお願いするなんてめっそうもない!」
という思想そのものが間違っている。
障害のある人は、助けがいる時は、「みんなで」助けあったらいいじゃないか。
ボランティアや専門の職員だけが助けて、あとの人は無視、ではない。
乙武さんは泣き寝入りせず、このように今後も率直に書いて欲しい。
「こうやって力を貸してくれ」「拒否しないでくれ」と堂々と言って欲しい。
そうすることで、一般人の介助能力・意識が鍛えられる。進化する。
「障害者ですみません」「車椅子でご迷惑かけます」といういわば「世間への謝罪」を、
乙武さんがいちいちしなくて済む社会。
肩身が狭くない社会が、いいに決まってる。
自分が障害者の目線になると、なんと世間は生きにくいのかと思う。
と同時に、助けてくれる人の親切が身にしみる。
「すみませんすみません」と「申し訳なく生きる」ストレスを、
助けてくれる人の優しさが、軽減してくれるのだ。
私は障害者になったことはないが、父の車椅子を押していた時期に、
「なんとひどい道路だろう」と、段差・デコボコっぷりに泣いた。
世間は決して「障害者用」には作られていない。
そして皆、車椅子に対して温かい目で見ない。「チェッ」「邪魔」「気の毒」って感じ。
慣れないと精神的にもつらい。
だから、「車椅子でも全然オッケー」という空気を、醸し出してくれる人や場所に遭遇すると、
とても救われた。「地獄に仏」だった。
店側だけでなく、その場に居合わせた人間全員が乙武さんをサポートする、
「それが当たり前」な空気を作ることが必要。
乙武さんが「僕を持ち上げてくれますか」と言ったら、「あ、はい」と言って持ち上げる。
そして何事もなかったかのように、指定の場所に座らせて、
「あ、どうもー」「はい、どうもー」という軽いやりとりで終わる。
女の人でも、二人居たら乙武さん持ち上げられるだろう。男の人なら一人でも出来るだろう。
ヒールの高い靴を脱いで、食事をほんの少し中断して、乙武さんを持ち上げよう。
そんな度量を持とう。
そんな時に、「嫌ねえ」とか、無視する態度を見せた人とは、私は友達やめる。
今後、もし私が車椅子生活になったら、その友は私を助けてくれないだろうから。
もし助けてくれても、心では「チェッ」と舌打ちしてるだろうから。
この世は、席が予約出来るレストランや、設備が整った公共施設ばかりじゃない。
それこそ、津波や地震や火事や…不測の事態はいつでも起こる。
そんな時に、障害のある人を「ヒョイ」とかつぐ。
そんな実力を磨いておきたい。
乙武さんを「弱者の強者」と揶揄する人もいるけれど、セコい。
そんなことつぶやくヒマがあったら、人一人をサポート出来る筋力をつけよう★
ご本人のつぶやきから始まり話題になってますが。
どうして
「事前に車椅子であることを告げておかなかった乙武さんが悪い」
「いや、車椅子客に対応しなかった店側が悪い」
…と、「犯人はどっち」傾向になるんだろ? また、
「乙武氏は影響力大の有名人なんだから、店名晒して批判したら店は潰れる。ナンセンス!」
なんて声こそがナンセンス。
お店側はこれを契機に、車椅子使用客への対応を真剣に考えて実行したら、
イメージアップにもつながる。だから、考え直す良いチャンスなのだ。
練習したら良いと思う。
40キロ位の人を抱えて二階に引き上げられるように。
店のスタッフは二人とも男性というから、可能なはずだ。
また、お客さんに男性がいたら、介助をお願い出来るような下地(ムード)も常々作っておく。
「お客様だから、障害者の介助をお願いするなんてめっそうもない!」
という思想そのものが間違っている。
障害のある人は、助けがいる時は、「みんなで」助けあったらいいじゃないか。
ボランティアや専門の職員だけが助けて、あとの人は無視、ではない。
乙武さんは泣き寝入りせず、このように今後も率直に書いて欲しい。
「こうやって力を貸してくれ」「拒否しないでくれ」と堂々と言って欲しい。
そうすることで、一般人の介助能力・意識が鍛えられる。進化する。
「障害者ですみません」「車椅子でご迷惑かけます」といういわば「世間への謝罪」を、
乙武さんがいちいちしなくて済む社会。
肩身が狭くない社会が、いいに決まってる。
自分が障害者の目線になると、なんと世間は生きにくいのかと思う。
と同時に、助けてくれる人の親切が身にしみる。
「すみませんすみません」と「申し訳なく生きる」ストレスを、
助けてくれる人の優しさが、軽減してくれるのだ。
私は障害者になったことはないが、父の車椅子を押していた時期に、
「なんとひどい道路だろう」と、段差・デコボコっぷりに泣いた。
世間は決して「障害者用」には作られていない。
そして皆、車椅子に対して温かい目で見ない。「チェッ」「邪魔」「気の毒」って感じ。
慣れないと精神的にもつらい。
だから、「車椅子でも全然オッケー」という空気を、醸し出してくれる人や場所に遭遇すると、
とても救われた。「地獄に仏」だった。
店側だけでなく、その場に居合わせた人間全員が乙武さんをサポートする、
「それが当たり前」な空気を作ることが必要。
乙武さんが「僕を持ち上げてくれますか」と言ったら、「あ、はい」と言って持ち上げる。
そして何事もなかったかのように、指定の場所に座らせて、
「あ、どうもー」「はい、どうもー」という軽いやりとりで終わる。
女の人でも、二人居たら乙武さん持ち上げられるだろう。男の人なら一人でも出来るだろう。
ヒールの高い靴を脱いで、食事をほんの少し中断して、乙武さんを持ち上げよう。
そんな度量を持とう。
そんな時に、「嫌ねえ」とか、無視する態度を見せた人とは、私は友達やめる。
今後、もし私が車椅子生活になったら、その友は私を助けてくれないだろうから。
もし助けてくれても、心では「チェッ」と舌打ちしてるだろうから。
この世は、席が予約出来るレストランや、設備が整った公共施設ばかりじゃない。
それこそ、津波や地震や火事や…不測の事態はいつでも起こる。
そんな時に、障害のある人を「ヒョイ」とかつぐ。
そんな実力を磨いておきたい。
乙武さんを「弱者の強者」と揶揄する人もいるけれど、セコい。
そんなことつぶやくヒマがあったら、人一人をサポート出来る筋力をつけよう★